昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(35)史上最大地震の余波

2011-03-12 06:22:00 | 三鷹通信
 昨日の午後3時以降、話題はすべて<国内観測史上最大M8.8地震>一色である。

 ぼくは昨日の2時45分ごろテレビの国会中継を見ていた。
 突然、ピーッ、ピーッという警戒音とともに地震予知情報の画面が割って入ってきた。
 一瞬、テスト情報かなと思ったが続いて大津波警報が流れてきて、本物と認識したが、ここからは遠い地域の出来事だと楽観していた。
 ところがそう思う間もなく、自身が揺れだした。
 ・・・オッ、予知情報が先に来た、スゴイ・・・が第一感だった。

 しかし、簡単には揺れが収まらない。すくなくとも東京では体感したことがない大地震だ。隣の部屋から物が落ちる音がする。
「たいへんよ!」家内が奥から出てきて玄関の扉を開けた。
「すごいですね!」同様に外へ飛び出してきたひとたちと声を交わしている。
 ぼくの部屋の書棚はぎっしり詰まっている状態なので本が落ちてくることはなかったがなかったが、七転八起のダルマの置物が横を向いている。

 3時に歯医者の予約を入れていたので、すぐにも出かけなければならない。
 止めようかと思ったが、余震も収まってくる感じなのであえて出かけた。
 歯医者では医者とふたりの看護婦、ふたりの患者がロビーで大型テレビの地震情報を見ている。
「こんなの初めて、心臓が止まりそう」ひとりの看護婦。
「新潟地震のことを思い出した」ともうひとりが床に腰を落としている。

 それでも余震が収まったところで無事治療は完了した。
 家へ戻ると家内が後始末をしている。
 手伝ってから、今日が期限の本を返しに図書館に向かう。

 階段を下りたところで、奥さんが「お出かけですか?」と声をかけてきた。
「吉祥寺の保育園に預けている子どもを迎えに行かなければならないんですが、電話も携帯も繋がらないんです。緊急時の電話番号ってご存知ですか?」
 バギーカーなども用意して扉の外へ出て、どうすべきか迷っているようだ。
 いろいろ話を交わしたが、「お役にたたなくてスイマセン」と失礼することになった。
「いいえ、聞いていただいただけで安心しました」と若い奥さんはとりあえずお迎えに行くことにしたようだ。

 図書館に向かう途中で、立て札を持った先生に引率された防空頭巾をかぶった小学生の一団に遭った。
 図書館の帰りに戻ってきた先生と一人のお母さんが話している。
「子どもたちをお宅にお届けしたのですが、ご家族が不在のお子さんは体育館でおあずかりしておりますので・・・」
 三鷹市の緊急時における小学校の対応を心強く思った。
 なお、図書館は閉館していた。
 おそらく、地震で本棚から落ちた本の処理で緊急閉館となったようだ。

 心配していた近くに住む娘は、会社を早退して子どもを保育園から引き取って無事帰宅していた。婿の方は新宿から歩いて帰ると連絡があったそうだ。
 けっきょく彼は途中で自転車を買ってそれに乗って帰ってきたようだが。

 翌日、朝早く横浜の麻雀仲間からメールが入っていた。
 都内にいて帰れなくなっていた奥さんを、車で往復8時間かけて迎えにいってきたそうだ。「みなさんになにか問題がありましたらお手伝いにあがりますので、ご用命ください」と締めてあった。
「何と親切な方がいるんでしょう。ありがたいことね」とウチの家内。

 今日のテレビで「国内観測史上最大M8.8の大地震、死亡・不明は1000人を超える」と報じられている。
 神戸地震の時と同じだ。
 どのくらいの被害にふくれあがるのか心配だ。
 いま、また少し揺れた。