神龜元年甲子冬十月五日、幸于紀伊國時、山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 神亀元年甲子の冬十月五日に、紀伊國に幸(いでま)しし時に、山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌九一七
原文 安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背上尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻
訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)し 常宮(とこみや)と 仕(つか)へ奉(まつ)れる 雑賀(そひが)野(の)ゆ 背上(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白浪騒(さわ)き 潮(しほ)干(ふ)れば 玉藻刈りつつ 神代(かむよ)より 然(しか)ぞ貴き 玉津島(たまつしま)山(やま)
私訳 八方を遍く承知なられる吾等の大王の永遠の宮殿として、この宮殿に土地をお仕え申し上げる雑賀野。その雑賀野の背景に見える沖の島。その清き渚に風が吹くと白浪が立ち騒ぎ、潮は引くと美しい藻を刈っている。神代からこのようにこの地は貴いことです。この玉津の島山の地は。
注意 原文の「背上尓所見」は、標準解釈では「背匕尓所見」と校訂し「背向(そがひ)に見ゆる」と訓じます。
反謌二首
集歌九一八
原文 奥嶋 荒礒之玉藻 潮干満 伊隠去者 所念武香聞
訓読 沖つ島荒礒(ありそ)し玉藻潮干(しほひ)満ちい隠(かく)りゆかばそ念(おも)ふむかも
私訳 沖の島、その荒磯の美しい藻が潮干が満ちて潮に姿を隠していくと、きっと、その潮の下で揺れている姿を想像するでしょう。
集歌九一九
原文 若浦尓 塩満来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
訓読 若浦(わかうら)に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る
私訳 若の浦に潮が満ちて来たら、干潟は姿を消し、岸辺の葦原を目指して鶴が鳴きながら飛んで行く。
左注 右、年月不記。但、称従駕玉津嶋也。因今檢注行幸年月以載之焉。
注訓 右は、年月を記さず。但し、玉津嶋に従駕(おほみとも)すと称(い)へり。因りて、今、行幸(いでまし)の年月を檢(かむが)へ注(しる)して以ちて之を載す。
神龜二年乙丑夏五月、幸于芳野離宮時、笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 神亀二年乙丑夏五月に、芳野の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌
集歌九二〇
原文 足引之 御山毛清 落多藝都 芳野川之 河瀬乃 浄乎見者 上邊者 千鳥數鳴 下邊者 河津都麻喚 百礒城乃 大宮人毛 越乞尓 思自仁思有者 毎見 文丹乏 玉葛 絶事無 萬代尓 如是霜願跡 天地之 神乎曽祷 恐有等毛
訓読 あしひきし 御山もさやに 落ち激(たぎ)つ 吉野し川し 川し瀬の 清きを見れば 上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴く 下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人も をちこちに 繁(しじ)にしあれば 見るごとに あやに羨(とも)しみ 玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく 万代(よろづよ)に かくしもがもと 天地(あまつち)し 神をぞ祈(いの)る 恐(かしこ)くあれども
私訳 足を引きずるような険しい御山も清らかにあり、川の水が流れ落ちてたぎる芳野の川の、その川の瀬の清らかな様をみると、上流には千鳥がさえずり、下流には蛙が妻を呼ぶように啼く。たくさんの岩を積み上げる大宮に侍う大宮人も、あちらこちらに多くにいらっしゃるので、その姿を見るたびに、ひどく心を引かれ吾を忘れてしまい、美しい蔦葛の蔓が絶えることのないように、万代までもこのように在って欲しいと、天地の神々に確かにお願いする。私の身分では、恐れ多くはあるが。
反謌二首
集歌九二一
原文 萬代 見友将飽八 三芳野乃 多藝都河内乃 大宮所
訓読 万代(よろづよ)し見とも飽かめやみ吉野の激(たぎ)つ河内(かふち)の大宮所
私訳 万代までに見ていても飽きることのないでしょう、この芳野の水が激しく流れる河内にある大宮のある場所は。
標訓 神亀元年甲子の冬十月五日に、紀伊國に幸(いでま)しし時に、山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌九一七
原文 安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背上尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻
訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)し 常宮(とこみや)と 仕(つか)へ奉(まつ)れる 雑賀(そひが)野(の)ゆ 背上(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白浪騒(さわ)き 潮(しほ)干(ふ)れば 玉藻刈りつつ 神代(かむよ)より 然(しか)ぞ貴き 玉津島(たまつしま)山(やま)
私訳 八方を遍く承知なられる吾等の大王の永遠の宮殿として、この宮殿に土地をお仕え申し上げる雑賀野。その雑賀野の背景に見える沖の島。その清き渚に風が吹くと白浪が立ち騒ぎ、潮は引くと美しい藻を刈っている。神代からこのようにこの地は貴いことです。この玉津の島山の地は。
注意 原文の「背上尓所見」は、標準解釈では「背匕尓所見」と校訂し「背向(そがひ)に見ゆる」と訓じます。
反謌二首
集歌九一八
原文 奥嶋 荒礒之玉藻 潮干満 伊隠去者 所念武香聞
訓読 沖つ島荒礒(ありそ)し玉藻潮干(しほひ)満ちい隠(かく)りゆかばそ念(おも)ふむかも
私訳 沖の島、その荒磯の美しい藻が潮干が満ちて潮に姿を隠していくと、きっと、その潮の下で揺れている姿を想像するでしょう。
集歌九一九
原文 若浦尓 塩満来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
訓読 若浦(わかうら)に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る
私訳 若の浦に潮が満ちて来たら、干潟は姿を消し、岸辺の葦原を目指して鶴が鳴きながら飛んで行く。
左注 右、年月不記。但、称従駕玉津嶋也。因今檢注行幸年月以載之焉。
注訓 右は、年月を記さず。但し、玉津嶋に従駕(おほみとも)すと称(い)へり。因りて、今、行幸(いでまし)の年月を檢(かむが)へ注(しる)して以ちて之を載す。
神龜二年乙丑夏五月、幸于芳野離宮時、笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 神亀二年乙丑夏五月に、芳野の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌
集歌九二〇
原文 足引之 御山毛清 落多藝都 芳野川之 河瀬乃 浄乎見者 上邊者 千鳥數鳴 下邊者 河津都麻喚 百礒城乃 大宮人毛 越乞尓 思自仁思有者 毎見 文丹乏 玉葛 絶事無 萬代尓 如是霜願跡 天地之 神乎曽祷 恐有等毛
訓読 あしひきし 御山もさやに 落ち激(たぎ)つ 吉野し川し 川し瀬の 清きを見れば 上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴く 下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人も をちこちに 繁(しじ)にしあれば 見るごとに あやに羨(とも)しみ 玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく 万代(よろづよ)に かくしもがもと 天地(あまつち)し 神をぞ祈(いの)る 恐(かしこ)くあれども
私訳 足を引きずるような険しい御山も清らかにあり、川の水が流れ落ちてたぎる芳野の川の、その川の瀬の清らかな様をみると、上流には千鳥がさえずり、下流には蛙が妻を呼ぶように啼く。たくさんの岩を積み上げる大宮に侍う大宮人も、あちらこちらに多くにいらっしゃるので、その姿を見るたびに、ひどく心を引かれ吾を忘れてしまい、美しい蔦葛の蔓が絶えることのないように、万代までもこのように在って欲しいと、天地の神々に確かにお願いする。私の身分では、恐れ多くはあるが。
反謌二首
集歌九二一
原文 萬代 見友将飽八 三芳野乃 多藝都河内乃 大宮所
訓読 万代(よろづよ)し見とも飽かめやみ吉野の激(たぎ)つ河内(かふち)の大宮所
私訳 万代までに見ていても飽きることのないでしょう、この芳野の水が激しく流れる河内にある大宮のある場所は。