こうしてわが音楽室は、小さいながらもピアノ教室の子供たちの遊び場となり、オペラ歌手たちの練習場となり、また小宴会場となっていったのである。私が顧問を勤める会社の社員たちのビアパーティの場所ともなった。
娘は将来、私たち夫婦がいなくなれば、隣接する私たちの寝室と書斎を潰して、子供たちの音楽教育の場として音楽室を拡大したい夢を持っているようだ。折しも30年点検を受けて、屋根や外壁補強をやったので、「この家は、あと30~40年は大丈夫」という三井ホームの言葉もあった。
このような度に悔やまれるのは、前述したように、何故妻が使用していた時に部屋の拡充をやらなかったかということだ。妻はピアノ教室のほかに二つのコーラスグループに参加しており、今の広さであったら、もう少し使い方があっただろう。
妻は色々と工夫したが、「ちょっと狭すぎる」ためにそれらの試みをあきらめてきた。自分の配慮の不足が悔やまれてならない。妻はどう思っているのだろうか、聞いてはいないが。
晩秋の松澤病院