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墨子 巻十五 迎敵祠(原文・読み下し・現代語訳)

2022年12月11日 | 新解釈 墨子 現代語訳文付
墨子 巻十五 迎敵祠(原文・読み下し・現代語訳)
「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《迎敵祠》:原文
敵以東方来、迎之東壇、壇高八尺、堂密八。年八十者八人、主祭青旗。青神長八尺者八、弩八、八発而止。将服必青、其牲以雞。敵以南方来、迎之南壇、壇高七尺、堂密七、年七十者七人、主祭赤旗、赤神長七尺者七。弩七、七発而止。将服必赤、其牲以狗。敵以西方来、迎之西壇、壇高九尺、堂密九。年九十者九人、主祭白旗。素神長九尺者九、弩九、九発而止。将服必白、其牲以羊。敵以北方来、迎之北壇、壇高六尺、堂密六。年六十者六人主祭黒旗。黒神長六尺者六、弩六、六発而止。将服必黒、其牲以彘。従外宅諸名大祠、靈巫或禱焉、給禱牲。
凡望気、有大将気、有小将気、有往気、有来気、有敗気、能得明此者可知成敗、吉凶。挙巫、医、卜有所、長具薬、宮之、善為舍。巫必近公社、必敬神之。巫卜以請守、守獨智巫卜望気之請而已。其出入為流言、驚駭恐吏民、謹微察之、断、罪不赦。望気舍近守官。牧賢大夫及有方技者若工、弟之。挙屠、酤者置廚給事、弟之。
凡守城之法、縣師受事、出葆、循溝防、築薦通塗、脩城。百官共財、百工即事、司馬視城脩卒伍。設守門、二人掌右閹、二人掌左閹、四人掌閉、百甲坐之。城上步一甲、一戟、其賛三人。五步有五長、十步有什長、百步有百長、旁有大率、中有大将、皆有司吏卒長。城上當階、有司守之、移中中處澤急而奏之。士皆有職。城之外、矢之所遝、壞其牆、無以為客菌。三十里之内、薪、蒸、水皆入内。狗、彘、豚、雞食其肉、斂其骸以為醢腹、病者以起。城之内薪蒸廬室、矢之所遝皆為之涂菌。令命昏緯狗纂馬、掔緯。静夜聞鼓聲而譟、所以閹客之気也、所以固民之意也、故時譟則民不疾矣。
祝、史乃告於四望、山川、社稷、先於戎、乃退。公素服誓于太廟、曰、其人為不道、不脩義詳、唯乃是王、曰、予必懷亡爾社稷、滅爾百姓。二三子夙夜自厲、以勤寡人、和心比力兼左右、各死而守。既誓、公乃退食。舍於中太廟之右、祝、史舍于社。百官具御、乃斗鼓于門、右置旂、左置旌于隅練名。射参発、告勝、五兵咸備、乃下、出挨、升望我郊。乃命鼓、俄升、役司馬射自門右、蓬矢射之、茅参発、弓弩継之、校自門左、先以揮、木石継之。祝、史、宗人告社、覆之以甑。

字典を使用するときに注意すべき文字
密、深也。 ふかさ、転じて、ひろさ、の意あり。
當、又主也、任也。 つかさどる、まかす、の意あり。
起、舉也。 あげる、かかげる、の意あり。
弟、順也、言順於兄。 したがう、の意あり。


《迎敵祠》:読み下し
敵が東方を以って来ば、之を東壇に迎え、壇の高さ八尺、堂の密(ひろさ)は八。年八十の者八人、祭を青旗にて主(つかさど)り、青神(せいしん)の長さ八尺のもの八、弩は八、八を発し而して止む。将に必ず青を服(き)、其の牲(いけにへ)は雞(とり)を以ってす。敵が南方を以って来ば、之を南壇に迎え、壇の高さ七尺、堂の密(ひろさ)は七、年七十の者七人、祭を赤旗にて主(つかさど)り、赤神(せきしん)の長さ七尺のもの七。弩は七、七を発し而して止む。将に必ず赤を服(き)、其の牲(いけにへ)は狗(いぬ)を以ってす。敵が西方を以って来ば、之を西壇に迎え、壇の高さ九尺、堂の密(ひろさ)は九。年九十の者九人、祭を白旗にて主(つかさど)る。素神(はくしん)の長さ九尺のもの九、弩は九、九を発し而して止む。将に必ず白を服(き)、其の牲(いけにへ)は羊を以ってす。敵が北方を以って来ば、迎之を北壇に迎え、壇の高さ六尺、堂の密(ひろさ)は六。年六十の者六人の祭を黒旗にて主(つかさど)る。黒神(こくしん)の長さ六尺のもの六、弩は六、六を発し而して止む。将に必ず黒を服(き)、其の牲(いけにへ)は彘(てい)を以ってす。外宅の諸名(しょめい)大祠(たいし)を従(うつ)し、靈巫(ふれい)の或るは禱(いの)らば、禱牲(とうせい)を給(きゅう)す。
凡そ気を望み、大将(たいしょう)に気有り、小将(しょうしょう)に気有る、往(おう)に気有り、来(らい)に気有り、敗(はい)に気有り、能く此を明らかにすることを得る者は成敗、吉凶を知る可し。巫(ふ)、医(い)、卜(ぼく)の、長ずる所の有るを挙げ、薬を具(そな)へて、之を宮し、善く巫(ふ)を舍(しゃ)するを為すには、必ず公社(こうしゃ)に近くし、必ず之を敬神(けいしん)す。巫卜(ふぼく)は守の請(しょう)を以ってし、守の獨り巫卜(ふぼく)の之の請の望気を智(し)る而已(のみ)。
其の出入して流言(りゅうげん)を為し、驚駭して吏民を恐れしむるは、謹みて之を微察(びさつ)し、断じて、罪を赦(ゆる)さず。望気する舍(しゃ)は守の官に近くす。賢(けん)大夫(たいふ)及び方技(ほうぎ)有る者若(も)しくは工(こう)を牧(やしな)ひて、之を弟(したがは)す。屠(と)、酤(こ)の者を挙げて廚(ちゅう)を置き事(こと)を給して、之を弟(したがは)す。
凡そ守城の法、縣師(けんし)の事を受け、葆(ほう)を出でて、溝防(こうぼう)を循(めぐ)り、通塗(つうと)を築薦(ちくせん)し、城を脩(おさ)む。百官は財を共(きょう)し、百工は事に即(つ)き、司馬は城を視て卒伍を脩(おさ)む。守門を設け、二人は右閹(うえん)を掌(つかさど)り、二人は左閹(さえん)を掌(つかさど)り、四人は閉(へい)を掌(つかさど)り、百甲は之に坐す。城上に步は一甲(こう)、一戟(げき)、其の賛(さん)は三人。五步に五長有り、十步に什(じゅう)長(ちょう)有り、百步に百長有り、旁(ぼう)に大率(たいすい)有り、中(ちゅう)(中軍)に大将有り、皆に司吏(しり)卒長(そつちょう)有り。
城上の階(かい)の當(つかさ)に、有司は之を守り、中(ちゅう)を中處(ちゅうしょ)に移し急(はやき)を澤(えら)びて而して之を奏す。士の皆に職は有り。城の外、矢の遝(およ)ぶ所、其の牆(しょう)を壞(こぼ)ち、以って客が菌(きん)と為すこと無し。三十里の内、薪(しん)、蒸(じょう)、水(さけ)は皆を内に入れる。狗(く)、彘(てい)、豚(とん)、雞(けい)は其の肉を食として、其の骸(ほね)を斂(おさ)めて以って醢腹(かいふく)を為(つく)り、病者を以(し)て起(あ)げむ。城の内の薪(しん)蒸(じょう)廬(ろ)室(しつ)、矢の遝(およ)ぶ所、皆は之に涂菌(ときん)を為す。昏(くれ)に狗(いぬ)を緯(つな)ぎ馬を纂(つな)ぎ、掔(かた)く緯(つな)ぐことを命(めい)じ令(し)む。静夜(せいや)に鼓聲を聞きて而して譟(さわ)ぐは、客の気を閹(おお)ふ所以(ゆえん)にして、民の意を固くする所以(ゆえん)なり、故に時に譟(さわ)げば則ち民は疾(や)まず。
祝(しゅく)、史(し)は乃ち四望(しぼう)の、山川、社稷(しゃしょく)に告げ、戎(じゅう)に先きだちて、乃ち退く。公は素(そ)を服(ふく)して太廟(たいびょう)に誓って、曰く、其人の不道を為し、義詳(ぎしょう)を脩(おさ)めず、唯(ただ)乃ち是の王の、曰く、予(よ)は必ず爾(なんじ)が社稷(しゃしょく)を亡(ほろぼ)し、爾(なんじ)が百姓を滅(ほろぼ)さむことを懷(おも)ふ。二三子は夙(しゅく)夜(や)に自ら厲(はげ)み、以って寡人(かじん)に勤(つと)め、心を和し力を比し兼て左右し、各(おのおの)は而(なんじ)の守(しゅ)を死(し)せよ。既に誓ひ、公(こう)乃ち退食(たいしょく)す。中(ちゅう)(中軍の大将)は太廟(たいびょう)の右に舍(しゃ)し、祝(しゅく)、史(し)は社(やしろ)に舍(しゃ)す。百官は具(とも)に御(ぎょ)し、乃ち門に斗鼓(とこ)し、右に旂(き)を置き、左に旌(せい)を置き隅に練名(れんめい)あり。射を参(みたび)発し、勝を告げ、五兵に咸(い)は備(そな)はり、乃ち下り、出でて挨(ま)ち、升(のぼ)りて我(おのが)が郊(こう)を望む。乃ち鼓を命じて、俄(にわ)かに升(のぼ)らせ、役(えき)司馬(しば)は門の右(みぎ)自(よ)り射(い)をし、蓬矢(ほうし)は之を射(い)、茅(はた)を参(みたび)発(ふ)り、弓弩(きゅうど)は之を継ぎ、校(こう)は門の左(ひだり)自(よ)りし、先づ以って揮(き)をし、木石は之に継ぐ。祝(しゅく)、史(し)、宗人(そうじん)は社(やしろ)に告げ、之を覆(おお)ふに甑(そう)を以ってす。


《迎敵祠》:現代語訳
注意:軍事用語については、「墨子 巻十六 墨子軍事用語集」を参照してください。

敵が東方から攻め来れば、これを東壇で神を迎え祀り、壇の高さは八尺、堂の広さは八尺とする。年八十の者を八人、祭を青旗により司り、青神を現す旗の長さ八尺のもの八本、弩は八弓、八を発声し、そして終わる。この時、必ず青の服を着、その犠牲には雞を用いる。敵が南方から攻め来たら、これを南壇で神を迎え祀り、壇の高さは七尺、堂の広さは七尺とする。年七十の者を七人、祭を赤旗により司り、赤神を現す旗の長さ七尺のもの七本、弩は七弓、七を発声し、そして終わる。この時、必ず赤の服を着、その犠牲は犬を用いる。敵が西方から攻め来れば、これを西壇で神を迎え祀り、壇の高さは九尺、堂の広さは九尺。年九十の者を九人、祭を白旗により司る。素神を現す旗の長さ九尺のもの九本、弩は九弓、九を発声して終わる。この時、必ず白の服を着、その犠牲は羊を用いる。敵が北方から攻め来れば、これを北壇で神を迎え祀り、壇の高さは六尺、堂の広さは六尺。年六十の者を六人の、祭を黒旗により司る。黒神を現す旗の長さ六尺のもの六本、弩は六弓、六を発声して終わる。この時、必ず黒の服を着、その犠牲は猪を用いる。郊外の社にある諸名大祠を城内に遷し、靈験ある巫女が、あるいは、勝利を祈るのなら、壽の犠牲を給付する。
およそ、気を望み、大将に気が有り、小将に気が有り、往に気が有り、来に気が有り、敗に気が有りと、十分に、この気の所存を明らかにすることが出来る者は、成敗、吉凶を知ることが出来る。巫、医、卜の、長ずることがらを有する者を挙げ、薬を備えて、これを舎屋に保管し、善く巫の業を舎屋で行うときには、必ず国の公の神の社に近いところで行い、必ずこれを敬神すべし。巫や卜は国守の請願により行い、国守、独りが、巫や卜によるこの請願の望気を知るだけである。
巫や卜が国に出入して流言を行い、驚愕させて官吏や民衆に敵を恐れさせることは、慎重にこのことを監視して、断じて、その罪を赦してはいけない。望気する舍屋は守備軍の官舍に近い場所とする。賢大夫および及び方技を有する者、もしくは、技巧を有する者を養って、これらの者を守備に従わす。屠殺、酒造の技能の者を取り挙げて、厨房を設け仕事を与えて、これらの者を守備に従わせる。
およそ守城の方法は、「縣師」は守城の事業を受け、葆塁を出でて、溝池や防備を巡視し、通路や泥の構築や草を見、城を保全する。百官は財物を供出共有し、百工は仕事に就き、司馬は城を視て、卒伍を治める。守門を設け、二人は右扇を掌り、二人は左扇を掌り、四人は閉門を掌り、百人の武装兵士はこの場所に駐屯する。城上に步毎の割合で甲士一人、戟士一人、その小者は三人。五步毎の割合で伍長を置き、十步毎の割合で什長を置き、百步毎の割合で百長を置き、傍らに大率を置き、中軍に大将を置き、皆それぞれに司吏、卒長を置く。
城上の階の司として、有司はこれを守り、中軍を中処に移し、緊急性を選択して、これを奏上する。士分の皆の者には職務の割り当てが有る。城の外、矢の届く範囲で、その障害物を壊し、これを利用して敵が防護壁とすることは無い。城より三十里の内では、薪、蒸、酒は皆を城内に入れる。犬、猪、豚、雞は、その肉を食料として、其の骨を回収して「醢腹」を作り、病傷者の療養食に利用する。城内の薪、蒸、廬室、矢の届く範囲、これら皆に土で覆いを掛けることを行う。夕刻には、犬を繋ぎ、馬を繋ぎ、固く繋ぎ止めることを命じる。静から夜に鼓の音を聞いて、鬨の声を挙げることは、敵の気を覆うことがらであり、民衆の意を固くすることがらであり、そのため、ときどき、鬨の声を挙げれば、民衆は気がくじけない。
(迎敵祠の)祝、史は四望の、山川、社稷に敵との戦いを告げ、敵の進軍に先だって、城内に退く。国君は白い礼服を着て太廟に戦勝を誓い、陳べるには、『敵の其人、不道をなし、正義を治めず。』と。その敵王の、言うことには、『予は、必ず、お前たちの社稷を破壊し、お前たちの百姓を滅ぼすことを誓う。』と。『我が臣下たちよ、日夜に自らを励まし、それにより我に勤め、心を和し力を合わせ、兼ねて、我を助けて、おのおのは、お前たちの守るべき職務に死ね。』と。既に誓い、国君は退出する。中軍の大将は太廟の右側に参列し、祝、史は国の神の社に参列する。百官は共に参列し、門に「斗鼓」し、右に旂を置き、左に旌を置き、隅に「練名」を置く。射を三回、射ち、戦勝を告げ、五種類の兵器に武威は備わり、そして、百官は祭壇より下り、祭場から出でて待ち、軍団に鬨の声を上らせて我が郊邑を望む。鼓を打つことを命じて、にわかに鬨の声を上らせ、役司馬は門の右側より弓を射ち、「蓬矢」、これを射ち、旗を三度、振り、弓弩は旗を振ることを継いで、射撃を行い、「校」は門の左側より作法を行い、最初に「揮」を行い、木石の武器を使うことは「揮」の行いに継ぐ。祝、史、宗人は国の神の社に奉告し、告文を覆うのに甑を用いて為す。

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