昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

金沢便り(12)犀川に育てられた

2009-06-26 05:03:54 | 金沢便り
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」
「夏の日の匹婦の腹に生まれけり」
「清き水は流れたり 吾その近くに住めり」

 室生犀星はオカンボ(妾)の子として犀川の辺で育った。
 彼の子ども時代は必ずしも幸せなものではなかった。
 むしろ苦いものだった。

 百万年前は海の底だったという<犀川百万年のロマン>と題する写真が金沢の友人から送られてきたので6月22日ブログに載せたところ、幼少時代を犀川で過ごした人たちからその思い出が寄せられた。

 *特に夏は下流の湧き水がきれいで冷たい池状のところで泳いだ。
 *釘を加工した銛で魚を獲り、帰り道で熟したトマトを失敬して食べた。

 *手ぬぐいを股にはさみ、ズボンのベルトで前後を留めて水着にした。
 *周りに人が少ない時はフリチンで。
 *鉄橋の下の渦巻きに飛び込むと、きれいに身体が回転する。

 *竹細工のブッテ(三角網)を仕掛け、石をハ状に並べて下流からみんなで追い立てる。
 *白いガイシにタコ紐、針、みみずを付けて水中に放置、しばらくして引き上げるとウグイなどが掛かっている。
 *夏に川が干上がって、あちこちが池のようになり、鮎などオロニガミ(手で掴む)だ。

 *鮎は毛ばり釣り。天候、水の具合で針を選択するのだが2本しか持ってなかった。
 *長い竿の先に鮎が銀鱗を光らせるのが夕日を背景に目に浮ぶ。

 *鉄橋の線路から下に入り、列車の通過を待つ。通過する列車が川に映画のように投影される。

 *女の子は3ヶ所にゴムの入ったズロース1枚で泳いだ。
 *親に見つかると叱られるのでスカートの下にズロースを忍ばせて出かける。
 *髪の毛はちゃんと乾かして、何気ない顔をして元気よく「ただいま!」と帰った。

 *犀川に魚が押し寄せて来ていると聞き、日本手ぬぐいを持って走ったこともあった。
 *速い流れに押し流されて溺れそうになったこともあったっけ。

 *脱ぎ捨てて置いてあったはずの服が盗まれて、大騒ぎになった。その後、どうやって帰ったのだろう???。

 こうして犀川と戯れたみんなは立派な社会人になった。

 犀星は犀川で友だちと遊んだろうか?
 ひょっとして遊べなかったことをバネに成長したのかもしれない。

 文壇に名を成した後も、彼は金沢に戻ることはなかったと言われている。
 しかし、犀川の写真をいつも手元に飾っていたとも聞いている。

 いずれにしても、我々は犀川に育てられた。