「完オフだから」。記者と情報提供する側とのルール確認、ある意味紳士協定である。もちろんメモを取らず、レコーダーも使用しない。提供者は私見や内情を自身の許される範囲内でリークする。時にそれは世論操作だったりもするが、今後の記事展開の材料になったりもする。言わば、持ちつ持たれつのものなのだ。例えばそこで、重要な事実の暴露があり、国益にもかなう場合であればメディアも迷わず記事化するだろう。しかしそのハードルはかなり高いことを記者もメディアも認識している。R新報は記事化の理由を「発言内容を報じる公共性、公益性があると判断した」そうだが、一読者として公共性、公益性は微塵も感じられない。むしろ、芸能人のスキャンダラスを暴く写真週刊誌的な臭いしかない。そしてこの報道によって、微妙に保たれていた安全保障と住民の忍従、そして基地経済というトリニティが大きく崩れる結果になった。同席した他社の記者たちは、発言の記事化は問題の本質でないこと、政治家ではなく官僚であることをから、問題はあるものの、酔った高級官僚の不謹慎な発言と片づけ、デスクも同じ判断をしたのだろう。R新報は記事の中で「人権感覚を欠いた防衛局長の問題発言に反発の声が上がりそうだ。」としているが、こんな世論誘導的な記事の書き方があるのだろうか。沖縄に混乱を与えるだけのこの記事に地元メディアの劣化を見る思いがする。