おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

教育

2010-08-01 | ■ サマザマな おはなし

情操教育
性教育
人格形成教育
風紀教育
道徳教育
修身教育

そもそも必要なものなのかどうか

道徳・修身などとあらたまって
掲げられると ドキッとするほど
身構えてしまいます

なぜなのか

あらたまった場を設定されずとも
自分の人生の上で これらのことは自己責任で 知りたい範囲で 自分の選択した手法で 必要な限度で あらかじめ設定された結論じみたもの?にとらわれることなく ボンヤリとでも
今の年齢になっても ときには呻吟しながら問い続けていることだからです

特に 性教育
現状はどのようなものが推進されているのでしょうか
あまり論争も聞かなくなり 落ち着きすぎている(教育現場ではそうでもないのでしょうが)ので ときどき フッと思います

自分の子には あらたまっての性教育どころか
人生論とか 道徳論とか 人格形成を意識しての対応など
とは縁が無い ありのままの自分をさらけ出しての子育てだったので 修身論 なんぞと具体的に提案されるとドギマギしてしまいそう

特に思うのは 性教育の是非 というより要否 のこと

自分の幼少期と現代のそれとの決定的な?差異

人生 わけのわからないこともドッサリあり
人間だもの というか 人間だからといって 何から何まで知る必要もなく
知りたかったら放っておいてもそれぞれの知るべき態様に依りながら知るだろうし
それぞれの価値観で理解するだろうし
どうしても理解できずに永遠の神秘で終わることもあるだろうし
悩まされ続けることだっておおいにあるだろうし
その神秘が 人生全うの糧であったりするし

とにかく 今の子たちを見て思うのは 神秘のヴェールの奥のほうに幽かに眺められて なんとも魅惑的・好い意味でのドキドキ
するような困惑感さえすくないというより無さすぎるような・・・
なにからなにまで設定され過ぎているような・・・・

大人の世界ではもはや感じ難い 少年少女のウットリ期さえ
持てていないのかな・・・? という感慨
もっとも そんなようなボンヤリ・ウットリ期なんぞ 人生に不必要
という前提に立つ方には 私の感想は的外れもいいところなのでしょうが



うまく表現できませんが
なぜ夏が好きなのか

私の場合は 何物をも眩ますような 少年期の あの時の
太陽の圧倒的白光と思春期の爆弾とのせめぎ合いの感覚を
忘れ得ないからです

未だに 少年 
人生わからないことだらけ
でも 小学校の校庭でも 中学校の校庭でも 卒後30年経ったときに訪れた北国の校庭でも どこかボンヤリ・ウットリの人生の神秘を 思ってみたりしました
勿論 高等な意味の人生論なんぞと括られる問題としてでなくとも 不思議で不思議でしかたのないことは 放っておいても
つまるところ 思索し続けていることでしょう


心や 感覚それ自体に伝えたいことは
結局は言葉でなく 思いで伝えて 思いで受け止めていくしか
ないのでは と 考えています
つまり 綬業という囲みで教え諭すことは 本来そぐわないこともあるのでは ということ
知識ではなく 情を伝えなければならないのだから 伝える者
の情の形が問われそうだからです(どうにも難しい表現です)



なにがつらいと言って ある意味 究極の査問場面は
我が子に “人生なんてどこが面白いの どんな意味があるの”
と詰問される瞬間でしょうか
さいわい 私はそのようなことは免れたようですが・・・


とにかく とにかく 
親は それぞれの屋根の下にいてくれているのでしょうか
子が ツマラナイとの眼差しのまま
過ぎていく幼少年・青年期に
親として とにかく なにかをしているでしょうか
精神の高揚の経験なんぞ縁もないまま子たちが素通りしていくのを 傍観するばかりの諦めで締め括っていないでしょうか

余計なお世話は承知ですが
あまりにも淋しすぎるような
親も 子もが 多すぎるような気配がして・・・・



なんといっても 授業に代わる最大の教場は
周囲の大人の生き模様でしょうし
子たちに見続けられていくことも
止むなし なのでしょう
つらい時もあるでしょうが・・・・









法曹

2010-08-01 | ■ サマザマな おはなし

私は 主な資格として行政書士とマンション管理士の資格を
活かした仕事をさせていただいております
両者とも まだまだ 公の認知?の浸透度は低いかもしれません
少しでも 実の 価値のある仕事に関わらせていただきながら 認知度を高めたいと日頃努めているつもりです が
先日 ある会合で
これでは まだまだ我が会は真の法曹の世界に近づくなんてことは無理だな
と思い知らされる場面がありました


他国蔑視の差別的発言
を堂々と席上使用し それを問題にした私しにも異議を述べるようなことがありました

いまどき そのような事実が公で問題にされたら
一発免職になるような事例でした
当の発言者は そのあたりの背景をご存じの上か あるいは そもそも問題になるような発言ではないと思っているのか?

2・3日は なんだか虚しいような 残念なような なんともいえない心持

法律に関わる人間として というより 一人間として
戦後盛んに使われた忌まわしい他国蔑視の言葉を いまだに
あのような場で発する心情 到底理解できませんでした

こんなことでは 行政書士会の真の法曹関与団体扱いは
とうてい無理
と 妙に納得してしまったようなことでした
(一個人会員の発言にすぎない といえば そのとおりとも
言えようが とてもショックでした)
そのような団体に 私も籍を置く一人なのか という無念さ

それにしても 人間というものは・・・
日本人がそれほど偉いのか
なんぼのもんナンジャ という感

昨今の日本のあり様
とても とても 世界に範を垂れ得るような生き様なんぞ
ほどとおい巷ニュース・政財界ニュースで溢れています


しょげてばかりはいられませんが
暫し いたいけな子供たちの人生に黙とうさせていただきます

それにしても 想像もできないような 親の そして 巷の常識の
退廃に 唖然とするばかりです