今日で夏休みが終わる。オリンピックも半ばを過ぎて後一週間を残すのみとなった。大好きな種目であるマラソンの女子のレースを見て、国威をかけたレースに挑む選手たちの戦いが、いかに過酷なものであるかを改めて思った。
野口の辞退はもちろん、土佐の途中棄権、ラドクリフの敗退・・・、すべて走れる状態ではなかったのであろう。
その中でヌデレバの強さに驚嘆した。先頭から遅れだした中村よりもずっと後に居たとき、解説の有森が「この人は想像を絶する超マイペースだから、最後にならないと分からない」と言っていたが、いつの間にか先頭に追いつき、トラックに入り「国威をかけて全力スパート」した中国の選手を最後の30メートルでかわして銀メダルを獲った。聞けば、10数回の大レースですべて1位か2位と言うことだ。これこそ本当に強いと言うのだろう。
「強い」と言えば、何十年に一人、神の申し子のように天賦の才を与えられ、それをまた並外れた努力で磨きぬいた選手がいて、戦う前から勝利を約束されそのとおり勝つ者がいる。陸上100mのボルト(世界新9秒69)や、水泳のフェルプス(8冠)がそれであろう。北島もその中に入るのだろう。
他の大多数の選手は、実力においてほとんど差はなく、ちょっとした努力の差や体調の差、また様々な運命的要因により勝利が決まるのだと思った。
それだからこそ、全力を集中する姿が美しいのだ!
その中で、二つだけ不愉快なシーンが心に残った。女子バドミントン準決勝で末綱・前田組が敗れた韓国チームの一人の、自分のミスに対する執拗な抗議だ。審判もよく我慢したものだと思うほどしつこく、解説者は「ああして自分たちの体調を整えているのだ」と言っていた。
もう一つは、柔道女子78キロ級決勝で塚田が負けた中国選手の、帯が何度も解けたシーンだ。1.2回ならまだしも、帯が何度も畳に落ち審判も「よく締めろ」と注意していた。彼女も締め直しながら体調を整えていたのではないか?
私は、この日本の組はいずれも「スポーツ以外の面」で負けたと思っている。(ここまでくると贔屓のひき倒しナショナリズムの典型であるが)