撮影日時190317 06:03AM
いつものようにリビングの窓から朝の空の様子を見る。
昨日(17日)の朝、しばらくの間 形の整った雲が浮かんでいた。
月曜日 新たな気持ちでスタートする一週間。
撮影日時190317 06:03AM
いつものようにリビングの窓から朝の空の様子を見る。
昨日(17日)の朝、しばらくの間 形の整った雲が浮かんでいた。
月曜日 新たな気持ちでスタートする一週間。
■ 『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳/文春新書を読み終えた。
**新政府は万民を統制するために、強力な精神的支柱が必要と考えた。そこで、王政復古、祭政一致の国づくりを掲げ、純然たる神道国家(天皇中心国家)を目指した。この時、邪魔な存在だったのが神道と混じり合っていた仏教であった。**(はじめに 9頁)
なぜ廃仏毀釈、神社と寺院を分離する政策がエスカレートして寺院や文化財破壊にまで及んだのか、著者は全国各地に取材してその実相を明らかにしている。
松本は全国的にみても廃仏毀釈運動が激しかった地域、ということは知っていたが、具体的にどうであったかは知らなかった。本書では松本と苗木(岐阜県東白川村)について1章割いて紹介している。
松本では幕末時に164あった寺院が明治3年、この1年で集中的に廃寺に追い込まれ、8割近くの124ヵ寺が廃寺になったという。当時の知藩事の独断で推し進められたそうだ。明治政府の神仏分離令は神と仏の分離を目的としていたのに、為政者の拡大解釈により破壊行為に至った。
廃仏毀釈運動が激しかった松本、だが浄土真宗の寺院の多くが廃寺を免れているという。正行寺住職の佐々木了綱がリーダーとなって激しい抵抗を示したからだと本書にある。**廃寺帰農を迫る役人に対し、了綱が「政府から神仏分離令が出ていることは聞いているが、廃仏令なるものが出されたというのは本当か」などと理詰めで反論すると、役人は何も言えなくなったという。**(121頁)
また次のように、大町市霊松寺住職、安達達淳のことも紹介されている。長くなるが引用する。**達淳と向き合った岩崎は、(中略)「地獄極楽はこの世に実在しない。あるならここに出してみろ」
達淳は、「ただ今、お目にかけますゆえ、しばらくお待ちを」と返答すると、白装束に身を包んで現れた。そして、脇差を乗せた白木の三宝をすっと岩崎に差し出し、こう述べた。「では、地獄でも極楽でもお見せしましょう。しかし、地獄も極楽もこの世のものではなく、あの世にある。私がこれからご案内して、お見せするから、共に腹を召されよ。(後略)」**(129頁)
達淳はその後も、藩吏から度々廃寺を迫られるが、**「貴官は誰からの命令で廃寺帰農を強制するのか。太政官からか。それはいつどこで出されたものか。末寺は本山と密接な関係にある。本宗の本山とは協議したのか」などと反論し続けた。** (130頁)
達淳は謹慎を命じられ軟禁されるも、密かに上京、太政官に松本藩が勝手に廃仏令を出している旨を直訴したという。権力に阿ることなく、断固筋を通す、この生き方に深く感銘した。
**太政官は、「かくも立派な僧侶がいたとは」と感心し、廃仏令の撤廃を承認したという。**(130頁)このようなことがあって、松本では廃仏毀釈の機運が衰えていったそうだ。
このような出来事を知ることができただけでも本書を読んだ意義があったと思う。さて、次は何を読もう・・・。
1147 安曇野市豊科高家 3脚〇〇型 撮影日190314
■ 長野自動車道 安曇野ICからほど近い住宅街の四つ辻に立つ火の見櫓。踊り場があってもおかしくない高さ。近くに電柱と防災行政無線柱。
屋根は反りのついた円錐形(アサガオ型)。てっぺんの避雷針にリングが突き刺さっている。飾りとしては珍しい形。円形の見張り台の手すりは飾りっけなしで平鋼の手すり子が等間隔に並ぶ。床は金網だろう(現地できちんと確認しなかったが、この写真から判断した。エキスパンドメタルではないと思う)。つるりんちょ(表面が平滑)な半鐘を吊り下げてある。どの方向から見ても電線が邪魔。
脚部 逆U字を少し広げたような形の部材を用いている。これだけのことで脚部がユニークな形に見えるから、デザインはおもしろい。
南信のヤグラー・それがしさんのブログ「火の見櫓をさがして」でこの火の見櫓を知った。感謝。
■ 今朝(15日)もスタバで朝カフェ読書。3日連続だ。
朝7時半前にTSUTAYA北松本店でDVD「007 慰めの報酬」を借りる。文庫と新書のコーナーを覘く。その後となりのスタバへ。カウンターに立つと、女性店員がにこやかに応対(*)してくれた。朝からいい気分。
スターバックスとTSUTAYA
『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳/文春新書 を読み始める。
松本は廃仏毀釈が激しかったところ(過去ログ)だから関心がある。巻末に参考・引用資料が4頁に亘ってリストアップされている。このような本はまず信頼できる。で、週末に読もうと思い買い求めた。
* 対応と応対
朝カフェ読書
■ 一昨日、昨日(14日)と2日続けて朝カフェ。『四千万歩の男 忠敬の生き方』井上ひさし/講談社文庫を読み終えた。
伊能忠敬は一度だけの人生を二度生きた。
50歳で家督を息子に譲り、隠居。それから江戸に出て天文学などを学び、17年もかけて日本全国を歩いて測量し、正確な日本地図をつくった。
自分には仕事をやめてからこのような積極的な活動をして充実した人生を送ることは到底無理。せめて忠敬の生涯を学ぼうと思う。
伊能忠敬記念館に行かなくては・・・。
朝カフェ読書
■ 『伊能忠敬 日本を測量した男』童門冬二/河出文庫を読み終えた。
「日本を測量した男」という副題から伊能忠敬の後半生、日本全国を測量して正確な日本地図を作成する様をメインに描いた作品だと思っていたが、前半生の出来事をメインに描いていた。
著者はあとがきに**「輝かしい晩年を生きるために、前半生でどんな蓄積をしたのか」ということを掘り起こしたい。この本はそういう角度からの伊能忠敬伝である。**と書き、**人間における晩年にやりたいことをやる準備とは、「三つのK」だ。三つのKとは “カネ(経済)・健康・心(精神力)” と結んでいる。まあ、確かにそうだろ、と思う。
*****
『四千万歩の男 忠敬の生き方』井上ひさし/講談社文庫を朝カフェで読む。井上ひさしが伊能忠敬や3人目の女房のお栄さんとの対談するという形式の文章などが収録されていて、なかなか面白い。
忠敬に対する人物評が童門冬二と井上ひさしとでは少し違っているところもあり、やはり複数の本を読まないといけないな、と思った次第。
井上ひさしは第二章人生二山説の「素晴らしきかな伊能忠敬的セカンドライフ」で「前半生の充実と後半生の偉業」という小見出しの文章を書いているが、伊能忠敬の人生を簡潔にして的確に捉えた小見出しだと思う。
明日も朝カフェでこの本を読むつもりだ。
*****
今年は上野の源空寺にある忠敬の墓参りをし、千葉県香取市にある伊能忠敬記念館も訪ねたいと思う。
■ 10日(日曜日)の夕方、北松本駅近くの「ピーナッツ」でFさんといわこすさんに会った。カフェトークしましょう、と私が誘った。
ふたりはカフェ バロの常連さん。時々一緒になり、話しをしていたが、バロが昨年の3月に閉店してからは会う機会がなく、1年ぶりの再会だった。余談だが、いわこすは琴柱(ことじ)の頭部の弦をのせる溝のことで彼女の趣味に由来する仮名。
私からふたりにはこの日の午前中に観た映画「グリーンブック」のこと、昔観た「砂の器」のことなどを話した。ともに「涙映画」。前稿に書いたように「グリーンブック」は感動の涙だったが、「砂の器」は悲しくて涙を流した映画だった。映画の後半、父と子の放浪の旅の様子は涙なしには観ることができない。近々この映画のDVDを借りて観ようと思う。
ピーナッツは初めてだったが、Fさんからバロに代わる新たなサードプレイスとして紹介されていた。
店の壁面に本が並んでいる。読んでみたいと思うようなタイトルの本が何冊かあった。次回は店内の本を読もう。この店が新たなサードプレイスとなるかどうか、まだ分からない・・・。
■ しばらく前から観たいと思っていた映画「グリーンブック」を昨日(10日)観た。
アメリカに人種差別が公然とあった時代(1962年という設定)の実話に基づくものがたり。タイトルの「グリーンブック」とは黒人が利用できるホテルなどの施設を紹介するガイドブックのこと。
黒人ピアニストのドクター・シャーリーは差別が色濃いアメリカ南部へのコンサートツアーを計画し、運転手としてナイトクラブで用心棒のような仕事をしていたイタリア系白人のトニーを雇う。
それまでの暮らしぶりが全く違っていたふたり。対照的なふたりはぶつかることだらけ。だが、車での長旅を続けているうちに次第に打ち解けてお互いを理解し、心を通わせるようになっていく。その過程を様々なエピソード(警察沙汰になるような事件も)を織り交ぜながら描いていく。あまりに理不尽というか、やりきれない差別。コンサート会場のホテルのレストランで食事をすることを断られたり、トイレを使わせてもらえなかったり・・・。天才演奏家のすばらしい演奏はどの会場でも拍手喝采を受けるのだけれど。
映画を観ていて悲しい場面で涙することはよくあるけれど(だから映画は基本的にひとりで観にいくことにしている)、感動の涙というのはあまりない。でもこの映画は感動の涙、涙、涙。感動の涙などという安易な表現は避けるべきだということを自覚していないわけではない。だが、他に相応しい表現が浮かばない。
地味な(地味でもないか)中年男ふたりのロードムービーにこれ程涙するとは。私の涙腺が緩すぎるのか、いやこの映画の表現力のすばらしさのせい、だと思う。
松本山雅 緑のサポーター
浦和 赤のサポーター
ゴール前の攻防
昨日(9日)、甥のM君とアイシティで食事をしてからシャトルバスでサンプロアルウィンへ。松本山雅のホーム開幕戦を観戦した。スポンサー招待券を2枚もらったのでM君を誘ったのだった。偶にはおじちゃんらしいことをしないと。およそ1万9千人の観衆で埋まるスタンド。
何度も浦和のゴールを脅かした松本山雅だったが、前半は0-0。後半、ハンドの判定で与えたPKを難なく決められて失点。結果は0-1で敗戦。
何回もあった(新聞記事によると8回)CKを決めることができなかった。CKを決められなかったのは浦和も同じ。強風のせいなのか、両チームともスマートな展開ができていなかった。どうやら浦和は連係プレーを意図的に捨て、泥臭い、そう、スマートでない展開に持ちこんだようだ。
**内容は互角で、結果は負け。(中略)この構図を覆す努力を続けなければ、J1に生き残る目標は遠ざかっていく。** 新聞に掲載された(*1)選評は厳しい。
*1 信濃毎日新聞3月10日付朝刊19面
撮影日19791010(3枚とも同日)
■ 佐原(現香取市)を訪ねたのは1979年10月10日、古い記録をたどって確認した。小雨模様だったとも記録にある。
当時は民家巡りをしていて、佐原の蔵造りを観に行ったのだった。その時、伊能忠敬が17歳から50歳まで30年余り暮らした旧宅も観ているが、当時は若くて忠敬の生き方に関心を寄せることもなかった。
当時の伊能忠敬旧宅外観(撮影日19791010)。現在はガードレールも撤去され、周辺もきれいに整備されているようだ。
「定活」(定年後の生活の準備活動 就活、婚活、終活に定活を加えるべき、という話を以前ラジオ深夜便で聞いた。過去ログ)を考える歳になり、伊能忠敬の生涯に関心を持った、という次第。
それで2冊の本を買い求めた(井上ひさしの『四千万歩の男 忠敬の生き方』講談社文庫を自室のカオスな書棚に捜したが見つからなかったので童門冬二の『伊能忠敬 日本を測量した男』河出文庫と共に6日の午後コンビニで注文し、8日の朝受け取った。送料・手数料がかからないし、早くて便利だが、書店のことも気になる)。
**緯度一度の正確な長さを知りたい―。忠敬が奥州から蝦夷地にかけての測量の旅に向かったのは、一八〇〇年、すでに家督も譲った五十五歳の春であった。傾きかかった佐原の名家に養子に入って家業を建て直し、隠居後は天文・暦学に精進し、身分の軋轢をはね返し、初めて日本の正確な地図を作成した晩熟の男の生涯の軌跡。**『伊能忠敬 日本を測量した男』童門冬二/河出文庫 カバー裏面の紹介文を引用した。
自分の生き方を見直す契機にしたい(この先なんとなくボーっと生きようとしている、そんな私にチコちゃんに叱られないですむように軌道修正するほどの元気があるだろうか・・・)。
*****
伊能忠敬の墓は上野の源空寺にある。調べるとJR上野駅から徒歩圏内。東京する機会に墓参しよう。
■ しばらくの間「朝カフェ校正」を続けていたが、それが終ったので今朝(7日)は久しぶりに「朝カフェ読書」をした。気分を変えようと、いつもの8人掛けのテーブル席ではなく、別の席に着いた。
『歴史的景観の美』藤岡謙二郎/河原書店(京都)を最後まで読むも内容がよく把握できなかった・・・。書名にとらわれすぎていたのかもしれない。
第九章 むすびにかえて に次のようなくだりがある。**本書がただ単に過去の歴史的景観への追想のための教養書として書いたものだけにとどまらず、一方には明日の都市づくりにたずさわる人々のための教養書をも兼ねていることを述べてむすびとしたい。**(258頁)
*****
なんでも読んでやろう、ということでなんとか読み終えた。
(再)火の見櫓のある風景 松本市笹賀 撮影日時 190303 午前7時過ぎ
■ 現在春季全国火災予防運動の期間中(3月1日~7日)だ。火の見櫓の見張り台に消防団員が立ち、半鐘を叩く。火災警報発令信号で1点と4点の班打。
3日午前7時前に松本市笹賀の火の見櫓に消防団員が登り、ちょうど7時に半鐘を叩く様子を見て、その音を聞いていた。貴重な機会であった。
■ 2月28日付の市民タイムス(タブロイド判の地方紙)に「火の見やぐら役目終え引退」「山形 残る3基 新年度撤去へ」という大きな見出しの記事が載った。
リード文に**長年にわたって山形村を見守ってきた「火の見やぐら」が消滅する見通しになった。(後略)**とある。
**使わないならば撤去をという声がある半面、残して欲しいという人もいる。やぐらの一部や半鐘を残している地域もある。**
記事には新年度一般会計当初予算案に、撤去費用108万円が計上されたとあるから、1基平均36万円ということになる。
新聞に火の見櫓のことが取り上げられることは今までもあったが、これ程大きな見出しの記事を見たのは初めてだ。記事には取材をした記者の氏名が載っているから、来週早々に連絡してなぜこれ程大きく取り上げたのか訊いてみたい。
追記:記事を書いた記者と電話で話をした(3月4日)。
記者は山形村の一般会計当初予算案に火の見櫓の撤去費用が計上されていることに関心を持ち、取材したとのことだった。村消防団長にも取材し、**寂しさは感じるが、時代の流れで仕方がない。地域の安心・安全を守るための人づくりが重要なのは今後も変わらない」**というコメントを得ている。
電話で話をしていて**無くてあたりまえということにやがてなる**という記者のことばにハッとさせられた。確かに、風景から火の見櫓が消えてしまうことにやがてなってしまうだろう・・・。
どのような経緯で私が本を出そうとしていることに話が及んだのか、本ができたら連絡してくださいという願ってもないことばを記者からいただいた。
■ 2月は何かと忙しく、あまり読書に時間が割けなかった。読書は別に義務でもないし、月に1冊も本を読まない学生が大半だという時世、いや時勢を充てるのが正しいのかな、欠かさず読み続けていることに意義あり、としておこう。
『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』小松左京/新潮文庫
小松左京といえば『日本アパッチ族』や『日本沈没』、『首都消失』などが直ちに浮かぶ(過去ログ)。書店で久しぶりに小松左京の文庫本を目にして読んだ。「やぶれかぶれ青春記」という自伝的小説と「大阪万博奮闘記」という手記を収録している。ここに具体的には書かないがどちらも大変興味深い内容だった。これを機会に他の作品もよんでみようかな。
『日本人はどこから来たのか?』海部陽介/文春文庫
アフリカに生まれたホモ・サピエンスはどのようなルートで日本列島に到達したのか。そのルートを実証的に論じている。
第3章 ヒマラヤ南ルート
第4章 ヒマラヤ北ルート
第5章 日本への3つの進出ルート
第6章 対馬ルート、最初の日本人論
第7章 沖縄ルート、難関の大航海
第8章 北海道ルート、シベリアからの大移動
第9章 1万年後の再会
(全11章)
この本がどのような構成になっているのか、それぞれの章がどのような内容なのか、見出しで分かる。これは大事なことだと思う。「火の見櫓っておもしろい(仮題)」はアラカルト的な内容だから、このようにはならないが、仕方ない。
■ このところ「火の見櫓っておもしろい(仮題)」の校正刷り(正しい用語かどうか、写真のような状態の印刷物)に赤を入れる作業を続けていたが、ようやく終えた。
1日(金曜日)、K君にチェック内容をざっと説明し、追加原稿(「火の見櫓巡り余話」、「認識論」)と共に渡した。
今月下旬には今回のチェックを修正した校正刷りが手元に届く予定だ。チェックと修正、この作業をあと3回ほど繰り返せばたぶんまとまるだろう。ほとんどすべてのページに写真が入るが、写真の大きさ、レイアウトがまだきちんと決まっていないページもある。私の希望というか考え方を伝えたが、それがレイアウトに上手く反映されればうれしい。
各章の扉にスケッチを入れたらどうか、というK君のアドバイスで、大型連休中に火の見櫓のある風景のスケッチをするつもりだ。
本のタイトルは? 表紙は? 裏表紙は? そして、どのような方法で世に出すか?