桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

偲ぶ会

2017-11-23 | Weblog

昨夜は、この夏に急逝した柴田五郎元弁護団長の偲ぶ会だった。
俺も挨拶をさせて戴いたが、初めて、俺の想いを皆さんの前で話したせいか、何度も込み上げるものがあり、涙を流してしまった。
柴田先生は、俺の人生を変えてくれた人だった。

北陵クリニック事件

2017-11-22 | Weblog
昨日は仙台。北陵クリニックの裁判所要請と記者会見に参加した。
寒さも大したことはあるまいと思い、コート無しで行ったらば、さすがは東北。吹き抜ける風は冬だった。
北陵クリニック事件は、そもそも事件ではない。病死、医療ミス死などを、病院経営に失敗した医師が、事件と警察にご注進したことに始まる。一度事件と考え、犯人捜しを始めれば、冤罪が作られるのは必定。
筋弛緩剤を使った殺人事件として守大助が作り上げられた。
被害者とされる人たちの尿や血液から筋弛緩剤が検出されたとする、警察技師の土橋のでっち上げ鑑定によって事件が完成した。
昨日は、裁判所に提出した署名が20万筆を越えたことから、沢山のマスコミも集まった。
裁判所に要請に入る際,隣接する小学校校舎の窓に、沢山の子供たちが並び、我々に対して「頑張って!」と、何度も声を上げてくれた。大助の母親は、涙を流しながら「有り難う!」と応えていたが、子供たちに理解される事件は勝つ!そう感じたなあ。
記者会見め10名ほどの記者。4台のテレビカメラ。なかなか上手く進まない北陵クリニック事件だが、土橋本人の矛盾する学会発表の筋弛緩剤鑑定分析結果などを思うと、必ずや日野町事件と同じに劇的な展開の始まる日は来ることも確信した仙台行きだった。
しかし、車の中では汗。外は寒風。仙台の風は寒かったなぁ。

高野山余話Ⅱ

2017-11-21 | Weblog
九度山から高野山までの山道には町石が180個あり、数を刻みながら歩く。最初は、なかなか数が減らない。半分になる90までは長かった。それが70を過ぎ、60くらいになると、数が飛んでいるのではないかと思うくらいにどんどんと減って行く。
まるで人生のようだった。
四国巡礼のときも歩く道は、山あり谷あり、坂あり、平あり。まるで人生のようだったが、88番札所に近づくたびに道程が短くなり、早くなる感じはなかった。
2つの巡礼道で人生を味わったなぁ。

妙義山

2017-11-20 | Weblog
今朝は妙義山を眺めるホテルで目覚めた。
昨日は救援会群馬県大会に招かれて話をした。
これで何回目だろうか?
まだ再審の闘いをしているときから今日まで、変わらずに支援して頂けるのは、本当に有り難い限りだ。
昨日は60人を超える人が来て下さったが、退会された方も何人か来ておられたそうで、布川事件を支援していた日の想いで来て下さったのかも知れないとのこと。
話を聞いて胸が熱くなった、と言って下さった方がいたが、俺の感謝の話を、そう感じて頂けるならば、こんなに嬉しくて有り難いことはない。
冤罪を作らない法律を作るまで頑張る力を頂いた群馬県大会だった。

袋田の滝宣伝

2017-11-20 | Weblog
土曜日、毎年、恒例の袋田の滝宣伝をした。布川事件の宣伝から続き、今は仙台・北陵クリニック事件の宣伝なっているが、何回目になったのだろうか。
今年は曇り空。寒さは季節らしくなり、紅葉も、それなりに綺麗だった。
観光客は、まあまあだったろうか。
残念ながら携帯を忘れて出てしまい、紅葉を撮ることは出来なかった。
宣伝後は、水戸映画サークルと一緒の芋煮会。
宣伝も芋煮会も、少し参加者は少な目だったが、美味い芋煮、美味い酒。満足して帰って来た。

高野山余話

2017-11-17 | Weblog
昨日、山道から大門を通り、金剛峯寺に参拝したが、その金剛峯寺の清め水に、実に鮮やかな紅いモミジが沈んでいた。
まるで弘法大師が、お疲れさまと癒してくれたような気持ちになるほど、見事な真紅だった。
それも携帯で撮ったけど、見て感じたほどに綺麗には撮れないのが残念。

釜ヶ崎余話

2017-11-17 | Weblog
先日の釜ヶ崎ライブのおり、ホテルから会場にカラオケを持って行ったはずが、到着してみると携帯の充電器などの袋だった。
すぐにホテルに袋を取り替えに行ったらば、途中、自転車に乗る人から「少し話をさせて貰っていいですか?」と話し掛けられた。
警察か、それとも手配師か、と思って「あんた、誰?」と聞いても名乗らないで、「ガタイがいいんで、話をさせて貰いたくて」と言う。
街を歩いていたらば停車している車の窓に、神奈川12000円、双葉15000円とかの貼り紙があるのも見た。
釜ヶ崎辺りも人手が不足しているのだろうか。それで俺にも声を掛けて来たのかも知れないが、「俺は、この街の住人じゃないし、明日には帰る人間だよ」と言ったらば、ダメですか、と言いながら離れて行った。
俺は、どこへ行っても、そこに溶け込んでしまい、そこの人であるかのように話し掛けられるが、釜ヶ崎でも溶け込んだようだ。

西成女医殺人事件

2017-11-16 | Weblog
8年前、理不尽に謀殺された釜ヶ崎の女医、矢島祥子医師のご家族は、毎月、釜ヶ崎で祥子医師の犯人を逮捕するために活動しておられる。
今月末は、たまたま関西にいるときにライブを行うことが判り、俺も参加した。
今回も多くの人が集まった。祥子医師は、たった3年ほどしか釜ヶ崎で暮らせなかったが、その短い期間にキリスト者だった心で、心底から弱い立場の人を愛して医療行為を行っていたから、今でも、それを知る人たちが犯人を捜せ!の声に同調して集まることを知った。 
貧しいが善人の集まる釜ヶ崎。その善人を利用して金儲けをする連中もいるが、ライブに集まる人は布川事件に集って下さった皆さんに似てる。祥子医師の家族は、色々な想いを抱えて頑張っておられるが、何でも事件として犯人を捜すことは冤罪を作るから止めた方がいい、と主張する人もあるそうだ。その主張の前に、声を潜める思いになっていたそうだが、冤罪と闘って堂々と声を上げる俺たちを知って、家族としても明確な想いを語る気持ちになったと伺い、嬉しかった。
矢島祥子医師の死体の状況、アパートの状況、生存を装ったような諸状況などを考えれば、全く自殺は考えられない。殺人事件を隠蔽することは冤罪を作るのと同じだ。
絶対に許せないし、許してはならない。

九度山から高野山へ

2017-11-16 | Weblog






今日は念願の1つだった、九度山から高野山へ上る巡礼道を歩いた。
21キロくらいらしいが、約6時間。かなりの悪戦苦闘になった。
5年前の四国巡礼も、それなりに大変だったが、今回は、あのときには感じなかった足の疲労があり、やはり70歳になった体力の衰えだな。
180番の町石を数えながら1番の金剛峯寺まで、何とかやり遂げた。
来週は柴田先生の偲ぶ会。その前に念願を達成して満足だ。

写真

2017-11-14 | Weblog

日野町事件現地調査では、犯人が金庫を投棄した現場を見て来た。
年末の12月29日、まだ夜の明けない5時ころ、山に上がって金庫を捨てたとする阪原さんの自白は、昼間に行っても足もとが危険であることを確認した。
当時は、その金庫投棄現場辺りには6メートル幅くらいの道路があり、付近にあるゴミという場所には、日常的に4トンダンプが行き交っていたと言うから、犯人は、その道路を使って投棄したのだろうと判った。
人が写るのが金庫発見場所。ヤブは金庫発見場所から道路方向。