元日や晴れて雀のものがたり 服部嵐雪
嵐雪は下級武士の子として江戸に生まれる。若いころは不良青年であったとか。21歳ごろ芭蕉に入門し其角とともに才能を認めれてたが、気性が激しく師とのきしみもあったという。芭蕉の死を江戸で聞くと天野桃隣と一緒に大津市膳所の義仲寺に向かい「この下にかくねむるらむ雪仏」の句を残している。元日は晴れわたって、軒端でさえずる雀も晴々としている。
嵐雪は下級武士の子として江戸に生まれる。若いころは不良青年であったとか。21歳ごろ芭蕉に入門し其角とともに才能を認めれてたが、気性が激しく師とのきしみもあったという。芭蕉の死を江戸で聞くと天野桃隣と一緒に大津市膳所の義仲寺に向かい「この下にかくねむるらむ雪仏」の句を残している。元日は晴れわたって、軒端でさえずる雀も晴々としている。