集歌九二二
原文 人皆乃 壽毛吾母 三芳野乃 多吉能床磐乃 常有沼鴨
訓読 人(ひと)皆(みな)の命(いのち)も吾もみ吉野の瀧(たぎ)の常磐(ときは)の常ならぬかも
私訳 ここに集う人が皆の寿命も、私もそうだが、この芳野の水が激しく流れる床岩のようにいつまでもあってほしいものです。
山部宿祢赤人作謌二首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の作れる謌二首并せて短謌
集歌九二三
原文 八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益々尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通
訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)の 高知らす 芳野し宮は たたなづく 青垣(あおかき)隠(こも)り 川なみの 清き河内(かふち)ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧(きり)立ち渡る その山し いやますますに この川し 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ
私訳 四方八方をあまねく御承知なれれる吾々の大王が天まで高く知らせる芳野の宮は、立ち並び名を付けられるような緑豊かな山並みに囲まれ、多くの河の集まる清らかな河の内にある。春にはたくさんの花が咲き乱れ、秋には霧が立ち渡る。その山のように一層盛んに、この河の流れが絶えることがないように、たくさんの岩を積み上げる大宮に侍う大宮人は、常に通って来ましょう。
反謌二首
集歌九二四
原文 三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞
訓読 み吉野の象(ころ)し山際(やまま)の木末(こぬれ)には幾許(ここだ)も騒く鳥し声かも
私訳 み吉野の秋津野の小路にある山際の梢には、多くの啼き騒ぐ鳥の声が聞こえます
注意 古語で「象」には奈良時代のちょぼ博打からの「ころ」と平安時代の象牙からの「きさ」と云う訓じがあります。ここでは奈良時代の訓じから「ころ」を採用し、秋津野の小路の小川と解釈しています。
集歌九二五
原文 烏玉之 夜之深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴
訓読 ぬばたまし夜し更けぬれば久木(ひさき)生(お)ふる清き川原に千鳥しば鳴く
私訳 漆黒の夜が更けていくと、橡の木が生える清らかな川原に千鳥がしきりに鳴く
集歌九二六
原文 安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝猟尓 十六履起之 夕狩尓 十里踏立 馬並而 御狩曽立為 春之茂野尓
訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)は み吉野の 秋津し小野の 野(の)し上(へ)には 跡見(とみ)据ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し 朝猟(あさかり)に 鹿猪(しし)踏み起し 夕狩(ゆふかり)に 鳥踏み立て 馬並(な)めて 御狩ぞ立たす 春し茂野(しげの)に
私訳 世の中を平らく統治される吾らの大王は、み吉野の秋津の小野にある野の丘に跡見を据えて置き、山には射目を立たせ置いて、朝の狩りには鹿や猪を野に踏み込み追い立てて、夕方の狩りでは鳥を巣から追い立てて、馬を連ねて御狩りを起こさせることです。春の草木の茂る野に。
原文 人皆乃 壽毛吾母 三芳野乃 多吉能床磐乃 常有沼鴨
訓読 人(ひと)皆(みな)の命(いのち)も吾もみ吉野の瀧(たぎ)の常磐(ときは)の常ならぬかも
私訳 ここに集う人が皆の寿命も、私もそうだが、この芳野の水が激しく流れる床岩のようにいつまでもあってほしいものです。
山部宿祢赤人作謌二首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の作れる謌二首并せて短謌
集歌九二三
原文 八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益々尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通
訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)の 高知らす 芳野し宮は たたなづく 青垣(あおかき)隠(こも)り 川なみの 清き河内(かふち)ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧(きり)立ち渡る その山し いやますますに この川し 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ
私訳 四方八方をあまねく御承知なれれる吾々の大王が天まで高く知らせる芳野の宮は、立ち並び名を付けられるような緑豊かな山並みに囲まれ、多くの河の集まる清らかな河の内にある。春にはたくさんの花が咲き乱れ、秋には霧が立ち渡る。その山のように一層盛んに、この河の流れが絶えることがないように、たくさんの岩を積み上げる大宮に侍う大宮人は、常に通って来ましょう。
反謌二首
集歌九二四
原文 三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞
訓読 み吉野の象(ころ)し山際(やまま)の木末(こぬれ)には幾許(ここだ)も騒く鳥し声かも
私訳 み吉野の秋津野の小路にある山際の梢には、多くの啼き騒ぐ鳥の声が聞こえます
注意 古語で「象」には奈良時代のちょぼ博打からの「ころ」と平安時代の象牙からの「きさ」と云う訓じがあります。ここでは奈良時代の訓じから「ころ」を採用し、秋津野の小路の小川と解釈しています。
集歌九二五
原文 烏玉之 夜之深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴
訓読 ぬばたまし夜し更けぬれば久木(ひさき)生(お)ふる清き川原に千鳥しば鳴く
私訳 漆黒の夜が更けていくと、橡の木が生える清らかな川原に千鳥がしきりに鳴く
集歌九二六
原文 安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝猟尓 十六履起之 夕狩尓 十里踏立 馬並而 御狩曽立為 春之茂野尓
訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)は み吉野の 秋津し小野の 野(の)し上(へ)には 跡見(とみ)据ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し 朝猟(あさかり)に 鹿猪(しし)踏み起し 夕狩(ゆふかり)に 鳥踏み立て 馬並(な)めて 御狩ぞ立たす 春し茂野(しげの)に
私訳 世の中を平らく統治される吾らの大王は、み吉野の秋津の小野にある野の丘に跡見を据えて置き、山には射目を立たせ置いて、朝の狩りには鹿や猪を野に踏み込み追い立てて、夕方の狩りでは鳥を巣から追い立てて、馬を連ねて御狩りを起こさせることです。春の草木の茂る野に。