貪窮問答謌一首并短謌
標訓 貪窮(とんきゅう)問答(もんどう)の謌一首并せて短謌
注意 標題では写本により「貪窮問答」と「貧窮問答」との二つの表記があり、ここでは仏教教義を踏まえて「貪窮問答」を採用しています。一方、標準解釈では「貧窮問答」を採用します。
集歌八九二
原文 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比 弖之匝夫可比 鼻批之批之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻弖 来立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
訓読 風交(まじ)り 雨降る夜の 雨交(まじ)り 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取(と)りつつろひ 糟湯酒(かすゆさけ) 打ちすすろひ 手(て)咳(しはふ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)掻き撫でて 吾(あ)れを措(お)きて 人は在(あ)らじと 誇(ほこ)ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさふすま) 引き被(かがふ)り 布(ぬの)肩衣(かたきぬ) 有(あ)りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを 吾(わ)れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ふ乞ふ泣くらむ この時は 如何(いか)にしつつか 汝(な)が世は渡る 天地は 広しといへど 吾(あ)が為(ため)は 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明しといへど 吾(あ)が為(ため)は 照りや給はぬ 人皆(ひとみな)か 吾(あ)のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あ)れも作るを 綿(わた)もなき 布(ぬの)肩衣(かたきぬ)の 海松(みる)の如(ごと) わわけさがれる 襤褸(かかふ)のみ 肩にうち掛け 伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解(と)き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足の方に 囲み居(ゐ)て 憂(う)へ吟(さまよ)ひ 竃(かまど)には 火気(ほけ)吹き立てず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて 鵺鳥(ぬえとり)の 呻吟(のどよ)ひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端(はし)截(き)ると 云(い)へるが如く 楚(しもと)取(と)る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやと)まで 来立ち呼ばひぬ 如(かく)ばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道
私訳 風に交じって雨が降り、雨に交じって雪の降るみぞれの夜は、どうしようなく寒いので固めた塩の塊をしゃぶり、酒かすを解かした酒をすすって、手で咳をし、鼻をびしゃびしゃさせながら、貧相な鬚を掻きなでて、自分を除いて立派な人はいないと誇ってみても、寒いので麻の衾をかぶるようにし、布で作った袖なしのちゃんちゃんこをある限り重ね着てもそれでも寒い。そのような夜を自分より貧しい人の父母は餓えて寒いことだろう。その妻子達は力の無い声を出して泣くことであろう。こんな時、人はどのように過ごしているのであろうか。
あなたが生きて行くこの世の世間(社会)は広いといっても、私にとっては狭く感じてしまう。太陽や月は明るいというが、私の都合に合わせて太陽や月は照ってくださらない。人はみな、こう思うのか。それとも、私だけがこのように思うのか。
たまたま、私は人として生まれてきて、人並みに私も育ってきたが、綿も入っていない布のちゃんちゃんこで、海藻の海松のように破れ裂けて継ぎはぎされたむさくるしい衣を肩に掛け、茅葺の屋根だけの丸い小屋の中の土間に藁を敷き、父と母は枕の方に、妻子は足の方に丸く囲んで居て、この世の辛さを憂へ呟いて、竃には火の気の立てずに、飯を蒸かす甑にはくもの巣を取り払って、飯を炊くことも忘れ、鵺鳥が夜に鳴いている時間に、短いものをさらに切り詰めるという例えのように、鞭を持った里長の声が寝床まで聞こえて呼び立てる。
世の中は、このようなことばかり。これは、どうしょうもないのであろうか、この世の決まりとして。
注意 標題での「貪窮問答」と「貧窮問答」との違いにより、歌の鑑賞は全くに違います。また、奈良時代の庶民の標準的な食事風景の解釈によっても、歌の鑑賞は変わります。
集歌八九三
原文 世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
訓読 世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
私訳 この世の中を辛いことや気恥ずかしいことばかりと思っていても、この世から飛び去ることが出来ない。私はまだ死者の魂と云う千鳥のような鳥ではないので。
左注 山上憶良頓首謹上
注訓 山上憶良頓首謹上(頓首謹上は、慣用句のため訓じていない)
好去好来謌
標訓 好去(こうきょ)好来(こうらい)の謌
集歌八九四
原文 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 載持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 道引麻志遠 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手行掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿遅可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢
訓読 神代より 云ひ伝て来(く)らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことたま)の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人も悉(ことごと) 目の前に 見たり知りたり 人多(さは)に 満ちてはあれども 高光る 日の朝廷(みかど) 神ながら 愛(めで)の盛りに 天の下 奏(もう)した賜ひし 家の子と 選(えら)ひ賜ひて 勅旨(おほみこと) 戴(いただ)き持ちて 唐国(もろこし)の 遠き境に 遣(つか)はされ 罷(まか)り坐(いま)せ 海原(うなはら)の 辺(へ)にも沖にも 神づまり 領(うしは)き坐(いま)す 諸(もろもろ)の 大御神(おほみかみ)たち 船舳(ふなへ)に 導き申(まを)し 天地の 大御神(おほみかみ)たち 大和の 大国御魂(おほくにみたま) ひさかたの 天の御空(みそら)ゆ 天翔(あまかけ)り 見渡し賜ひ 事畢(をわ)り 還(かへ)らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手(みて)うち懸けて 墨縄(すみなは)を 延(は)へたる如く あぢかをし 値嘉(ちか)の岬(さき)より 大伴の 御津の浜辺(はまび)に 直(ただ)泊(は)てに 御船は泊(は)てむ 恙無(つつみな)く 幸(さき)く坐(いま)して 早帰りませ
私訳 神代から云い伝えられて来たことには、大和の国は皇神の厳しい国、言霊が幸いする国であると、語り継ぎ、言い継がれてきた。今の世の人も皆がまのあたりに見て知っている。大和の国には人がたくさん満ちているけれども、天まで光る天皇の神の御心のままに、天皇から寵愛されているときに、天下の政治をお執りになった名門の子としてお選びになったので、貴方は天皇の御命令を奉じて、唐国の遠い境に派遣され、船出なさる。海原の岸にも沖にも鎮座して海を支配しているもろもろの大御神たちを船の舳先に導き申し上げ、天地の大御神たちと大和の大国魂は大空を飛び翔って見渡しなされて、貴方が使命を終えて帰る日には、再び大御神たちが船の舳先に神の御手を懸けて、墨縄を引いたかのように、値嘉の崎から大伴の御津の浜辺に途中で泊まることなく御船は至り着くでしょう。つつがなく、無事で早くお帰りなさい。
反謌
集歌八九五
原文 大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢
訓読 大伴し御津し松原かき掃(は)きて吾立ち待たむ早帰りませ
私訳 大伴の御津の松原の落ち葉をきれいに掃き清めて、私はずっと立って待っていましょう。早く帰ってきてください。
集歌八九六
原文 難波津尓 美船泊農等 吉許延許婆 紐解佐氣弖 多知婆志利勢武
訓読 難波津に御船(みふね)泊(は)てぬと聞こえ来ば紐解き放(さ)けて立ち走りせむ
私訳 難波の湊に御船が帰り泊ったと聞こえて来たなら、肩衣の紐を結ばず広げて走って行ってお迎えしよう。
左注 天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室
注訓 天平五年三月一日、良(ら)の宅(いへ)に対面して、献(たてまつ)ることは三日なり。山上憶良謹みて上る。
大唐大使卿記室
標訓 貪窮(とんきゅう)問答(もんどう)の謌一首并せて短謌
注意 標題では写本により「貪窮問答」と「貧窮問答」との二つの表記があり、ここでは仏教教義を踏まえて「貪窮問答」を採用しています。一方、標準解釈では「貧窮問答」を採用します。
集歌八九二
原文 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比 弖之匝夫可比 鼻批之批之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻弖 来立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
訓読 風交(まじ)り 雨降る夜の 雨交(まじ)り 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取(と)りつつろひ 糟湯酒(かすゆさけ) 打ちすすろひ 手(て)咳(しはふ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)掻き撫でて 吾(あ)れを措(お)きて 人は在(あ)らじと 誇(ほこ)ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさふすま) 引き被(かがふ)り 布(ぬの)肩衣(かたきぬ) 有(あ)りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを 吾(わ)れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ふ乞ふ泣くらむ この時は 如何(いか)にしつつか 汝(な)が世は渡る 天地は 広しといへど 吾(あ)が為(ため)は 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明しといへど 吾(あ)が為(ため)は 照りや給はぬ 人皆(ひとみな)か 吾(あ)のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あ)れも作るを 綿(わた)もなき 布(ぬの)肩衣(かたきぬ)の 海松(みる)の如(ごと) わわけさがれる 襤褸(かかふ)のみ 肩にうち掛け 伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解(と)き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足の方に 囲み居(ゐ)て 憂(う)へ吟(さまよ)ひ 竃(かまど)には 火気(ほけ)吹き立てず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて 鵺鳥(ぬえとり)の 呻吟(のどよ)ひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端(はし)截(き)ると 云(い)へるが如く 楚(しもと)取(と)る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやと)まで 来立ち呼ばひぬ 如(かく)ばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道
私訳 風に交じって雨が降り、雨に交じって雪の降るみぞれの夜は、どうしようなく寒いので固めた塩の塊をしゃぶり、酒かすを解かした酒をすすって、手で咳をし、鼻をびしゃびしゃさせながら、貧相な鬚を掻きなでて、自分を除いて立派な人はいないと誇ってみても、寒いので麻の衾をかぶるようにし、布で作った袖なしのちゃんちゃんこをある限り重ね着てもそれでも寒い。そのような夜を自分より貧しい人の父母は餓えて寒いことだろう。その妻子達は力の無い声を出して泣くことであろう。こんな時、人はどのように過ごしているのであろうか。
あなたが生きて行くこの世の世間(社会)は広いといっても、私にとっては狭く感じてしまう。太陽や月は明るいというが、私の都合に合わせて太陽や月は照ってくださらない。人はみな、こう思うのか。それとも、私だけがこのように思うのか。
たまたま、私は人として生まれてきて、人並みに私も育ってきたが、綿も入っていない布のちゃんちゃんこで、海藻の海松のように破れ裂けて継ぎはぎされたむさくるしい衣を肩に掛け、茅葺の屋根だけの丸い小屋の中の土間に藁を敷き、父と母は枕の方に、妻子は足の方に丸く囲んで居て、この世の辛さを憂へ呟いて、竃には火の気の立てずに、飯を蒸かす甑にはくもの巣を取り払って、飯を炊くことも忘れ、鵺鳥が夜に鳴いている時間に、短いものをさらに切り詰めるという例えのように、鞭を持った里長の声が寝床まで聞こえて呼び立てる。
世の中は、このようなことばかり。これは、どうしょうもないのであろうか、この世の決まりとして。
注意 標題での「貪窮問答」と「貧窮問答」との違いにより、歌の鑑賞は全くに違います。また、奈良時代の庶民の標準的な食事風景の解釈によっても、歌の鑑賞は変わります。
集歌八九三
原文 世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
訓読 世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
私訳 この世の中を辛いことや気恥ずかしいことばかりと思っていても、この世から飛び去ることが出来ない。私はまだ死者の魂と云う千鳥のような鳥ではないので。
左注 山上憶良頓首謹上
注訓 山上憶良頓首謹上(頓首謹上は、慣用句のため訓じていない)
好去好来謌
標訓 好去(こうきょ)好来(こうらい)の謌
集歌八九四
原文 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 載持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 道引麻志遠 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手行掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿遅可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢
訓読 神代より 云ひ伝て来(く)らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことたま)の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人も悉(ことごと) 目の前に 見たり知りたり 人多(さは)に 満ちてはあれども 高光る 日の朝廷(みかど) 神ながら 愛(めで)の盛りに 天の下 奏(もう)した賜ひし 家の子と 選(えら)ひ賜ひて 勅旨(おほみこと) 戴(いただ)き持ちて 唐国(もろこし)の 遠き境に 遣(つか)はされ 罷(まか)り坐(いま)せ 海原(うなはら)の 辺(へ)にも沖にも 神づまり 領(うしは)き坐(いま)す 諸(もろもろ)の 大御神(おほみかみ)たち 船舳(ふなへ)に 導き申(まを)し 天地の 大御神(おほみかみ)たち 大和の 大国御魂(おほくにみたま) ひさかたの 天の御空(みそら)ゆ 天翔(あまかけ)り 見渡し賜ひ 事畢(をわ)り 還(かへ)らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手(みて)うち懸けて 墨縄(すみなは)を 延(は)へたる如く あぢかをし 値嘉(ちか)の岬(さき)より 大伴の 御津の浜辺(はまび)に 直(ただ)泊(は)てに 御船は泊(は)てむ 恙無(つつみな)く 幸(さき)く坐(いま)して 早帰りませ
私訳 神代から云い伝えられて来たことには、大和の国は皇神の厳しい国、言霊が幸いする国であると、語り継ぎ、言い継がれてきた。今の世の人も皆がまのあたりに見て知っている。大和の国には人がたくさん満ちているけれども、天まで光る天皇の神の御心のままに、天皇から寵愛されているときに、天下の政治をお執りになった名門の子としてお選びになったので、貴方は天皇の御命令を奉じて、唐国の遠い境に派遣され、船出なさる。海原の岸にも沖にも鎮座して海を支配しているもろもろの大御神たちを船の舳先に導き申し上げ、天地の大御神たちと大和の大国魂は大空を飛び翔って見渡しなされて、貴方が使命を終えて帰る日には、再び大御神たちが船の舳先に神の御手を懸けて、墨縄を引いたかのように、値嘉の崎から大伴の御津の浜辺に途中で泊まることなく御船は至り着くでしょう。つつがなく、無事で早くお帰りなさい。
反謌
集歌八九五
原文 大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢
訓読 大伴し御津し松原かき掃(は)きて吾立ち待たむ早帰りませ
私訳 大伴の御津の松原の落ち葉をきれいに掃き清めて、私はずっと立って待っていましょう。早く帰ってきてください。
集歌八九六
原文 難波津尓 美船泊農等 吉許延許婆 紐解佐氣弖 多知婆志利勢武
訓読 難波津に御船(みふね)泊(は)てぬと聞こえ来ば紐解き放(さ)けて立ち走りせむ
私訳 難波の湊に御船が帰り泊ったと聞こえて来たなら、肩衣の紐を結ばず広げて走って行ってお迎えしよう。
左注 天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室
注訓 天平五年三月一日、良(ら)の宅(いへ)に対面して、献(たてまつ)ることは三日なり。山上憶良謹みて上る。
大唐大使卿記室