■「花」という対象に対する視点やアプローチの方法は様々だ。画家と植物学者とでは全く異なる。画家は自身の感性によってひたすら花から「美」を抽出しようとする。一方植物学者は知的好奇心に根ざした分析的な視点で、例えば花の構造を把握しようと仔細に観察する。
対象を火の見櫓に変えても同じことだろう。火の見櫓のある場所の雰囲気や風景を捉えようと観察する人も、ぐっと火の見櫓に近づいてその構造や構成要素を分析的に観ようとする人もいる。
言いたいのはどちらが優れているか、ということではない。対象に対する視点やアプローチの方法は人それぞれでいい、ということだ。
ところで、木を見て森を見ないとか、医者は病気を診て人を観ないというようなことが言われる。この批判めいた指摘は複視的に部分も全体もみるべき、ということだ。
趣味で火の見櫓を観察しているのだから、このような指摘など気にすることはない。前述したように、人それぞれでいい。私は先に挙げたふたつの視点で火の見櫓を観察したい。時には火の見櫓のある風景の郷愁を、時にはものとしての成り立ち、システムを。
(過去ログ加筆)
松本市波田中波田の火の見櫓
■ 随分スレンダーで背の高い火の見櫓だ。ブレースが8段、そして踊り場が2ヶ所ある。この位のサイズになると固定荷重(自重)、風圧力、地震力に耐えるように脚部を丈夫に造る必要がある。で、がっちりトラスを組んでいる。
平面形が4角形の櫓に8角形の屋根と見張り台。半鐘が2ヶ所に吊るされている。
トラスを組んでがっちり造っている。前稿で取り上げた三郷温の火の見櫓の簡素な脚部と比べると違いがよく分かる。
この火の見櫓を取り上げるのは2回目(過去ログ)