スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スポーツニッポン賞鎌倉記念&第二部定理二九備考

2011-10-07 19:13:31 | 地方競馬
 北海道から3頭,愛知から1頭が遠征してきた第10回鎌倉記念は,冷たい雨が降った一昨日の夜に川崎競馬場で争われました。モリヤッコが口の中を負傷したため競走除外となり13頭。
                         
 発馬自体はほぼ揃ったのですが,人気になった北海道のウィードパワーは外にもたれたために立て直さなければならず最後尾に。もとよりこういう競馬をする馬ではありませんし,不良馬場でもありましたから,事実上はここで競馬を終えてしまいました。また,最初の正面では同じ北海道のヘヴンズパワーが先頭に立ったのですが,急な左カーブの1コーナーをスムーズには曲がりきれず,このために追っていた馬も何頭かが外に振られる不利。ここでがらりと馬順が変わり,向正面に入るところではキョウエイロブストが逃げる形になり,不利をくぐりぬけたテンピークスとキョウエイぺトラが続きました。変則的ですがペースはかなりのハイ。
 向正面でぐんぐんと上がっていったのがルイクリスタルラヴで,そのままスピードを緩めずに捲りきり,直線入口では先頭。追ってきたのはクリヤマキアート,ニシノファイター,センゲンオーラの3頭。直線はこの4頭の叩き合い。センゲンオーラは脱落し,粘るルイクリスタルラヴの外に並び掛けたのがニシノファイター。最後はニシノファイターが半馬身出て優勝。ルイクリスタルラヴが2着でクリヤマキアートが3着。
 優勝した北海道のニシノファイターはここまで6戦2勝。デビュー戦を勝っているくらいですから素質はあったでしょうが,その後の成績から北海道3頭の中では最も人気薄。ただこういう馬でも勝ってしまうのが北海道と南関東のこの時期の2歳戦のレベル差ではあります。左回りを問題なくこなしたのはひとつの収穫。向正面では2着馬より前に位置していましたが,2着馬が前を一掃するようなレースをして,それについていきましたので,展開的にも恵まれた面はあったと思います。新馬も1700で勝っていますから,距離もある程度はあった方がいいのでしょう。
 長く上山でトップジョッキーとして活躍,廃止に伴い北海道に移籍した小国博行騎手は南関東重賞初制覇。管理している北海道の堂山芳則調教師は2008年の平和賞以来の南関東重賞制覇で,鎌倉記念は初勝利。

 なぜ人間の精神による受動の場合には,マシュレと僕との間にある根拠の相違があまり問題にはならないと僕が考えるのかといえば,これは根拠を問う以前の問題として,スピノザの哲学の根幹と関係すると考えるからです。
 そもそも,人間の身体が外部の物体によって刺激を受けるなら,これはスピノザの哲学から離れて一般的にいっても人間身体の受動です。そしてこの人間身体の受動に基づいて,あるいは基づくといういい方が何か因果関係を連想させてしまうのなら,その受動と平行してといい換えてもいいですが,その人間の精神が事物を認識する,すなわち表象することを,スピノザは人間の精神が事物を自然に共通の秩序に従って認識するといいます。いい換えればこうした認識の秩序というものは,その人間の身体の刺激状態の秩序に相応してその人間の精神のうちに,このブログでの表現を用いるならば身体の変状として生じるのです。
 しかるにこのことだけから,これが人間の精神の受動であるということが帰結すると僕は考えます。なぜならばこれは,人間の精神が内部から決定されて,いい換えれば十全な原因causa adaequataとなって事物を認識しているのではなく,むしろ外部からの決定を受けて,つまり部分的原因causa inadaepuata,causa partialisとして事物を認識しているということが明らかだからです。このことを踏まえてスピノザは第二部定理二九備考で次のようにいっています。
 「精神は物を自然の共通の秩序に従ってex communi naturae ordine)知覚する場合には,(中略)常に自分自身についても自分の身体についても外部の物体についても妥当な認識を有せず,単に混乱し(毀損し)た認識を有するのみである」。
 つまり,もしも人間の精神が内部から決定されるのではなく,いい換えれば純粋な思惟作用としてではなく,事物を認識するならば,この観念は必然的に混乱した観念なのです。したがってマシュレのようにこれが純粋な思惟作用ではないがゆえに人間の精神の受動であると結論しても正しいでしょうし,僕のようにこの観念が混乱した観念であるから人間の精神の受動であると結論してもやはり同じように正しいのだと僕は思うのです。したがってこの場合には,僕が考えているような僕とマシュレとの間にあるであろう根拠の相違というのは,それほど問題にしなくてもいいだろうと僕は考えます。

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