昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(138)文明の進化路線に逆らえるか(40)仕切られた自由

2012-10-02 05:11:30 | エッセイ
 昨日、東京駅丸の内駅舎がグランドオープンした。
 
 前にある丸ビル5階の展望デッキからこの全景が見えるそうだ。
 
 この辺りは明治維新後陸軍の施設が置かれ、明治20年代に麻布、赤坂に移転するに際し売りに出され、一括して三菱が購入した。
 ここに今でも残る赤レンガの三菱一号館が建てられ、同じような赤レンガのビルが立ち並び<一丁倫敦>と呼ばれた。
 その後赤レンガビルは鉄筋コンクリートになり、百尺規制により31メートルのビルがお堀端に立ち並んだ。
 さらに最近は丸ビル、新丸ビルも高層化し、レンガ造りの三菱一号館、記念館の背後には157メートルの<丸の内パークビルディング>が立ち上がっている。
 
 
 ここらを歩くと文明の発達の素晴らしさを実感できる。

 しかし、ふと頭をよぎったのは、1974年に旧三菱重工ビルが東アジア武装戦線の<狼>によって仕掛けられたペール缶爆弾で爆破された事件だった。
 
 何人かの死傷者が出たと思うが、窓ガラスが粉々になって散乱していた惨状が忘れられない。

 それから40年あまりの歳月が経過し、物質的な文明はさらに発展したかに見えるが、人間の愚かな行為は旧態依然である。
 尖閣問題の中国の暴力デモ、中東におけるデモも暴力化している。
  
 山内昌之氏(明治大学特任教授)が言っているが、中国にしても中東にしても、為政者批判は許さないが、相手次第では暴力や破壊行為さえ容認するといういわゆる<仕切られた自由>というのが問題だ。

 <仕切られた自由>というのは、中国に関して言えば、急進的な民衆運動が日本批判の枠を超え、中国の抱える所得格差や高失業率への不満や共産党指導部の蓄財や特権への批判に転化するなら、表現の自由が抑圧されるような構造だ。
 これは、為政者批判を許さずに、イスラエル批判なら、無制限の表現や行動を許したアラブ諸国の<仕切られた自由>に似ている。は
 これでは暴力の連鎖に歯止めがかからない。
 人類全体の課題であるとも言える。

 特に中国は、江沢民前国家主席が力を入れた愛国教育によって反日意識が助長され、日本に対する暴力と破壊を正当化する心理的な構造が出来上がっていることが問題なのだ。  
 中国にしても、韓国にしても過去の日本の行為を問題にするが、むしろ過去に学び現在の行為に生かしていくことが肝要なのではなかろうか。

 人類が平和的な生活を享受することを願うのであれば、この点に深く留意してお互いが遺恨を積み重ねることのないよう、日本としては根気強く強く主張していかなければならない。