昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

言葉(12)アイリッシュ・死の治療椅子

2012-04-09 05:37:13 | 言葉
 言葉(9)でも述べたが、ぼくは美文調のアイリッシュ節にはまっている。
 デートの描写のように甘いものより、死体発見現場の描写の方により持ち味が出ている。

 <死の治療室>より。
 そこまでは彼らにとっては純粋たるきまり仕事だったのだが、診察をおえた救急医がカバンをさげてあらわれ、あとからスティーヴがつづいて出てきたいま、事情はかわった。
 救急医はスティーヴにはなにもいわず、警官に、「心臓じゃなかった」といった。「署に電話して検視官をよんだほうがいい。捜査員を二、三人連れてくるかもしれん」
「どうしたというんです」スティーヴはつとめて平静をよそおったが、あまりじょうずではなかった。警官はすでに受話器をつかんでいた。
「自然死じゃないね」救急医はぶすっといった。それいじょうはいわない。肩をすくめたのが、・・・わたしの仕事じゃないよ・・・という意味だった。
 帰りがけ、スティーヴのほうを妙な目つきで見たような気がした、仰々しい鈴がまたジャラジャラ鳴って、医者の出たあとにドアはしまった。
 そのあと警官は、目に見えて不愛想になり、ドアの横にがんばって、見張り然とかまえた。 いちどスティーヴが、なにかで診察室へはいりかけると、マスティフ犬が骨をくわえたみたいなかたちに上唇があがり、うなるような声で警告した。「おちつくんだな」
 なかなか好漢だ──おなじ垣根内にいるかぎり。
 検視官と<捜査員二、三人>は、まもなくかけつけた。なんだかエネルギッシュな不動産屋たちという感じだが、わたしは刑事とひとつ部屋にはいるのははじめてだった。


 昨日、わが作品<レロレロ姫>について、プロの編集者から厳しくも衝撃的なアドバイスをいただいた。
 「はやぶさ」への関心や「宇宙本の売り上げ」が示すように、「地球外生命への関心」「宇宙からのメッセージ」が、時代の要請・新しいパラダイムになりつつある。この物語のテーマは”現代的”といえる。
 とした上で、<意味>や<論理>に頼りすぎ。小説は”イメージ”で示すもの。すべて描写によって示されないと・・・、と、懇切なご指摘をただいた。
 まさにぼくにとっては衝撃的なアドバイスだった。
 才なき身で、難しい課題ではあるが、改造に向けて最後のチャレンジをしてみたい