カナダから1頭,浦和から1頭が遠征してきた第40回フェブラリーステークス。
メイショウハリオは発馬後に躓いて騎手がバランスを崩してしまい7馬身の不利。好発のレモンポップを外から追い抜いたショウナンナデシコの逃げ。2番手にジャスパープリンスとヘリオス。4番手にケイアイターコイズ。5番手はシャールズスパイト,ドライスタウト,レモンポップ,テイエムサウスダン,セキフウの集団。その後ろにアドマイヤルプス。11番手にオーヴェルニュ。12番手にソリストサンダー。13番手にケンシンコウ。3馬身差でスピーディキック。15番手にレッドルゼル。2馬身差の最後尾にメイショウハリオという隊列。前半の800mは46秒6のハイペース。
直線の入口ではショウナンナデシコ,ヘリオス,ケイアイターコイズの3頭が併走。この中からはヘリオスが前に出ましたが,3頭の外に出されたレモンポップの手応えは楽で,ほどなく単独の先頭に。内目の馬群がごった返す中,後方2番手から外を回ったレッドルゼルが追い込んできたものの届くところまでいかず,楽に抜け出したレモンポップが優勝。レッドルゼルが1馬身半差で2着。発馬で致命的な不利があったメイショウハリオが2馬身半差の3着まで追い込みました。
優勝したレモンポップは根岸ステークスからの連勝で大レース初制覇。今年はメンバーのレベルが低調でした。このレースはチャンピオンズカップから直行してきた実績馬が勝つというパターンが最も多く,そうでないなら根岸ステークスか東海ステークスの優勝馬がそのまま勝つという傾向。今年はこの傾向に該当するのがこの馬だけだったので最有力候補とはみていましたが,1600mより1400mの方がよさそうでしたし,主戦騎手が別の馬に乗ったこともあり,あくまでも相対的に押し出されての評価で,不安は感じていました。快勝ではありましたが,後方から追い込んだ馬が2着と3着に食い込むようなレースでしたので,ハイペースだったとはいえ全体のレベルは高かったとは思えず,どこまで評価してよいのかは僕にはまだ分からないところがあります。
騎乗した坂井瑠星騎手は朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース4勝目。フェブラリーステークスは初勝利。管理している田中博康調教師は開業から5年弱で大レース初勝利。
これは何度かいっていることですが,このことは基本的にライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの哲学に向けられる批判です。いい換えれば,ライプニッツが神Deusは最高に完全summe perfectumであるということを肯定していると仮定して,そのライプニッツの見解opinioを逆手に取ったものだといえます。ライプニッツのモナド論では,無限に多くのinfinitaモナドMonadeの中から最善のモナドを選択した結果effectusが現にある世界であるということが基本路線となっていて,これは神が善意によってモナドの選択を行うといっているのに等しいからです。したがってライプニッツがいっている神は,善bonumによって駆られるような存在者であることとなり,最高に完全であるということにはなりません。つまりライプニッツの哲学では,神は存在するけれども善という目的finisのために働くagere,最高に完全な存在者ではないということになるのです。
ライプニッツはヤコービFriedrich Heinrich Jaobiとは異なり,キリスト教への深い信仰心があったと断定することができるわけではありません。ただ自身の立場上,キリスト教的な神を保守しなければならなかったので,神が最高に完全であるということを否定するnegareわけにはいきませんでした。もっともこのことは,ライプニッツがそれを無視して,哲学的に神を考えたとしても,同じことではあったでしょう。もしもライプニッツが自身の立場を無視して神について考えるconcipereことができたのであれば,スピノザと同じように,善にによってすべてのことをなす神が最高に完全ではないということを肯定するaffirmareことができたかもしれません。要するにライプニッツのモナド論というのは,ライプニッツというひとりの哲学者が編み出した論理であったわけではなく,社会的な立場から便宜的に編み出したものという可能性がないわけではありません。スピノザがライプニッツのモナド論で示されているような神を批判することができたのは,スピノザは守るべき社会的立場をもたない在野の哲学者であったことも大きかったと僕は思います。
もうひとつは,神が最高に完全であるならば,神はなし得ることのすべてを現になさなければならないということです。もしも神がなし得ることのいくつかをなさないとすれば,最高に完全であるとはいい難いからです。
メイショウハリオは発馬後に躓いて騎手がバランスを崩してしまい7馬身の不利。好発のレモンポップを外から追い抜いたショウナンナデシコの逃げ。2番手にジャスパープリンスとヘリオス。4番手にケイアイターコイズ。5番手はシャールズスパイト,ドライスタウト,レモンポップ,テイエムサウスダン,セキフウの集団。その後ろにアドマイヤルプス。11番手にオーヴェルニュ。12番手にソリストサンダー。13番手にケンシンコウ。3馬身差でスピーディキック。15番手にレッドルゼル。2馬身差の最後尾にメイショウハリオという隊列。前半の800mは46秒6のハイペース。
直線の入口ではショウナンナデシコ,ヘリオス,ケイアイターコイズの3頭が併走。この中からはヘリオスが前に出ましたが,3頭の外に出されたレモンポップの手応えは楽で,ほどなく単独の先頭に。内目の馬群がごった返す中,後方2番手から外を回ったレッドルゼルが追い込んできたものの届くところまでいかず,楽に抜け出したレモンポップが優勝。レッドルゼルが1馬身半差で2着。発馬で致命的な不利があったメイショウハリオが2馬身半差の3着まで追い込みました。
優勝したレモンポップは根岸ステークスからの連勝で大レース初制覇。今年はメンバーのレベルが低調でした。このレースはチャンピオンズカップから直行してきた実績馬が勝つというパターンが最も多く,そうでないなら根岸ステークスか東海ステークスの優勝馬がそのまま勝つという傾向。今年はこの傾向に該当するのがこの馬だけだったので最有力候補とはみていましたが,1600mより1400mの方がよさそうでしたし,主戦騎手が別の馬に乗ったこともあり,あくまでも相対的に押し出されての評価で,不安は感じていました。快勝ではありましたが,後方から追い込んだ馬が2着と3着に食い込むようなレースでしたので,ハイペースだったとはいえ全体のレベルは高かったとは思えず,どこまで評価してよいのかは僕にはまだ分からないところがあります。
騎乗した坂井瑠星騎手は朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース4勝目。フェブラリーステークスは初勝利。管理している田中博康調教師は開業から5年弱で大レース初勝利。
これは何度かいっていることですが,このことは基本的にライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの哲学に向けられる批判です。いい換えれば,ライプニッツが神Deusは最高に完全summe perfectumであるということを肯定していると仮定して,そのライプニッツの見解opinioを逆手に取ったものだといえます。ライプニッツのモナド論では,無限に多くのinfinitaモナドMonadeの中から最善のモナドを選択した結果effectusが現にある世界であるということが基本路線となっていて,これは神が善意によってモナドの選択を行うといっているのに等しいからです。したがってライプニッツがいっている神は,善bonumによって駆られるような存在者であることとなり,最高に完全であるということにはなりません。つまりライプニッツの哲学では,神は存在するけれども善という目的finisのために働くagere,最高に完全な存在者ではないということになるのです。
ライプニッツはヤコービFriedrich Heinrich Jaobiとは異なり,キリスト教への深い信仰心があったと断定することができるわけではありません。ただ自身の立場上,キリスト教的な神を保守しなければならなかったので,神が最高に完全であるということを否定するnegareわけにはいきませんでした。もっともこのことは,ライプニッツがそれを無視して,哲学的に神を考えたとしても,同じことではあったでしょう。もしもライプニッツが自身の立場を無視して神について考えるconcipereことができたのであれば,スピノザと同じように,善にによってすべてのことをなす神が最高に完全ではないということを肯定するaffirmareことができたかもしれません。要するにライプニッツのモナド論というのは,ライプニッツというひとりの哲学者が編み出した論理であったわけではなく,社会的な立場から便宜的に編み出したものという可能性がないわけではありません。スピノザがライプニッツのモナド論で示されているような神を批判することができたのは,スピノザは守るべき社会的立場をもたない在野の哲学者であったことも大きかったと僕は思います。
もうひとつは,神が最高に完全であるならば,神はなし得ることのすべてを現になさなければならないということです。もしも神がなし得ることのいくつかをなさないとすれば,最高に完全であるとはいい難いからです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます