スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&予告

2018-05-22 19:15:35 | 将棋
 塩田温泉で指された第29期女流王位戦五番勝負第二局。
 渡部愛女流二段の先手で里見香奈女流王位のノーマル向飛車。互いに美濃囲いに組んだ後,先手から仕掛けました。ただ2二に歩を打って,その地点に銀が残ったまま2三に飛車を成っていくというのは,好んで指したい攻め方とは思えません。先に龍を作れたので不満ということはないでしょうが,十分に満足がいくという仕掛けにはなっていなかったように思います。
 まだ続きそうなところから急に終わってしまう将棋になりました。
                                     
 5五の地点で金の交換が行われた局面。ここで☗5七歩と受けておけばまだ長い将棋になったと思われます。しかし☗5六歩と打ち☖同飛のときに受けずに☗6二歩と攻めました。
 先手の金が6八にいるのは後手が☖6八歩と打って☗同金と取らせたため。これは美濃囲いを攻めるときに手筋ですが,この局面では☗6一歩成と取っても詰めろになるわけではなく,ぬるかったようです。
 後手は☖8七歩と王手で叩いて☗同玉に☖7九銀と打ちました。先手も☗6一歩成と取る余裕はないので☗8八金と受けたのですが☖5九飛成とさらに手抜いて攻められました。
                                     
 第2図は受けの形は☗6九金ですが☖8八銀成☗同玉☖7七角成で寄せられてしまいます。この受けが利かないのでは先手の勝ち目はなくなっているといってよいでしょう。
 里見王位が勝って1勝1敗。第三局は30日です。

 スピノザがいっている虚構の意味をどう把握するにせよ,直線はそれ自体で一端が固定しもう一端が運動するものではありませんし,半円は直線部分を軸として運動するものではありません。ですから直線の観念ideaから必然的にnecessario円の観念が生じるというものではありませんし,半円の観念から必然的に球の観念が生じるというものではないことは確実です。円の十全な観念idea adaequataや球の十全な観念を知性intellectusのうちに発生させるのは,その知性が直線の観念および半円の観念に対してそうした運動motusを能動的に肯定しているからであって,この限りで直線が運動する観念あるいは運動している直線の観念も,また球が運動する観念あるいは運動している球の観念もその知性のうちで十全であるとみなすことができるのです。したがって単に知性のうちの十全な観念からは十全な観念が発生するということだけでなく,知性のうちの十全な観念は同じ知性のうちの十全な観念から発生するということも組み合わさって,知性のうちに発生する十全な観念の十全性は保証されるのだし,僕たちはそのことを知ることができる,いい換えれば単に論理的にだけでなく,現実的に保証が成立していることになると僕は結論しておきます。
 これで『ゲーテ『親和力』における「倫理的なもの」』に関連する論考は終了です。また,この本に関しては『ゲーテとスピノザ主義』との関連でとりあげたものであり,そちらに関係する論考もすでに終了しています。よってここからはまた日記に戻るのですが,その前にいっておきたいことがあります。
 僕が『ゲーテとスピノザ主義』および『スピノザ―ナ15号』を読了したのは,昨年の5月31日のことでした。ですから日記はそこから再開するのですが,この後で,思いもよらぬことが発生することになりました。それが何であるかは日記の中でいずれ明らかにすることになるでしょう。ただ,こうした事態が発生したため,ここからの日記は非常に長いものになることを予告しておきます。僕は日々の生活でもスピノザ主義者を目指しているので,部分的に哲学的考察が入りますが,哲学に特化した長期的な論考はしばらく行われないと思っていてください。

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