短い桜の季節を終えて、東京の春は終えようとしている。どんよりと曇る日が多く、その間を細い雨が降り続く。濡れるほどの雨でもなく、雨の予報に傘を手にして出かけるが、それを使うことも少ない。晴れ間の日も多いが初夏の抜けるような輝きには及ばず、遠望する山々も紫に煙る。
この時節になると必ず思い出す歌が『朧月夜』である。「菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端 霞ふかし」…、子供のころから何度この歌を歌ったことだろう。声を出さずとも心に浮かべたことは限りない。そう、この歌は心に浮かべる歌かもしれない。この歌が歌っている田園風景――私の故郷も、ここに歌われている田圃(たんぼ)が打ち続いていた――を心に浮かべる歌なのだ。これもまた、私は二番が好きだ。
里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
田中の小路(こみち)を たどる人も
蛙(かわず)の鳴くねも、鐘の音も
さながら霞(かす)める 朧月夜(おぼろづきよ)
この美しい言葉も情景も、今やもうない。少なくとも都会に住む私たちの周囲にはない。いや、かなりの田舎に行っても「田中の小路をたどる人」の姿を見ることはできない。田中の小路は広い農道に変わり、多くはアスファルトが敷かれその上を軽トラックや乗用車が走っている。いわんや「里わの火影から…鐘の音までを、さながら霞める」ような情景は何処に行けば残っているだろう。
(注)「さながら」は、広辞苑の「そのまま、そっくり」という訳を当てはめてみたが…?
『朧月夜』は高野辰之作詞、岡野貞一作曲による文部省唱歌で、二人はほかにも『春の小川』や『故郷』(兎追いしかの山…)などを残した名コンビである。日本人はこれらの名曲をいつまでも歌い継いでいくであろう。