昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(4)笑いをふるまう親爺

2009-06-17 04:07:32 | 三鷹通信
 シニアグループでネット囲碁を立ち上げたメンバーの一人で、現在は雑談会の仲間であるおふみさんが『笑いをふるまう親爺』というなかなか楽しい本を出版されたのでここに内容の一部を紹介する。

 学生時代に覚えた碁を打ちたいが、仕事を始めてからは相手がいない。
 駅からアパートへの帰り道に『碁』の看板がある。一度は入ってみようかと、何時も立ち止まるが入れない。
 ある日、二階の『碁』の看板を眺めていると、上がりかけていた初老のおじさんが、「碁を打つのか。入ろう」と声をかけてくれた。
 その言葉に誘われ、思い切って階段をのぼった。

 ・・・彼女はそのとき以来、その碁会所で知り合った『師匠』と呼ぶ親爺(電気工事店を営んでいた)と、彼が92歳で亡くなるまでの30年にわたり、男女の関係でも親子の関係でもないが得がたい交遊を結ぶ・・・

 ある日、碁会所に行くと、そのおじさんが囲碁新聞を片手にプロの棋譜を並べており、近づくと、「好きなだけ置け、教えてやるよ」

 ・・・彼女はこうして7子を置いて、初めて彼に囲碁の教えを受けた・・・

 気が付くと既に置石の威力はなくなっている。
「ありがとうございました。負けですね」
「碁も女も同じだよ」「え」「べたべたくっ付くと、扱いやすいよ。遠くからじっくりと攻めることを覚えな。君の碁は白の要求に『はいはい』と答えているだけだ。ボーイフレンドも同じだ。相手の言うとおりにしていたら、敵の思う壷にはまってしまうだろ」と、言いながらトイレに立った。

 トイレから戻ってくるおじさんを見ると、「社会の窓」が半分開いている。
 恐る恐る「おじさんチャックが半分開いているよ」と言うと、「そうか、何時なんどき、どんな美人に会うかわからないから、急場に間に合うようにあけておいたのだ」と。

 ・・・月日も経て彼女は上場企業の技術課長の要職から閑職へと配置転換になった・・・

「明日から碁会所に顔を出すから、待っていてね。末永くよろしくお願いします」と、私はおどけて頭を下げた。
「分かった。今日は俺のおごりで飲もう」

 ・・・しばらくとりとめもない会話をした後、師匠は手洗いに立った・・・

 手洗いから帰ると、「ふみ、断っておくが、俺は、金も男の機能もないから、何もしてあげられないぞ」「なに、それ」
「要するに、ダイヤモンドとか、子作りはだめだということだ」「なーだ。トイレでそんなことを考えていたの」と私は笑い出した。
「お前が『末永くよろしくお願いします』なんて言うからだ」
「今までどおり、ゴルフをしたり、週末には、競輪に行ったりしてしてくれればいいのよ」

 ・・・おふみさんの家に混血のアメリカの女子学生が居候することになった。さっそく親爺を交えて彼女のパーティを開いた・・・

 英語と日本語の入り混じった会話が続き、パトリシアが師匠に「奥さんはどうしているの」と尋ねた。師匠は「ワイフ、フィニッシュ」と、右手の人差し指を高々と天井に向けた。
「アイ・シー。ロンリー?」「師匠『寂しくないか』と聞いているよ」
 すると師匠は両手で涙を流す振りをした後、「エブリ、ナイター、こうだ」と、
ひざを抱えて横になった。「おじいちゃん、家族は」「ミー、ワン、子どもアウエイ」と、遠くを指した。
 
 ・・・師匠は酔いもまわり、得意の演歌を数曲披露して帰ることになった・・・

「おじいちゃん、今日は、ここに泊まっていったら」とパトリシアが誘うと「ワイフ、ウエイト」と仏壇にお参りする仕草をした。
 帰宅途中の車の中で、師匠は「おふみ、彼女美人だな」「混血児だからね」「俺、彼女と結婚することになった。話は半分きまったぞ」「まさか」「本当さ。昔、吉永小百合や山本富士子との結婚も、話は半分までまとまったが、後の半分がだめだった」
「冗談もほどほどにしなさい。この酔っ払い」
「俺はうそは言ってないよ。俺のほうはオーケーなのだが、後は相手次第だから、半分は決まっているだろう」

 ・・・すべてがこんな調子である。愉快な親爺とふみとの笑いに満ちた前向きの生活が描かれている。シニアの余生はかくあるべきという見本かもしれない。
 詳細はhttp://www.fsino.comへどうぞ。