先日の愛知県の事件に続いて、京都府で起きた15歳の女子高校生が殺された事件。まるでドラマかよ、と思いたくもなるこの展開。いったい世の中はどうなっているのか。本人にも多少は責任がある事かも知れない。けれど殺されるまでの責任があったのかどうか。まだ、15歳。これからの人生がどれだけあった事か。本人のみならずこうした事件では残された家族の悲哀ってんですか、そこがたまらない。どんな思いでこれからを生きていくのか。被害者とのつながりが深かった人ほど生きていくのが辛い筈。「親より先にいく程の親不幸はない」とはよく言われる事ですがまさにそのとうり。そこまでの辛さは頼むから味合わせてくれるな、と我が息子達にも声を大にして言いたい。
海外旅行中もネットのニュースを同行者がチェックしていたので、リンリンの具合が悪く、その後死んでしまった事も知ってはいた。けれど、帰国後の新聞記事によって36年ぶりに上野動物園にパンダがいなくなってしまった事実を初めて知った。何だか遅まきながらショック。トントンやユウユウなど続々と中国から来日していたパンダ。そのためリンリンが危篤と聞いても他の誰かが存在すると信じて疑わなかったのだ。けど、トントンは2000年7月に14歳で死亡。ユウユウは1992年11月にリンリンとの交換で北京へと渡っていたのだった。確かに中国に渡ったのがいた、とは思っていたけどそれが彼でいまだに戻っていないとは思いもしなかった。それなりの大変だったのですね。可愛いだけのパンダじゃあなかったんだ。苦労もしていたのだ。今回、来日している中国の国家主席胡錦濤氏はパンダ関係には明るい人だったらしくレンタルパンダ2匹を約束してくださったそうで。良かったんじゃないの。とりあえずは明るい話題がもたらされて。パンダ不在の上野動物園では誰も行きたいと思わないでしょうから。改めてリンリン、謝謝!
大型連休最終日って事で、かどうかは分からないがやたらに今日の午後はTVでのスポーツ中継が目立った。暇をもてあまし気味のこちらとしてはそんなTV中継をひたすら楽しんだ。最初のフィギアスケートは正直退屈な場面も多かった。後の方には大物選手の登場もあって楽しめたが、初めの方は名も知らない選手達がやたらに出てきてのん気な滑りを披露。これは辛い。見たくもないものを延々と見せられるなんて。そうこうするうちに体操の時間。これまた見知らぬ選手も多くいまひとつ引き付けられないまま、見入った。北京オリンピックの選考会を兼ねた大会故に即、代表選手の発表あり。やたらに緊張している感ありの選手陣。こんなんで本番はどうなるのか? やや不安を抱えての旅立ち・・・・かな。最後に楽しませて頂いたのはシンクロ。うーん。良くは分からないが懸命さは充分に伝わってきた。これ程神経を使い、体力を消耗する競技も珍しいのではないか。デュエットやらチームやらと協調性も求められ、やってられなくない? 私が万一選手になっていたらはっきりと言いたくなる位大変な毎日だと思う。見ているだけであー、しんど。
今日が何の日で休日なのか、すっかり忘れていた。朝のニュースで”本日はこどもの日・・・・”と伝えているのを耳にして気づいた次第で。我が子がチビだった時代には敏感に反応していたのに最早、ふたりも二十歳を過ぎてしまった為こども、って言葉にも鈍感になっている感じ。それに何万円もするゲーム機や携帯電話を持ち、大トロや炙りトロにも慣れているこども達相手に何を今更”こどもの日”かね、とも思えるけれど。一度作った祝祭日を取り消す事は出来ないのでしょうけれど、今何の日を無くそうかと言われればこの日を上げたくもなりますわな。この考えは間違っているのでしょうか。単に休めれば良いと感じる人々も多い事でしょうから賛同してくれる人は少ないかな。ま、どっちでもかまいませんが。それにしても今のこどもって何が楽しくて生きているのか。そんな事を言ったら絶望的か。けど、そんな事も言いたくなるような時代じゃないですか。或る意味彼らも可哀相なのですよね。こんな時に生まれてしまったのですから。
アメリカ・メキシコ旅行から戻った。本来の目的地はメキシコ北部の町ティファナあたりから南下してバハカリフォルニア半島をずずっと行って、途中でフェリーに乗ってアメリカに帰るなんてルートを考えていたのですがこれがなかなか。問題があったので計画を変更し、メキシコには一泊しただけで早々にアメリカ内のネバダの砂漠地帯、オレゴンの雪山、カリフォルニアの国立公園めぐりの旅に。けれどこれが素晴らしかった。2年前の同じ頃にもここらを訪ねた。グランドキャニオン、ラスベガス、サンフランシスコ、ヨセミテ国立公園などに行き感動したのだ。今回はそれよりもマニアックと呼べる、なんとも密なドライブツアーだったのでは? 無償で尽くしてくれた専属のツアコン兼ドライバーであるダンナには心底感謝。是非またこんな旅に連れて行ってね、とどこまでも他力本願の私である。