先週の土曜日に放映された第32期女流王将戦三番勝負第二局。対局日は10月28日。
清水市代女流王将の先手で▲7六歩△3四歩に▲6八玉の中飛車封じ。里見香奈女流名人は△4二飛。さらに3筋の位を取ってから振り直し,浮飛車から石田流のような構え。この手損を咎めるべく先手は抑え込みにいきました。
ここから後手が捌きに出ます。角交換して飛車を2筋に。先手は▲2六角と打って方針を貫こうとしますが△4四歩▲3五歩△4五歩▲同歩△6四角▲1八飛△1四歩(第2図)。
もう半分くらいは捌けた感じで,それなら玉の堅さが違いますからもう後手の方が勝ちやすそうに思えます。ここで▲3六金と上がりましたがこれが疑問。△1五歩▲5六銀に△1六歩と薄くなった端から来られ,一遍に収拾がつかなくなってしまいました。
これ以降も手数こそ伸びましたが,後手がどんどんと優勢を拡大していくばかり。典型的な振飛車完勝といえる一局になりました。
これで1勝1敗。第三局は今週の土曜に放映されます。
伯母の来日の翌日にあたる11月4日は,僕が外出しなければならなかったので,妹を送り,そのまま出掛けました。実際に伯母に妹を送ってもらうようになったのは5日からですが,僕が個人的に最も負担に感じていたのがこのことでしたので,単に肉体的に楽になったというよりも,精神的にかなり余裕が生まれました。
11月8日は父の百日法要。お寺の話ですと,法要はお寺で行うこともできるし,自宅で行うこともできるということでした。ただ,お寺でやるとなると,やはり大がかりなものとなり,その後の精進落としなどもしなければなりません。このときの状況からそれはやればできないことはありませんでしたけれども,やはりなるべく負担を減らしたいということもあり,月曜日に自宅で行うということを選択しました。出席したのは僕のほかには来日した伯母,それから父の最も下の姉,父の次兄夫婦,それから3番目の姉とその長女。あとはお寺の方が3名ほど。したがって住職を含めて11人ということになります。午後1時から1時間ほどをかけ,つつがなく終了しました。なお,この1時間というのはほぼ読経の時間です。僕の経験は拙いものではありますが,仏教というのは宗派によってこういうときの読経時間の長さというのがだいぶ異なるように思います。その中では本門仏立宗は仏教の中ではこれがかなり長い方なのではないでしょうか。
四九日法要が彼岸の最中ということで,納骨をこの百日法要の日に延期してはどうかという話もあったのですが,その日にすませておきました。もちろんそのときは,母の異変が起こるなどということはだれも想像していなかったことであり,単に家庭の都合でそうしたまでです。しかしこの日になってみると,四九日の日に納骨まですませておいて本当によかった。もしもこの日が納骨ということになっていたら,こんなに慎ましくすませるというわけにはいかなかったでしょうし,納骨に母が参加できないところでした。
1時間ほどですので2時頃に法要は終了しました。父の次兄夫婦と姉は,次兄の自動車で墓参りに。僕はそのまま磯子中央病院に母の見舞いに向いました。母もこの百日法要のことはだいぶ気にかけていましたので,無事に終わって少し安心したようです。
清水市代女流王将の先手で▲7六歩△3四歩に▲6八玉の中飛車封じ。里見香奈女流名人は△4二飛。さらに3筋の位を取ってから振り直し,浮飛車から石田流のような構え。この手損を咎めるべく先手は抑え込みにいきました。
ここから後手が捌きに出ます。角交換して飛車を2筋に。先手は▲2六角と打って方針を貫こうとしますが△4四歩▲3五歩△4五歩▲同歩△6四角▲1八飛△1四歩(第2図)。
もう半分くらいは捌けた感じで,それなら玉の堅さが違いますからもう後手の方が勝ちやすそうに思えます。ここで▲3六金と上がりましたがこれが疑問。△1五歩▲5六銀に△1六歩と薄くなった端から来られ,一遍に収拾がつかなくなってしまいました。
これ以降も手数こそ伸びましたが,後手がどんどんと優勢を拡大していくばかり。典型的な振飛車完勝といえる一局になりました。
これで1勝1敗。第三局は今週の土曜に放映されます。
伯母の来日の翌日にあたる11月4日は,僕が外出しなければならなかったので,妹を送り,そのまま出掛けました。実際に伯母に妹を送ってもらうようになったのは5日からですが,僕が個人的に最も負担に感じていたのがこのことでしたので,単に肉体的に楽になったというよりも,精神的にかなり余裕が生まれました。
11月8日は父の百日法要。お寺の話ですと,法要はお寺で行うこともできるし,自宅で行うこともできるということでした。ただ,お寺でやるとなると,やはり大がかりなものとなり,その後の精進落としなどもしなければなりません。このときの状況からそれはやればできないことはありませんでしたけれども,やはりなるべく負担を減らしたいということもあり,月曜日に自宅で行うということを選択しました。出席したのは僕のほかには来日した伯母,それから父の最も下の姉,父の次兄夫婦,それから3番目の姉とその長女。あとはお寺の方が3名ほど。したがって住職を含めて11人ということになります。午後1時から1時間ほどをかけ,つつがなく終了しました。なお,この1時間というのはほぼ読経の時間です。僕の経験は拙いものではありますが,仏教というのは宗派によってこういうときの読経時間の長さというのがだいぶ異なるように思います。その中では本門仏立宗は仏教の中ではこれがかなり長い方なのではないでしょうか。
四九日法要が彼岸の最中ということで,納骨をこの百日法要の日に延期してはどうかという話もあったのですが,その日にすませておきました。もちろんそのときは,母の異変が起こるなどということはだれも想像していなかったことであり,単に家庭の都合でそうしたまでです。しかしこの日になってみると,四九日の日に納骨まですませておいて本当によかった。もしもこの日が納骨ということになっていたら,こんなに慎ましくすませるというわけにはいかなかったでしょうし,納骨に母が参加できないところでした。
1時間ほどですので2時頃に法要は終了しました。父の次兄夫婦と姉は,次兄の自動車で墓参りに。僕はそのまま磯子中央病院に母の見舞いに向いました。母もこの百日法要のことはだいぶ気にかけていましたので,無事に終わって少し安心したようです。
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