昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(308)三鷹市民大学・暮らしの中の美意識(1)谷崎潤一郎「陰翳礼賛」

2018-11-03 02:42:26 | 三鷹通信
 三鷹市民大学「日本の文化コース」今日の講義は大久保喬樹東京女子大名誉教授の「暮らしの中の美意識・谷崎潤一郎の陰翳礼賛」である。
 
 谷崎潤一郎は、江戸っ子、それも下町っ子であり、明治の日本国家創設期の反動で、いわゆる大正デモクラシーの時代背景のもと、当初は耽美主義、マゾヒズム、江戸文明への憧れを持っていた。アメリカのエログロナンセンス映画にも魅かれていたようで、最初の作品は「刺青」
 肉体的女性像を描いた甚だ刺激的な作品であった。
 それが、1923年9月1日の関東大震災を境に、一変する。
 
 関西に移り住むことになり、それまでバカにしていた関西の土着文化に惹かれるようになる。
 昭和3年に発表した「蓼食う虫」
 は、文楽に興味を持つ老人夫婦を描いて、古風なわびさびの世界に関心を抱くようになる。・・・文楽の背景の闇に注目している・・・
 
 そして1939年に「陰翳礼賛」を発表する。
 ・・・私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしていかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。・・・
 日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂いや苔の匂いのして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持ちは、何とも云えない。・・
 

 (西洋式のトイレは衛生的かもしれないが「風雅」や「花鳥風月」とは全く縁が切れてしまう。そんなにぱっと明るくておまけに四方が真っ白な壁だらけでは、漱石先生のいわゆる生理的快感を、心ゆく限り享楽する気分になりにくい)
 ・・・分けてもあの、木製の朝顔(便器)に青々とした杉の葉を詰めたのは、眼に快いばかりでなく些かの音響も立てない点で理想的というべきである。

 古の工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を描く時は、必ず暗い部屋を念頭に置き、乏しい光の中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび上がる工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。
 つまり、金蒔絵は暗い所でいろいろの部分がときどき少しづつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ余情を催すのである。
 ・・・私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたたかい温味とを何よりも好む。

 
 ・・・・もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。なぜなら、そこにはこれと云う特別なしつらえがあるのではない。要するにただ清楚な木材と壁とを以って一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。にも拘らず、われらは落懸のうしろや、花活けの周囲や、違い棚の下などを填めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。思うに西洋人の云う「東洋の神秘」とは、かくのごとき暗がりが持つ不気味な静かさを指すのであろう。・・・

 そして谷崎は戦中戦後にかけて(1942年~48年)「細雪」を発表する。
  
大阪の旧家を舞台に4姉妹の日常生活を絢爛でありながらも挽歌的な切なさも醸し出しており、映画、舞台、テレビにも取り上げられやすい題材だ。
  


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