時期はずれの こんなに暑い事務所での作業の合間に
なぜか ポコッ と 心に湧き出た言葉がありました
「 心 の 温 度 」
しばし この言葉を なぜか想っていたのでした
おそらく 巷では ときに使われる言葉かもしれないし
小説やエッセイなどには 何度か登場の 使いコナサレテイル言葉かもしれませんが
フイ と 心に浮かんだもので 私にとっては 初お目見えのものです
17時を過ぎても30度を超えている 事務所内で
なぜか その言葉に虜になってしまっているようなオジイサンが
こんなふうに巷に居たことに 気恥ずかしさを覚えたりしました
生きながらえてきて どうということでもないかもしれない ひとつの言葉にすぎないことのはず
なのに・・
なぜか・・・
遠い昔 中学生の頃
チョットシタはずみで とっても気になる言葉が 数日 自身を包んでいたことがあった?
ようなことがあって 『なんだか あのときの再現のような気がする』 なんぞと
相変わらず成長ゼロの心の持ち主であることだな と 寂しく想ってしまいました
前期高齢者さんにもなっていて なんとも 気恥ずかしいような記事で 申し訳ありません
「心の温度」
その心の持ち主自身が一番 判断できることでしょうが
なぜか 冷え切っているときに限って そのことを自身は気づくことができずに悩み
そんなときこそ 周囲の者が おもん慮ることができるなら さいわいなのでしょうが・・・
・・・以前から 「 い の ち の 電 話 」のことも気になっていて 超高齢化社会のためもあって 運営がタイヘンになっている
とのニュースが心に残り続けているので そんなこともあって
「 心 の 温 度 」
という言葉が浮かんだりしたのか・・・ と思えたりしました
約2年間の研修とか いろいろ関門はあるとのことですが 微力でも いずれ なんとか 運営に係わらせて
いただきたいものだ というようなことを 思ってもいます