『黄いろい船』
『どくとるマンボウ青春記』
『どくとるマンボウ途中下車』
『どくとるマンボウ追想記』
『どくとるマンボウ昆虫記』
『どくとるマンボウ航海記』
『夜と霧の隅で』
以上読了
次は
『白きたおやかな峰』新潮社。
その前に『私が源氏物語を書いたわけ』山本淳子/角川学芸出版 を読むことにする。
『黄いろい船』
『どくとるマンボウ青春記』
『どくとるマンボウ途中下車』
『どくとるマンボウ追想記』
『どくとるマンボウ昆虫記』
『どくとるマンボウ航海記』
『夜と霧の隅で』
以上読了
次は
『白きたおやかな峰』新潮社。
その前に『私が源氏物語を書いたわけ』山本淳子/角川学芸出版 を読むことにする。
■ 先週末は富山県氷見市で忘年会だった。その帰路、南砺市井波の瑞泉寺を訪ねた。この寺は本願寺第5世綽如上人(しゃくにょしょうにん)の開創、後小松天皇の勅願所だとパンフレットにある。 勅願所って? 天皇の祈願によって建立された寺のことだとネットで知る。
歴史に強い人なら後小松天皇は室町時代というか南北朝時代の北朝の最後の天皇だと分かるのだろうが、私のような歴史の疎い者はこのことをネットで検索して知ることになる。そしてあの一休さんの父親だという有力な説もあることも知る。へ~、そうなんだ・・・。
太子堂 大正7(1918)年の再建。
山門 文化6(1809)年に上棟式。
本堂と太子堂を結ぶ回廊、繰り返しの美学。
本堂や太子堂の大きくて重厚な造りに圧倒される。太い柱や床の厚い無垢板はケヤキだ。ケヤキの巨木をかなり集めないと出来ない事業であることがわかる。戦前までは今と違って林業が健全だったからできたのだろうが、今はもうこれだけの木材を集めることは不可能に近いのではないか。
昔は富山など北陸地方は政治も経済もそして文化も今よりずっと京との結びつきが強かったのだろう。だからこのような立派なお寺ができたのだと推察する。
井波というところは木彫で有名なところのようで(井波彫刻、知らなかった・・・)、街中に看板を下げている店がいくつもあり、欄間や仏像、工芸美術品などを展示してあった。
富山往復の観光バスの中では昼間っから、いや朝からビール、ビールだった。でもちゃんと古刹の見学もしたのだ。 (^^)v