桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

散歩

2009-08-24 | Weblog
今日も、予定より早く帰ったから散歩をした。
我が家から利根川に出たところは、利根川と小貝川が合流した部分。もう闇が地上で生まれ始めて、写真はキレイに現れ無かった。
白鷺が沼の一角に集って眠り始めていたり、烏が鉄塔に集っていて、少し風景が違っていた。

今日も1日

2009-08-24 | Weblog
今日は市川市の行徳まで、仕事。マンションの排水の改修作業に行った。
何しろ、遠いから、会社6時30分出発。
いゃだよね、こんな早いの。でも、行くしかないし、頑張った。

今日は作業をするための整理だけだったから、意外に早く終わり、地元に帰って、また違う仕事をした。

夕散歩

2009-08-23 | Weblog
今日は、何もない日曜日。連れ合いも午後には水戸に帰り、俺は明日からの準備をした。
明日からは船橋まで行くため、朝は6時には飯を食べなければならない。で、カレーを作った。
でも、今朝が気持ち良かったから、また朝と同じルートを歩いて来た。
朝は犬の散歩が多いが、夕方は散歩の人が多い。
目に付いたモノ。
我が家の前にある交番のパトカー、廃パチンコ店駐車場で待ち合わせて1台の車に乗って走り去った一組の男女、稲刈りの終わった田、一枚。
朝と夕方の街は違う表情をしている。
利根川堤防上に桜が植えられている。数年前に植えられてたのを知っていたし、国交省か県下か町か、何れにしてもシャレたことをすると思っていたが、桜の樹木をいじっている人がいたので見たらば、総て樹木に名前札が下がっていた。
自分の桜、いいねぇ。

早朝散歩

2009-08-23 | Weblog
今朝、久しぶりに利根町に泊まった連れ合いが肝臓の番組を見ていて「アナタは大丈夫ですかぁ」なんて嫌味を感じる言い方をした。働く月日が減り、代わって夜には飲む機会が増えるせいで、かなりメタボリック体質になって来ているのは自覚していた。
そんなのは運動すればいいだけのこと。判っていたが、体力的に無理と感じてやらないでいた。しかし、まだまだやることが多いことを思えば、やはり体力を付けておかなければならないと思っていたので、早朝散歩に出た。
我が家から北へ。廃パチンコ店前を左折。真っ直ぐに利根川堤防へ。堤防上を下流へ歩き、利根町役場を左折して我が家へ。5キロくらいだろうか。
ジョギングの人が3人、犬の散歩が11人、ただの散歩が4人、自転車が3人、川を上がる船が2槽、釣り人が5人、雉が1羽、烏と白鷺が多数、赤信号を公然と突破した車が3台、ソフトボールの集団。
朝から世界は動いていた。走ったり、歩いたり、気持ちの良い朝だった。

花火大会

2009-08-23 | Weblog
利根町布川には、大きな祭りが二つあった。夏の祇園祭に晩秋の地蔵市、どちらも沢山の人と露店が出て盛大に行われていた。
しかし、利根町は四つの町と村が合併して出来た町。布川地区だけの祭りに力を入れていられなかったのか、祭りを支える人の力をが弱まったのか、29年の空白があって帰った故郷の布川は、すっかり変わっていたし、祭りも廃れていた。祇園祭は4年に一度、見物客もいない細やかな祭りになっていた。地蔵市も、こっちは幾らかの露店は出るが、昔の面影は無かった。
しかし、盛大になった祭りもあった。花火大会と共に行なわれる灯籠流しだ。
昨日は、今年の花火大会だった。川原に盆踊りの櫓が組まれ、露店が50店ほども並び、それらの華やかな灯りが川面に映えて美しい。
昔、徳満寺の灯籠流しは、暗い川に船を漕ぎ出して蝋燭の灯を利根川に流した。その灯は小さくて哀しげで、寺の紋章入り提灯を高く掲げて動く船から鳴らされる鐘音が侘しかったものだが、今は違う。華やかな灯りの中、晴れ晴れと動く船から流される灯籠と鐘音は生き生きと感じる。
祭りは人の命の証のような感じた昨夜だった。

誤字

2009-08-22 | Weblog
俺のブログは誤字が多い。理由は携帯での発信だからだ。電車などの移動時に行うため、右目の白内障が起こり、暗かったり光が少ないところでは携帯の文字が見えにくいために誤字を確定させてしまうみたいだ。更に、俺の持っている携帯は予想文字が現れるので、2文字くらい打つと、思いとは違う言葉が現れたりしてしまうのだ。
それに重なる俺の性格。書いた文章確認すればいいのに、これがやらないんだなあ。それで誤字の多いブログがあるが、ご寛容願います。

羨ましい

2009-08-21 | Weblog
俺たち布川事件は二人。
二人って、何時も比較の対象だよね。だから、この42年間、色々とあった。

また俺たちは身長差や性格も含めて対照的過ぎるから、比較する方も面白いのかも知れないね。
俺自身が、桜は花があるよね。杉は花粉だから!なんて言うしね。
昨日、最高裁要請日だった。一応、闘う立場として、それなりに人様の前に出る服装もあると考えるから、俺はネクタイをする服装だったが、杉山はラフ。トレードマークの野球帽子をかぶり、極めて日常的な服装だった。
俺の気の小ささ、杉山の大胆さ、服装に現われていると思うが、何時かやってみたいよね、杉山のように好き勝手な服装。でも、出来ないんだよね、神経質で気の小さい俺には。
だから、羨ましくて、何時も意識の差を感じ続けている。
こんな意識の差が積み重なり、早く決着をつけて、こんな意識からおさらばしたいと思うばかりだ。

あかつき印刷労組

2009-08-21 | Weblog
俺が、赤旗を知ったのは、春日一幸という国会議員が、日本共産党の宮本賢治議長を「人殺し」と、国会で罵っていたころだ。俺は中途半端な生き方をしていたし、不良の定番で共産党は嫌いだった。全員一致で賛成とか、日本社会で報道される共産党に対する情報は、余りいいことがなかったから、狂信的宗教集団みたいで気持ち悪いと思っていた。でも、国会で人殺しと言われた宮本さんは刑務所を体験した仲間。どっちの言い分が正しいのかと「犬は吠えても歴史は進む」という雑誌を読んだ。春日一幸、犬だったねえ。
それから長い時間が過ぎて、50才になって塀の中から社会に帰り、今があるわけだが、何時からか共産党好きになっていた。
もちろん、総てが正しいなんて思わないが、天皇絶対主義時代に人間の平等を唱え、命をかけて戦争に反対した組織と人を信用しないでどうする!って気持ちだった。だからこそ、俺たちみたいなどうしようもない生き方をして冤罪者になった者も支援してくれるのだと判った。
あれから色々とあり、赤旗を印刷するあかつき印刷労組のお力添えを戴くようになったのは、俺が社会に帰って数年後だった。
今夜は、そのあかつき印刷労組60周年記念パーティーだった。
不思議だよね、人生は。
俺にウソの自白をさせた早瀬四郎は「こんな奴がアカになったら大変だな」と、取り調べ中にポツリと言ったことがあった。アタマに来たよね、共産党なんてキライだっからさ、そんなのになるなんて言われて。
その俺が、今、あかつき印刷労組のお力添えを得、共産党を信頼している。
二年前、俺にウソの自白をさせた早瀬四郎は死んだ。俺がウソの自白をした10月10日、その40年目に死んだ早瀬四郎は、何を思うだろうか。
俺は真実を貫いた。共産党も真実を貫いている。生き方が同じならば出会うのが人生なのだろうか。
あかつき印刷労組の皆さんと腕を組み、「頑張ろう」という定番の組合ソングを歌いながら、俺の人生って、なんだろうと考えていた。
今、衆議院選挙。長く日本を支配した自民党の敗北は確実で、歴史が変わると言われているが、民主党なんて、所詮は自民党亜流。国民の真の幸せを求めるべくもない。今度の結果は歴史の過程にあるに過ぎない。自分が法の歪みで冤罪人生を過ごした体験は、全うに戦う真実と道理は勝利することを教える。
必ず人が平等に過ごせる時代が来る!それを求めて戦う人がいる限り!と思いながら帰ってきた。

一日

2009-08-20 | Weblog
今日は水戸で目覚めた。
保護観察所に義務である報告に行き、利根町の家に戻った。
途中、面白いことがあったよ。赤信号を突破したらば、前の車は覆面パトカー。同じように赤を突破した車を停めたね、いきなりサイレンと警告灯を出す正体を表わしてさ。
俺は覆面の後ろだけど、停車させられた車の前まで行って停まり、免許証を探して行ったよ、覆面パトカーに向って。
何て言ったと思う、警官?「関係者ですか?」
だから言ったね、「違うよ、パトカーが赤で行ったから、つい釣られて行ったんだよ、後を」「いや、それは私どもが悪いんじゃなくて、信号を守るべき、アナタが悪いと思うんですが」
「判ってるよ、だから来たんじゃない。前の車が停められたのに、俺が通り過ぎちゃ申し訳ないからね、俺が悪いと判ってるよ」
「いや、お宅を停めたわけじゃないんで、もう免許証を確認しましたし、これからも安全運転で行って下さい。事故が多いですから。行って結構です」 だと。
これ、冤罪じゃないが、何て言う?
それから複雑な気持ちで自宅に帰り、布佐駅から日弁連へ。
弁護団会議が1時から。2時からは最高裁要請。珍しく杉山も会議に来たので、タクシーで最高裁へ。
要請には20名。17名しか要請場に入れないが、今日は夏、しかも選挙。一桁しか来ないと思ったのに、20名も来て下さって、布川の歴史を感じだね。
要請から会議に戻った3時、もう会議は終わっていた!
そうだよね、やる限りを尽くし、決定待ちの弁護団に語り合うべき中身は少ないよね。勿論、まだ弁護団は証拠の検討はしている。

それから救援会の事務所に戻り、現地調査でやっておくべきことの不足を補い、有楽町マリオン前宣伝へ。
13名が参加して宣伝をしたが、何時もよりもビラの受け取りが良かったみたいだ
その後は、恒例の飲み会を有楽町八百八町店でやり、一日の行動が終わった。
後何回続く行動か判らないが、この一日は布川事件でしか成し得ないと感じた一日でもあった。