桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

言葉

2016-07-01 | Weblog
信と言う言葉は、人が言うこと。それを形にして人偏に言となったらしいが、今の日本は人が言うと書いて嘘と呼ぶのが正しいような人が多いよなぁ。特に日本で権力を持つと言われる連中に多い。
今、選挙中で安倍なども全国で嘘を言いまくってるし、公明党も同じだ。それに昨日の松橋事件の再審開始決定に対する検察のコメントも呆れる。「思い掛けない」と言ったよね。
昨日も書いたが、刺し殺したとされる小刀からは血液反応がない。証拠隠滅で小刀は研いだと言う。それに小刀の柄に巻いた布は燃やして証拠隠滅したと言う。ならば証拠がなくても仕方ない、自白してるから有罪となったのが、この松橋事件だ。
ところが、小刀の柄に巻いた布と言われた物が、今回の再審で検察が出して来た証拠に混じっていた。もちろん、その布にも血液は付着していない。となれば、誰が考えても犯人としておかしい、と思うだろうし、なぜ検察は「布を燃やした」とする自白が嘘だと知っていながら布を隠したのだ!!と思うよね。でも、そうは思わないのが検察だ。
再審開始決定を書いた裁判所はマトモだと言いたいが、同じ昨日、横浜事件と呼ばれる古い事件の裁判では、裁判所自身が判決などの資料を燃やしてしまったのに、その責任はないとして請求を棄却する判決が出されている。
今の日本は、もう権力者と言われる組織や人の語ることは信じてはいけない時代なのかも知れない。信じて騙されるのは騙される方が悪いかも知れないよね。
正義や真実、道理や誠を求めるためには、それらを裁く新しい仕組みを作らないとダメな時代だよなぁ。そして人の言葉が信じられる時代を取り戻したいなぁ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿