昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(27)ある大先輩の死(2)

2009-10-20 06:59:39 | エッセイ
 軍隊の組織の中では、彼らは人間ではなく、兵器、弾丸の類としての価値にしか見られていなかったのでは、とHさんは述懐されている。

 そんな彼も戦地フィリピンに送られる時がきた。
 名残にと映画を見ていた時、長い刀を引っ張る者がいた。
 ふり向くとかわいい女性だった。
 彼は彼女の家へ誘われ、炬燵に入って話をした。
 いざという時にもんぺがなかなか下ろせなくてイライラする。
 そのうちに空襲警報が鳴り響き、白けてしまってことを成すには至らなかったと言うが・・・。

 その後、フィリピンから沖縄に戻される。
 米軍の総攻撃の前夜、沖に何百隻もの艦隊が海面を被い尽くしている。

 

 48インチ砲からまず光が見え、轟音がとどろき、ドラム缶なみの砲弾が目前に迫ってくる。
 それが50万発以上打ち込まれたという。
 10発中、4発は不発弾で、50年経った今でもその処理にかかっているそうだ。
 ちなみに、日本の火薬技術の方が上だったという。

 急遽、作戦に関わった者が集められ、秘密書類を携行して、12時間かけて板付まで逃れた。
 敵のグラマンなどの飛行機がうんかのごとく飛び交っていたが、彼らの急降下能力がないのに目をつけて、150~200メートルという低空を飛び続け回り道したので時間がかかった。

 彼は末席だったが、作戦参謀の一員だったのが幸いし九死に一生を得た。
 結果的には、入営訓練後のテストの成績がよかったことが幸いしたのだ。
 成績の悪いものから条件のよくない戦地へ送られたのが現実だったと、彼はしみじみとつぶやいた。

 ─続く─