透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「維新の構想と展開」

2017-11-28 | A 読書日記



 先月16日ころ読み始めた『維新の構想と展開』日本の歴史20 鈴木 淳/講談社をようやく読み終えた。隙間時間を充てたこま切れ読書であったから、だいぶ日数を要した。

五箇条の御誓文発布(明治元年)から帝国憲法発布(明治22年)までの期間を扱っているが、詳細な記述で、また知らない人物も多く(知っている人物がかなり少なく)内容を十分理解することはできなかった。やはり私には明治という時代を概観するような本が合っているということが分かった。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』あたりがふさわしいかな・・・。


 


「身体知性」を読んだ

2017-11-28 | A 読書日記


『身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり』佐藤友亮/朝日選書 

 先日(22日)東京に出かけた際、この本を丸善本店で買い求め、興味深く読んだ。以下備忘録。

第3章には「医師の身体」が西洋医学の分析の隙間を補完している という見出しがついているが、この見出しが本書の内容を端的に示している。

著者の佐藤氏は第3章の中で、少ない判断材料で何らかの意志決定をしなければならない状況で、最終的な判断を下す方法には「論理的推論」と「身体感覚的判断」のふたつがあることを示している。身体感覚的判断というのは要するに直感のこと、と解してもたぶん間違ってはいないと思う。普段、私たち一般人は常に論理的推論にもとづいて判断しているわけではなく、「論理的推論」と「身体感覚的判断」このふたつを併用して判断し、行動しているのだが、これは医師にも当てはまると、著者は指摘している。そうなのか、という思いとそうだろうな
という思い・・・。

**西洋医学は、分析に基づく論理を重視していますが、身体という、人間にとって身近だが不確かなものを扱う以上、医師は分析に基づかない判断、簡単に言うと、経験による判断を求められる場合が少なからずあるわけです。**(57頁)と書き、別の頁では**西洋医学は、分析に基づく論理的推論に最も価値を置いています。しかし、臨床現場ではそれだけで太刀打ちできるものではなく、医師の身体感覚的判断(近道思考)に頼らざるを得ないところがあります。(中略)西洋医の医師は科学的分析に基づく整合性の隙間を、自分の生身の身体という不安定なもので埋めています。**(71頁)と書いている。これが西洋医学の分析の隙間を補完しているということの意味だ。

佐藤氏は以上のような論述が読者の誤解を招かないよう、続けて**近道思考とは、決して何も根拠のないところから直感だけで判断を下すものではありません。医師は、不確定要素の多い問題に対して、西洋医学の基盤である分析的知識と過去の経験をベースにして、即座には論理的に説明できないような臨床判断を、自分の身体を介して行います。これは知識や経験をもとに、「機能的な身体感覚」とでも呼べるようなものを用いて行われるものです。**(71頁)と述べている。

**西洋医学の教育は、医師の身体感覚を用いた近道思考が一定レベルで必要であることを認識し、その質が高まるような働きかけをする必要があります。**(72頁)と佐藤氏は主張している。

第4章以降、このことについて詳しく論じている。医師であり、合気道家でもある佐藤氏だからこそ可能な論考なのだろう。