昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(140)<なかま>としゃべる

2012-10-23 04:04:50 | エッセイ
 ひまわり会はゴルフ会だが、楽しいのはゴルフプレイだけではない。
 19番ホール、つまりアフターのしゃべりが楽しいのだ。
 今回は泊まりだったから、バスの中とか、前夜とか、機会が豊富にあった。
 
 電子レンジで加熱できるのはマイクロ波が水に反応するんだという専門知識のご披露から、水の不思議、軽水と重水があることから原発につながり、核廃棄物の恐怖へと展開。
 さらに外国に進出した工場の責任者として派遣された時の苦労話などの体験談から、お定まりの政治、経済問題、そして飲むほどに酒にからむ失敗談、連れ合いがからむ暴露話にまで及ぶ。

 インターネットに話は及んで、Hなサイトにアクセスできるが、ツイッター、とかフェースブックとか、怖い面もあるという話になる。
 
 ぼくのブログも話題になったが、毎日アップしているという点で、糸井重里氏のブログがいいよ、と推薦した。

 思い出して久しぶりに彼の<ほぼ日刊イトイ新聞>を開いてみた。  
 やはり、彼はいいことを言っている。

 社会というのは「ひとり(じぶん)」と、「なかま」と「おおぜい」でできています。
 人は「おおぜい」の前では、見せたい「じぶん」を見せるようにしています。
 でも、「なかま」といる間は、見せたい「じぶん」であり続けることはできません。 
 だから、そこではある意味バカがばれているのです。
 しかし、ネット社会のなかというのは、「ひとり」と「おおぜい」の直接のつながりです。
 そこでは、ゆだんや、ふだんを見せずにいられます。
 ・・・凶悪そうなネット犯罪の犯人が、捕まえてみたら意外なほどちっぽけな人間だったりすることがありますが、それも、「ひとり」と「おおぜい」の間では王様のようにふるまい続けられていたんですよね。
 バカがばれていることが、とても大事なのです。
 誰も王様なんかじゃないことが大切です。
「なかま」をショートカットできるネット社会では、じぶん自身が、じぶんのバカを知ることが、もーのすごく重要なことだと思うんですよね


 退職して粗大ごみ化しそうだった自分が、家内から外へ放り出され、同窓会組織で幹事役をやったり、小学校で囲碁教室や書き方教室に参加したり、地域社会の集まりに顔を出すようになって、そうした<なかま>のなかで、ひとりよがりだった<じぶん>のバカさを露わにすることで、最近<じぶん>が浄化され、活性化してきたような気がしている。