スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ひろしまピースカップ&第四部定理七〇備考

2017-12-25 19:03:43 | 競輪
 昨日の広島記念の決勝。並びは吉沢‐萩原‐川崎の東日本,稲垣‐村上‐北野の近畿中部,原田‐河端‐池田の四国中国。
 河端がスタートを取って原田の前受け。4番手に吉沢,7番手に稲垣という周回。残り3周のバックから稲垣が上昇。コーナーは原田ラインと併走の形。ホームに入って原田が引き,稲垣が先頭に。この隊列になるとすぐに吉沢が発進して稲垣を叩いてバックに。後方になった原田がすぐに巻き返し,吉沢を叩いて打鐘。周回中と同じ隊列の一列棒状に。稲垣は自身がコーナーに入る前から発進。コーナーからホームの入口にかけては吉沢と併走し,ここから前を叩きに出ましたが,1コーナーで早くも河端が番手から発進。稲垣はバックで一杯となってしまいましたが,マークの村上はうまく池田の後ろにスイッチしました。直線に入ってから踏み込んだ池田は,外を伸びてきた村上を厳しく牽制したものの,フィニッシュ寸前で村上が捕えて優勝。池田が4分の1車輪差で2着。池田の牽制によって大きく開いた河端と池田の間に進路を取った北野が差し込んだもののこちらは届かず8分の1車輪差で3着。
                                     
 優勝した京都の村上博幸選手は先月の大垣記念に続いての優勝で記念競輪6勝目。広島記念は初優勝。このレースは自力の3選手がそれぞれ勝つようなレースをすれば原田は優勝候補のひとりであったと思われますが,3番手が地元の池田ということもあり,後ろを引き出す競走に徹しました。それでも稲垣が早めに巻き返してきたために,河端が早い段階で番手捲りを敢行。池田には悪くない展開だったと思いますが,稲垣が力を出した分だけ村上も池田の後ろに簡単にスイッチできました。そういう意味では村上の優勝には稲垣の貢献が大きかったといえるでしょう。前のふたりがいいお膳立てをしてくれた池田にとっては無念のレースであったろうと思います。

 第四部定理七〇を実践の指針として活用するとき,自由の人homo liberとして実践しなければならないということは明確な指針となり得るのに対して,ある具体的な行動に関して,できる限りその行動をとるというのは,あまり明確な指針であるとはいえないかもしれません。というのは,自由の人でなければならないということ,すなわち理性ratioの指図に従わなければならない,あるいは同じことですが能動的に実践しなければならないということは,そうでなければならないという点で絶対的な意味を有します。ところができる限りある実践をするというのは,絶対にそのように実践しなければならないという意味を有するわけではなく,そこには例外が生じるということを同時に意味しているからです。したがってこの部分は,むしろ絶対的にそうであるといえるような指針は存在しないのであるということをいっているのと同じであると考えられることになります。ただ,具体的な行動に関していうなら,すでに示したようにその状況に応じて実践しなければならないのであり,したがって絶対的な意味での指針はないのです。逆にいえば,絶対的な指針はないということがひとつの指針であって,できる限りである実践を行うということは,消極的な意味では指針のひとつであるといえるでしょう。
 この定理Propositioの後の備考Scholiumの冒頭で,スピノザはなぜできる限りであるのかということの理由,すなわちこの点では絶対的な指針が存在しないことの理由を示しています。
 「私は「できるだけ」という。なぜなら彼らは無知な人間であってもやはり人間であって,危急な場合には,何より貴重な人間的援助をなし得る」。
 この定理は無知な人間の親切を避けることという具体的な行動について言及しているので,備考もまたそうした観点から書かれています。しかしここでは具体的な行動そのものについて検討しているわけではありません。そしてそうした観点から読めば,ここでは無知な人間でもやはり人間であるという点が最も重要であるということは分かるでしょう。要するに人間が人間に対してある実践をする場合には,絶対的な指針となり得るようなものは存在しないのです。

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