竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 集歌977から集歌981まで

2020年09月28日 | 新訓 万葉集
集歌九七七 
原文 直超乃 此徑尓師弖 押照哉 難波乃跡 名附家良思裳
訓読 直(ただ)超(こ)へのこの道にして押し照るや難波(なには)の跡(たづ)と名付けけらしも
私訳 真っ直ぐに生駒の山並みを越えて来るこの道の景色の故でしょう、、太陽が力強く照り輝く場所としての「押し照るや、難波」の詞が伝承として名付けられたのでしょう。

山上臣憶良沈痾之時謌一首
標訓 山上臣憶良の痾(やまひ)に沈みし時の謌一首
集歌九七八 
原文 士也母 空應有 萬代尓 語續可 名者不立之而
訓読 士(をのこ)やも空しくあるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立たずしに
私訳 私はこれでも「士」なのだろうか。仏教ではこの世は空しいとされるはずではあるが、人の世に万代に語り継ぐような名を立てることが出来ずじまいで。
左注 右一首、山上憶良臣沈痾之時、藤原臣八束、使河邊朝臣東人令問所疾之状。於是憶良臣、報語已畢、有須拭涕、悲嘆、口吟此謌。
注訓 右の一首は、山上憶良臣の痾(やまひ)に沈みし時に、藤原臣八束、河邊朝臣東人を使(つか)はして疾(や)める状(さま)を問はせしむ。ここに憶良臣、報(こたへ)の語(ことば)已に畢(おは)り、須(しまし)ありて涕(なみだ)を拭ひ、悲しび嘆きて、此の謌を口吟(うた)へり。

大伴坂上郎女輿、姪家持従佐保還歸西宅謌一首
標訓 大伴坂上郎女の輿(こし)にて姪(をひ)家持の佐保(さほ)従(よ)り西の宅(いへ)に還歸(かへ)る謌一首
集歌九七九 
原文 吾背子我 著衣薄 佐保風者 疾莫吹 及宅左右
訓読 吾が背子が着(け)る衣(きぬ)薄(うす)し佐保風(さほかぜ)は疾(いた)くな吹きそ宅(や)に至るさへ
私訳 私が親愛する貴女が着る衣は薄い。佐保から吹く風よ、そんなに吹くな。あの女(ひと)が屋敷に帰り至るまでは。
注意 標の原文は「大伴坂上郎女輿」は、一般に「大伴坂上郎女與」と記し「大伴坂上郎女の」と訓じます。

安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌九八〇 
原文 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ
私訳 雨に降り隠もれた三笠の山が高いからか、月が出て来ない、その夜は更けて行く。
注意 解釈として宴会に呼ばれた藤原八束を「月」と譬えて、なかなかやって来ないとも解釈が可能です。以下、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。

大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌九八一 
原文 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ
私訳 猟高の高円山は高いからか、それで山から出てくる月は夜遅くに照るのでしょう。(=藤原八束が遅れて来ること)

コメント
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