NHKが放映する北京オリンピック開会式の模様を最後まで見た。実に204の国や地域が参加し、次々と入場してくる様子を見ながら、様々な思いが胸を去来した。
これら参加国・地域の中には、参加選手はたった一人で、自ら旗手を勤めて入場してくる国から、アメリカや中国のように1000を超える大選手団を送り込む国まで大小さまざまだ。選手が2人や3人の国もたくさんあった。
しかも参加国の紹介を聞いていると、国土の90%が砂漠の国や、4分の1が湖の国など、また川が一筋も流れていない国まであって驚いた。かく言う日本は、山地が相当部分をを占めているので、砂漠や平原の国、また洋上に浮かぶ小国から見れば珍しいのかもしれない。
何よりも驚いたことは、204の中に知らない国がたくさんあったということだ。国連には200近い国が加盟していると言うが、ニュースとなって伝わってくるのは大国が中心だ。サミットやGセブンなど、世界はほんの一握りの国が動かしているかに見える。
しかし、昨夜の入場行進を見ると、わずか数名の参加国・地域も大国と全く対等にプラカードに導かれ、旗手を先頭に胸を張って行進していた。
これら204の国々は、れっきとして存在している。
7月30日のブログに書いたように、ロシアの音楽家ゲルギエフは、「未来への提言」の中で、国際政治で重要なことは「それぞれの存在とバランスだ」と語った。バランスには、先ずそれぞれの存在を認め合うことが前提とされる。その存在を全世界に示すだけでも、オリンピックは意味がある、と思った。
問題は、ともすればそれら小国の存在を踏みにじる大国の横暴であろう。おりしも昨日、グルジアとロシアが戦争状態に突入した。グルジアが、分離独立を掲げる南オセチア自治州に攻勢を加え、それに対し分離独立派を支援するロシア軍が、国境を越えてグルジア軍を攻撃しているらしい。
人類が、ゲルギエフの提言「存在とバランス」に到達するには、まだまだ長い年月を要するのであろうか?