桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

このザマ!!

2016-07-01 | Weblog
大阪府警で多数の事件が捜査放棄されていたと報道された。正確な数字は忘れたが四桁の事件が捜査されないままに放置されていたそうだ。
これ、特別に報道はされなくて、今日のテレビも高島礼子の詫び会見ばかりをやっていたが、社会的に「警察はこんなモノ」と認知されていると言うことだろうか。それとも報道する価値がないほど、小さな問題としか思わないのだろうか。警察が事件を捜査しないで放置する、それでも誰も罰を受けない。一般社会ではあり得まい。もし会社員が託された仕事をしないで放置していたならば、それが明らかになった時点で懲戒解雇だろう。でも、警察官は、尊いお仕事をしているからお咎め無し、ね。
こんなだから何時までも警察は嘘を語り、出鱈目なことを行い続けるんだよなぁ。

悲しい知らせ

2016-07-01 | Weblog
昨夜、利根町から不幸を知らせる言い継ぎの電話があった。
もう利根町から離れてしまい、地区の組合からも抜けているが、きっと知らない世代が知らせて来たのだろう。
利根町中田切の我が家の前には中沢自転車屋があった。まだ30歳くらいの夫婦には娘が1人。布川地区から中田切地区に転居したのは、俺が10歳のころだったが、ご飯をご馳走になったり、一緒に風呂に入ったり、「ショウジ!ショウジ!」と良く可愛がって貰った。ミゼットっと呼ばれる三輪車を運転させて貰ったこともあったなぁ。俺は「中沢のオヤジ!おっ母!」と呼んでいた。
俺は、この店から月賦でスポーツ自転車を買い、一銭も払わないで質屋に入れてしまったのが、あの事件があった頃だった。それで自宅に帰れなくなったのを、「ヤバイと思って逃げたんだろ!」と警察に言われたことがあった。
俺を長く勾留したい警察は、中沢のオヤジに「被害届を出して欲しい」と頼んだことがあったそうで、オヤジは「イヤだ、自転車はショウジにくれてやる!」と断ったのだとか。
沢山の迷惑も掛けたが、そのオヤジも、既に亡くなり、昨夜は「おっ母が亡くなった」の知らせだった。
春の彼岸だったか、墓参りのときに中沢に寄ったらば、おっ母は「もう会えないかと思ってたよ」と涙を流して喜んでくれた。あれが最後だった。
中沢のオヤジとおっ母から貰った恩は、全く返せなかったが、また大切な人がいなくなった悲しみは時間とともに増して行き、本当に俺は人様の愛に恵まれた人生だったと教えられているし、だからこそ、もっと冤罪仲間のために頑張らなくてはと思わされてる。

言葉

2016-07-01 | Weblog
信と言う言葉は、人が言うこと。それを形にして人偏に言となったらしいが、今の日本は人が言うと書いて嘘と呼ぶのが正しいような人が多いよなぁ。特に日本で権力を持つと言われる連中に多い。
今、選挙中で安倍なども全国で嘘を言いまくってるし、公明党も同じだ。それに昨日の松橋事件の再審開始決定に対する検察のコメントも呆れる。「思い掛けない」と言ったよね。
昨日も書いたが、刺し殺したとされる小刀からは血液反応がない。証拠隠滅で小刀は研いだと言う。それに小刀の柄に巻いた布は燃やして証拠隠滅したと言う。ならば証拠がなくても仕方ない、自白してるから有罪となったのが、この松橋事件だ。
ところが、小刀の柄に巻いた布と言われた物が、今回の再審で検察が出して来た証拠に混じっていた。もちろん、その布にも血液は付着していない。となれば、誰が考えても犯人としておかしい、と思うだろうし、なぜ検察は「布を燃やした」とする自白が嘘だと知っていながら布を隠したのだ!!と思うよね。でも、そうは思わないのが検察だ。
再審開始決定を書いた裁判所はマトモだと言いたいが、同じ昨日、横浜事件と呼ばれる古い事件の裁判では、裁判所自身が判決などの資料を燃やしてしまったのに、その責任はないとして請求を棄却する判決が出されている。
今の日本は、もう権力者と言われる組織や人の語ることは信じてはいけない時代なのかも知れない。信じて騙されるのは騙される方が悪いかも知れないよね。
正義や真実、道理や誠を求めるためには、それらを裁く新しい仕組みを作らないとダメな時代だよなぁ。そして人の言葉が信じられる時代を取り戻したいなぁ。