透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

岡谷市川岸上の火の見櫓 ○

2023-01-19 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)岡谷市川岸上 諏訪信用金庫川岸支店の近く 4柱44型開放(柱単材)脚 撮影日2023.01.18

 昨日(18日)の火の見櫓めぐりで最初に目にした火の見櫓。既に見ているからと、この火の見櫓の前を通過した。前稿までに載せた火の見櫓を見て、近くまで戻ってきた。で、もう一度見ることにした。


ちょっと寸胴な印象の櫓。見た目もうすこし逓減させてもいいかなぁ、と思う。櫓の中間に踊り場が設けられ、2基の梯子がくの字形に掛けられている。脚部はどうなっている? この写真では分かりにくいが、ブレースがない。ガセットプレートには孔があけられている。ブレースが後で外されたのか、初めからなかったのかは判断できない。


屋根下が分かるように露出オーバー気味に撮った。屋根下真ん中に設置されているのはサイレンか。よく見かけるサイレンとは姿形が違うような気がするが。でもサイレン以外考えられない。

半鐘は初めからこの位置にあったのか。半鐘が屋根の中心を外したところに吊るされているのは珍しいことではない。見張り台直下の補強部材やブレース材の設置の仕方が珍しい。アーチ部材は見かけるが、下のV形のブレースは稀。


この後、茅野に向かった。


火の見柱(木柱) ○

2023-01-19 | A 火の見櫓っておもしろい


1434 岡谷市川岸東 火の見柱(木柱) 2023.01.18

 インスタにアップされていたこの火の見柱を自分も直接見たいと思った。で、昨日(18日)火の見櫓巡りに出かけた次第。

岡谷市街からJR川岸駅に向かって県道14号を進んで行ったが、この火の見柱を見落として通り過ぎてしまった。天竜川に架かる橋のたもとに立っているものと思い込んでいたが、そうではなく、立っているのは中央東線の上を通る橋のたもとだった(上掲写真 火の見柱後方の橋の下を中央東線が通っている)。先に他の火の見櫓を見て、辰野まで行き、そこからから引き返してきて、この場所に到着できた。


ゴミ置き場に寄り添うように立つ火の見柱の柱は木だ。振れ留めのためにゴミ置き場の壁に固定してある。なんだかいい感じ。


火の見櫓とは違い、火の見柱の構成要素は少ない。 高さ約3m、直径約20cmの木柱の上端に等辺山形鋼をL形に加工し、コーナーを補強したブラケットを取り付けてその先に半鐘を吊り下げてある。厚手の板を下地にして薄い鋼板を張った切妻屋根を載せている。


脚元が腐朽しているのが気になった。撤去される運命にあるのかな・・・。


 


辰野町辰野の火の見櫓 ○

2023-01-19 | A 火の見櫓っておもしろい


(再 過去ログ )辰野町辰野 JR辰野駅の近く 4柱44型倉庫またぎ 撮影日2023.01.18

 岡谷市から県道14号を進んで辰野入り。この火の見櫓も既に見ていて、今回が2度目。初めて見た時(2012年7月)は、いきなり火の見櫓にフォーカスしてしまって、周辺の様子を写していなかった。周辺の状況は火の見櫓の立地上、重要なことなのに・・・。




倉庫またぎ。切妻屋根を辛うじてまたいでいる。辰野町にはこのような倉庫またぎが他にもある。火の見櫓と倉庫をそれぞれ別に建てるだけの用地が確保できなかった、くらいしかこうする理由が思い浮かばない・・・。





岡谷市川岸東の火の見櫓 ○

2023-01-19 | A 火の見櫓っておもしろい


1433 岡谷市川岸東 4柱44型正面オープン三面ブレース囲い 撮影日2023.01.18

 前稿に載せた火の見櫓の前の道路を車で数分進んだところで、この火の見櫓と出合った。


あれ、なんだか珍しい姿形だと思った。見張り台の鋼鈑張りの床の半分がスライドしている。「なるほどねぇ、こういうつくり方もあるのか・・・」。


見張り台の手すりにもリング(*1)付きの交叉ブレースが使われているせいだろうか、やけにリングが多いという印象を受ける。


櫓の中間の踊り場の床も鋼鈑製で櫓水平構面の半分しかつくられていない。


火の見櫓の手前に防火水槽が設けられている。


4つの構面の内、1面だけ、交叉ブレースを設置しないで、梯子を上り下りするための開口にしている。開口上部のガセットプレートにはブレース用の孔があった。梯子には板が充てがわれ、登ることができないようにしてある。岡谷市内でよく採られている方法だ。


*1 リング式ターンバックル


チャームポイントは ○

2023-01-19 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)岡谷市川岸東 3柱〇5(KP)型ロング三角脚



初見かなと思ったが、2019年7月に見ていた。過去ログ

県道14号を岡谷市から辰野町に向かって走り、途中左に入る坂道をしばらく上ってこの火の見櫓に着いた。

この火の見櫓のチャームポイントは櫓の外側にちょこんと付けられている見張り台。梯子に立った状態で半鐘を叩くこともできるが、小さな見張り台を付けてあるところが実に好い。円形の屋根の下にやはり円形の笠付きの街灯を設置してあるが、これも好い。他のデザインの街灯ではだめ、これしかない。


 


今年初めての火の見櫓巡り ○

2023-01-19 | A 火の見櫓っておもしろい

 昨日(18日)今年初めてやぐった(やぐる 火の見櫓を観察するという意味の動詞 )。やぐり先は岡谷市の川岸と茅野市内。車の走行距離約115km、歩数約5,200歩。やぐる時はかなり歩くから、健康にも良い。好きなことで心ウキウキは健康に良い、たぶん。13基見たが既に見ていた火の見櫓もあったし、初めて見た火の見櫓もあった。以下、順次載せていく。



(再)岡谷市川岸中 4柱44型トラス脚(短い) 撮影日2023.01.18







過去ログ に詳しく書いているので、今回は写真の掲載に留める。


 


C5「平安人の心で「源氏物語」を読む」

2023-01-18 | G 源氏物語

 「読んでから見るか、見てから読むか」 これは今から45,6年も前、1977年(昭和52年)の角川映画「人間の証明」(森村誠一原作)のキャッチコピー。この作品は映画も見たし原作も読んだが、どっちが先だったか覚えていない。私の場合、原作を先に読んでいて、後に映画化された作品を見ることが多いように思う。昨年末に見た二宮和也さん主演の映画『ラーゲリより愛を込めて』も原作の『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん(文春文庫1992年第1刷、2021年第23刷)を先に読んでいる(過去ログ)。

前置が長くなった。


『平安人の心で「源氏物語」を読む』山本淳子(2014年第1刷、2021年第8刷)C5(図書カードで買い求めた5冊目の本)を数日前から読んでいる。昨日(17日)も朝カフェ読書でこの本を読んだ。これは平安文学研究者である山本淳子さんの源氏物語解説書。

「源氏物語を読んでからこの本を読むか、この本を読んでから源氏物語を読むか」

私は先にこの本を読んで、その後で源氏物語を読むのが良いと思う。それも全て読み終えてからではなく、源氏物語のある帖を読む前にその帖について書かれた該当ページを読むのが良いだろう。源氏物語を読み始める前にこの本のことを知っていたら、そうしていたと思う。

**『源氏物語』をひもといた平安人(へいあんびと)たちは、誰もが平安時代の社会の意識と記憶とでもって、この物語を読んだはずです。千年の時が経った今、平安人ではない現代人の私たちがそれをそのまま彼らと共有することは、残念ながらできません。が、少しでも平安社会の意識と記憶を知り、その空気に身を浸しながら読めば、物語をもっとリアルに感じることができ、物語が示している意味をもっと深く読み取ることもできるのではないでしょうか。本書はその助けとなるために、平安人の世界を様々な角度からとらえ、そこに読者をいざなうことを目指して作りました。**(はじめにⅳ) 山本さんはこのようにこの本の意図、目的を書いている。

この本で山本さんは源氏物語全54帖についてそれぞれの帖ごとを基本に4ページにまとめている。ただし長い帖では前半と後半に分けている。きっちり1ページにあらすじ、続けて3ページに平安貴族の暮らしぶりや、社会の状況、恋愛事情、源氏物語に書かれている和歌のこと等々をくだけた表現、言葉を交えつつ、全体としては折り目正しく、そして読みやすく、分かりやすく綴っている。

二十四 平安人の心で「胡蝶」巻を読む「歌のあんちょこ」。ここには平安貴族社会では和歌が必需品で、歌づくりの手引書(あんちょこ)として『古今和歌集六帖』が紹介されている。

**(前略)相手が『古今和歌集六帖』で来るならこちらもと応じたのだ。片や若柴がほしい光源氏、片や孫を守りたい尼君。『古今和歌集六帖』を間にしての、知性と情を総動員した丁々発止だった。**(99頁) この文章の前に書かれている光源氏と尼君の和歌のやりとりを省略したので、上の引用箇所だけでは、何のこと? となってしまうだろうが、ふたりは『古今和歌集六帖』に収められいる歌を下敷きにした和歌の応酬をしたのだ。へえ、そうなのか、と、納得というか、驚いたというか・・・。

山本さんのように平安文学に通じた人が源氏物語を読むのと、私のような全く何も知らない者が読むのとでは立ち上がってくる景色が全く違うだろう。私は五里霧中、景色が見えぬまま54帖を通過しただけだから、源氏物語を読んだとはいえないよなぁ・・・。関連本をこれからも読んで、霧の向こうに少しでも景色が浮かび上がるようにしていこう・・・。


 


切手 文字のデザイン

2023-01-17 | D 切手

   

 今でも切手を貼った封書を受け取ることも出すことも偶にある。切手には色んなデザインがあって、見るのが好きだ。近頃届いた2通の封書に貼ってあった切手はどちらも見るのが初めてだった。で、調べた。

今は特殊切手・ふるさと切手・グリーティング切手と色んな切手が発行される。左の赤いポインセチアの切手は「おもてなしの花シリーズ第17集」で2021年10月20日発行。ポインセチアの他にビオラ(初めて知った花の名前)、シクラメン、ミツマタ、バラの5種類が各2枚、計10枚のシート。

右の緑の切手はカエルがフキの葉の下で雨宿りしている。 「夏のグリーティング」で2022年6月1日発行の内の1枚。

2枚の切手を比べると、84・NIPPON・日本郵便、文字の配置やフォントが違う。8と4のフォントは同じに見えるが間隔が違う。日本郵便の文字は縦横の寸法比が違い、左はやや横長の「平体」、右は縦長の「長体」にしている。

右のNIPPONは斜体だが、84はそれに合わせたに違いない。左を見ると、84は立体の日本郵便には合わせず、やはり斜体にている。ぼくなら84を斜体にはしない、立体にする。「きちんと整える」がぼくの美学だから、文字の立体、斜体は揃えたい。でも、デザインの好みは人それぞれだから・・・。


  立体と斜体 


寒くないのかなぁ

2023-01-16 | D キミの名は?


撮影日2023.01.16 みぞれが降る中、柿を啄ばむヒヨドリ

 昨年(2022年)、隣家の柿の木は成り年だったようで、秋にはたくさんの実をつけた。餌が少ない冬場、柿の実を啄ばみに何羽ものヒヨドリが毎日やってくる。と書いて、さて、ヒヨドリはどんなものを好んで食べるんだろうと気になった。それで手元の本『野鳥 日本で見られる287種  判別のポイント』真木広造(永岡書店2002年)で調べた。**平地から低山の林、集落周辺にすみ、昆虫や木の実、花の蜜、葉菜類などさまざまなものを食べる。**(74頁)と説明されていた。

去年の晩秋、あちこちで風景の中に柿の実の朱色のドットを見かけた。柿の実は今ではすっかり腐っている。その様は冬の景色によく似合う。

今日(16日)も午前中みぞれが降る中、何羽ものヒヨドリと小型の野鳥(名前は分からない)が柿の実を啄ばんでいた。窓を開けてヒヨドリにカメラを向けて、ふと思った。「寒くないのかなぁ。巣に戻っても雪や雨に濡れるだろうに」


 


C4「残酷な進化論」

2023-01-16 | A 読書日記

360
『残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか』更科 功(NHK出版新書2019年第1刷発行、2022年第7刷発行)C4

 **私たちヒトは進化の頂点でもないし、進化の終着点でもない。私たちは進化の途中にいるだけで、その意味では他のすべての生物と変わらない。**「はじめに」(5,6頁)

カバー折り返しにも引用されているこのことばが、この本の内容を的確に示している。著者は心臓や肺などの臓器を始め、ヒトの体の設計が他の動物を比べて必ずしもベストではないことを説き、歩く姿勢や配偶システムにまで言及している。

なんでも読んでやれ精神で最後まで読んだ。


 


気になっていること

2023-01-15 | D 新聞を読んで


 しばらく前から気になっていることがある。それは本当にコロナワクチンが感染リスクと重症化リスクの低減効果があるのか、ということだ。更に今さらではあるが、ワクチンの安全性について。

1 感染リスクの低減効果

このところ新型コロナウイルス感染者の死者数が多い。12日付 信濃毎日新聞(文中信毎と略記)朝刊の1面に、長野県では今月11日までの1カ月余に245人が亡くなり、流行が始まってからの累計732人の3分の1を占めているという内容の記事が載っていた。長野県ではこれまでにコロナに感染して亡くなった人の1/3がこの1カ月で亡くなっている・・・。この記事を読んでびっくりした。え、そうなのか・・・。

昨日(14日)の毎日新聞のコラム・余録でもコロナ禍を取り上げていた。コラムの前段では、年明け以降の感染死者数が4,000人を超えている。前年同期の20人に比べても異様さが際立っている、と。 え、200倍・・・。このことについて、後段で**重症化率が低いとされるオミクロン株にもかかわらず死者がこれほど多いのは、実際の感染者が公表分をはるかに上回っているためだろう。**と書いている。

これは正しい推論だろうか。200倍もの死者数になっている主因がコラムの推論の通りだとすれば、実際の感染者も同じ比率、感染確認者の200倍(もちろん単純に200倍とはならないのだろうが)ということになるのではないだろうか。14日の信毎が報じている東京都の感染者数を見ると、前日から11,241人増加している。余録の推論に従えば実際はこの200倍、いや、日によって相当数のバラツキがあるだろうから仮に半数としても1日でおよそ100万人が感染したということになる。にわかには信じがたい数字だ。多すぎる。だが、信毎の記事のこともあるから、感染者が信じがたい人数であることは確かだ。

なぜ、こんな事態になっているのだろう。ワクチン接種のことがどうも気になる。今や、ワクチンに感染リスクを低減する効果があるなどと思っている人は少ないのではないか。インフルエンザワクチンも、ウイルスのタイプに合わないと効果があまり期待できないことが知られている。同じことがコロナウイルスにも当てはまるようで、最近ではブレイクスルー感染という用語を新聞でも目にするようになった。

ワクチンの感染予防効果って期待されているほど無いのでは・・・。そればかりか、週刊誌には**米誌が紹介「ワクチン接種者の方が感染しやすい」調査の内容** という見出しの記事が載っている(「週刊新潮」1月19号)。ネット検索しても同様の内容の記事が見つかる。

2 重症化リスクの低減効果 



14日の信毎に上掲の見出しの記事が載っていた。少し長くなるが以下に引用する。**県は13日、新型コロナウイルス感染症対策専門家懇談会で、県内流行「第8波」で感染した高齢者のうち、ワクチンを3回以上接種した人は中等症以上になる割合が低下するとのデータを初めて公表した。委員からは、ワクチンの有効性を分かりやすく示す結果で、積極的に県民に周知すべきとの指摘が出た。県は詳細を近く公表する方針。**

すでにワクチンを5回接種した私としては、この記事は信じたい。

メディアはコロナに感染して亡くなった人について、基礎疾患の有無についてはその都度報じているが、ワクチン接種の状況については全く報じていない。自治体の発表時、記者がこのことについて質問しないのだろう。前からこのこと、亡くなった人たちのワクチン接種状況が気になっている。

更に気になるのはワクチン接種によって、重症化してしまうのではないか、ということ。具体的にはADE(抗体依存感染増強)について。

このことについて厚生労働省はウェブサイトに下のような報告を載せている。


厚労省のこの記事では報告はありませんとなっている。これはADEが生じているのかも知れませんが、そのような報告はありません、というように読まなくてはならない。

ADE(抗体依存感染増強)って何? しばらく前に読んだ 『コロナワクチン失敗の本質』に次のような説明がある。**ウイルス感染やワクチンによって体内にできた抗体が、感染や症状をむしろ促進してしまう現象。同じコロナウイルスの仲間によって引き起こされたSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)のワクチンは、このADEの発生がネックとなって開発が断念された。**(『コロナワクチン失敗の本質』宮沢孝幸、鳥集 徹(宝島社新書2022年)31頁 からの引用)



「週刊新潮」1月19号には**「すでに〝大薬害〟になっている」という専門家の警鐘**という見出しの記事も掲載されている。

新型コロナ死者急増にワクチンが関与しているなってこと、ないよね。でも、接種したワクチンがヒトの生来からの自然免疫システムを混乱させてしまうことがあるのではないか、という懸念が拭えない・・・。


 


C3 小松左京の「果しなき流れの果に」を読んだ

2023-01-13 | A 読書日記


『果しなき流れの果に』小松左京(ハルキ文庫1997年第1刷発行、2020年新装版第2刷発行)C3(図書カード3冊目)

 今月6日、初詣帰りに立ち寄った書肆 朝陽館(@長野市南長野新田町)で『果しなき流れの果に』を買い求めた。

ティラノサウルスが剣竜を襲う・・・。中生代、白堊紀。恐竜の時代からものがたりは始まる。その後の時空を超える展開は目まぐるしい。アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』とその続編、ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』などの名作を想起させる。

**「二十五世紀で、三十世紀で、達成された認識を、全面的に一万年前の世界に、フィードバックするんだ!一万年前の世界に、三十世紀の科学と知識をうえつけるんだ ― 一万年かかってやっと到達できる知識を、もう一度もどしてやるんだ」**(366頁) 歴史改変問題。

**(前略)認識には、終焉はない。あるのはかえって、時間のほうだ。空間は曲がっていて、閉じられている。とすれば、時間もまた、有限で閉じられている。空間と同じように、始めと終りがつながる。終焉は初元とつながるのだ。だが、時間が終ったあとも認識は発展する。認識することは、時空間とはまた別な方向へ、意識が脱出して行くことだ。ちがうかね?**(121頁) 意識の認識。

10億年? 壮大な時空トラベルの果に、再びめぐり合う一組の男と女。小松左京はものがたり的な要素を組み込むことを忘れてはいなかった。男と女の再会は『復活の日』でも同様に扱われている。

僕の理解が到底及ばない思索的世界。空間とは何か、時間とは何か、意識とは何か? 小松左京が哲学的思索をSF小説に仕立て上げた作品、と括っておく。


 


太鼓櫓を描いた切手

2023-01-12 | D 切手

   
右画像の出典:国立国会図書館デジタルコレクション「錦絵でたのしむ江戸の名所 両ごく回向院元柳橋」部分

 この切手もKさんからいただいた。歌川広重の錦絵「両ごく回向院元柳橋」の切手。切手の名前は「両国回向院太鼓やぐらの図」となっている(1978年、今から40年以上前に発行された切手)。

広重はこの錦絵でも墨田川の向こう岸、薬研堀(運河)に架かっている主題の元柳橋を小さく、太鼓櫓を手前に大きく配している。切手では小さくて分かりにくい元柳橋ではなく、大きく描かれた太鼓櫓の方が分かりやすいという判断がなされ、名前にしたのではないか。

太鼓櫓と火の見櫓はどちらも櫓構造で共通している。それよりもっとこの切手と火の見櫓は関係がある。両国回向院は明暦の大火(1657年)で亡くなった多数の人たちを供養するために、同年建立された寺院。幕府はこの大火による甚大な被害を受けて、翌年(1658年)に定火消を組織した。定火消の屋敷に火の見櫓が建てられた。これが火の見櫓の歴史の始まり。


定火消の火の見櫓 消防博物館(正式には東京消防庁消防防災資料センター)

両国回向院で1768年(明和5年)から勧進相撲が行われるようになり、旧国技館が竣工する1909年(明治4年)まで続けられたとのこと。それで両国回向院に太鼓櫓が組まれているという次第。この櫓について調べると高さが5丈7尺あったとのこと。1尺は30.3cm、1丈は10尺だから、およそ17.3m。これを柱4本、横桟と筋交いで櫓を組んでいる。火の見櫓の形状分類にあてはめれば4構面梯子4柱櫓となる。

絵には太鼓の一部が描かれている。太鼓の叩き方は決まっていて、興行の始まりや終わりを知らせたとのこと。17.3mというと、5階建ての屋上くらいの高さだ。音を遮るような高い建物の無い江戸の街ではかなり遠くまで届いただろう。ちなみに定火消の火の見櫓の高さは5丈、およそ15m。

Kさんから切手をいただいていなければ、両国回向院のことは何も知らないままだっただろう。火の見櫓と大いに関係があるというのに。この寺院には明暦の大火の供養塔があるとのこと。今度、東京する時は訪ねたい。


 


全国紙は磯崎 新さん死去をどう報じたか

2023-01-10 | D 新聞を読んで

 昨年の12月31日、新聞各紙が建築家の磯崎 新さんの死去を報じた。購読している信濃毎日新聞は1面に**磯崎 新さん死去 ポストモダン建築の騎手 91歳**という見出しで、また27面(第一社会面)に**「死の影を感じる作品」磯崎 新さん死去 藤森照信さん語る**、**「スケールが違った」別荘ある軽井沢でも悼む声**という二つの見出しで報じている。写真で紹介してる作品はアートプラザ(大分県立大分図書館)。

このニュースの全国紙の扱いが知りたくて、えんぱーくで朝日、毎日、読売、産経、日経、以上の5紙を閲覧した(1月9日)。

次の項目について比べてみた。1 記事の見出し   2 割いているスペース    3 紹介している建築作品と著作    4 人物評、作品評

以下に割いているスペース、写真付きで紹介していた建築作品と著作、人物(作品)評を挙げる。

朝日:約380㎠ つくばセンタービル 「空間へ」「建築の解体」
   思想家、歴史家、政治家にもなれたはずだ。
   豪快さ、崇高さ、寂寥感がないまぜになった磯崎建築

毎日:約380㎠ つくばセンタービル 評論集や作品集など100冊を超える、と紹介して、書名は挙げていない。
   知的好奇心が強く独特な嗅覚を持ち、常に若い世代との交流に積極的だった。
                 (建築史家、東北大大学院教授 五十嵐太郎)

読売:約320㎠ つくばセンタービル 「磯崎 新建築論集」
   不世出の知の巨人、言葉とものとしての建築の乖離、矛盾を痛感していた。
                               (伊東豊雄)

産経:約840㎠ 大分県立大分図書館(現アートプラザ)、水戸芸術館
   「空間へ」「建築の解体」「瓦礫(デブリ)の未来」
   巨視的なビジョンを描くことができる稀有な建築家だった。
   大局的見地で将来を見渡すとともに、精力的な実務を通してさまざまな交流を促した、
   まさに建築界の巨星だった。

日経:約370㎠ つくばセンタービル 「建築の解体」
   各国を代表するような知識人や芸術家とにこやかに議論を交わし、友情をはぐくむ
  「知の巨人」。
   建築界は偉大な異能のボスを失った。

割いているスペースは朝日、毎日、読売、日経があまり変わらないのに対し、産経は4紙の倍以上と扱いが最も大きい。産経は代表作の例えばつくばセンタービルについて、国家的プロジェクトである筑波研究学園都市の中心施設でありながら、中央を窪地にして「中心不在の日本」を逆説的に暗示。また、ロサンゼルス現代美術館については西洋の黄金比の美学と陰陽説など東洋の概念を融合し評価された、というように解説文を付けているし、作品も年表にして掲載している。

信濃毎日新聞にはハラミュージアムアーク(群馬県渋川市)で行われた米寿を祝う会であいさつする磯崎さんの写真が掲載されている。この時着ている黄色いシャツは三宅一生さんから贈られたとのこと。全国紙には載っていない写真だ。インタビューした藤森照信さん(茅野市出身)の顔写真も載せている。藤森さんが茅野の実家近くに建てた「高過庵」を磯崎さんが訪れていたことが記事に出ている。

*****

磯崎さんはものとして実在する建築より、建築思想に意義を見出していたのではないか。著作が多いことも、このことを示しているように思う。毎日新聞は「建築の本質はコンセプトにある」と紹介している。また、日経新聞は磯崎 新アトリエという名前としたことについて「建築とは単なる建物なのではなく思想や歴史、文化の厚い層の上に成り立つとの思い」から、と紹介している。

代表的な作品としてポストモダン建築を挙げるなら、やはりつくばセンタービルになるのかな。著作は「空間へ」と「建築の解体」だと思う。

磯崎さんの文章は難しい。私の老化脳では読み解くことは無理だろう。『建築における「日本的なもの」』(新潮社2003年発行、2005年4刷)を書棚から取り出したが、戻そう。産経新聞に載っている「瓦礫(デブリ)の未来」という著書は全く知らなかった。前述のように、読解力の無さを自覚しているが、読んでみたい。

磯崎さんは不世出の知の巨人と伊東豊雄さんが評しているよう建築界ではぶっちぎりのトップランナーだったと思う、磯崎作品の好き嫌いはあるにせよ。各紙が報じているように、建築という枠の中には納まらない、思想家という印象が私は強い。