鬱オヤジのストレス苦闘日誌

鬱オヤジといいます(他のブログでは違うHNですが・・・)
主にストレスやうつ病について書きます。
くらいですよ~~

「心の休ませ方」という本

2018-07-15 10:30:01 | 鬱、メンタル
ホームで時間があるときには心理学の本を読む。

自分が心良くないから、特に興味を持って読むのだが、「心の休ませ方」という本があったので、読んでみると、かなり、ドぎつい内容。

著者を見ると加藤 諦三さん。

ん?ニッポン放送テレホン人生相談の加藤さん?・・・そのようです。なおさら、興味深まり読んでみると、まず、幼児時代の愛の受け方から入る。


心理カウンセラーや心療内科の入り方と同じ。



かなり、言い切った書き方だが、この幼少期に、親からの愛の受け方が違うと、生きることに疲れた人になる。で、その原因は親からの愛の受け方。


そんな始まり方だ。



そのせいにしては行けないのだが、的を得ているので、苦笑いしながら読んでいるが、愛情に飢えることで、親に愛を貰いたいがために、演出をする。


それを繰り返すうちに、愛がほしいがためにの行動となり、何をするためにも、ご褒美をもらいたいための演出的な生き方になる。



自分もそうだったな・・・


生きることに疲れた人は、相手に悩みを語る際、たとえば、仕事でうまくいかなかったとして、その話とうぃた場合、普通なら、ありきたりの答えが返るだろう。

よく頑張ってるね、とか、やり方かた変えるのどう?とか。


だがそういう答えは心の中では求めておらず、よくそんな状態で頑張ってるねとか、答えより、行動に対しての賛美を求めている。
それは、子供の時に、親から褒美をもらいたいがために、その褒美のために言動を起こすのとにている。


確かに、鬱状態の際、相手と話、その「理解」はなかなか得られないし、欲しい言葉は来ないのは実情。

私の場合、若干違うものの、本質的なところでアドバイスや意見を欲しいということはあり、相手にありきたりな答えを欲しいのではなく、たとえば、その状態ならば、仕事はしている自体が違う、こういう先生がいるから紹介するよとか、抜本的な意見が欲しかったり、まあ、少しは誉め言葉も欲しいが、ありきたりの答えは求めたくないね。


まだ、この本は読みかけだが、鬱や生きることに疲れている原因は、幼少期からのピエロ的行動が要因であることを主張している。



人生に疲れていない人は、その逆で、愛など必要ない。褒められることなど必要ない。それはすでに、心が見経っているからであり、そういうところでの疲れが不要である。


そう、そういうところでの疲れがあるかどうか、これ重要だよね?と思うものだった。



人生でうまく行く人は、行かない人が持ってないものが満ちているからと考えることもできますね。


その原因を追ってゆくと、確かに幼少期まで遡ることが多いことに気付く。



すでに終わったことに改善を求めることはできないが、それを理解したうえで、楽に生きるのはどうか?
そう考えることも大切だな?と思うものだった。



私が切ってしまった、会計士が良い例だね。


新規獲得だ、5年後に年収1000万円だ、エリア広げろ、医者弁護士に営業しろ。

それ、間違いではないんだが、そんな「答え」は求めていない。


例えば、こういう仕事とリンクしたら?とか、こういう広告サイトを利用したらとか、今現実にできていない欠点に対し、答えを欲してるわけで、
ありきたりな答えをもらっても、それが今の自分には満たないということもそうだろう。


そのは背景には、親からの負債ややり方が改善できず、そこを認めてほしいと言うところも、確かにありましたね。

更に、その原因を遡ると、親との確執、さらに、親の自分に対してのあまり一般的でない教育、またさらに、それは虐待に近いものかとか・・・

やはりそこまで遡る。会計士にはそこまで求めてはいないにせよ、親からの体制があって、負債や売り上げ不調も、一部その原因があることを認めてほしかったこともありますね。



心療内科では、そこを探ってくれたし、叔母は、これ、あなただけの問題なの?と父親がかなりデタラメをしていて、母親のお金をあてにしたり、ええかっこしいで、銀行から借りず、人から、年3割の利息を支払い借り入れた事実や、幼少期に引っ越した田んぼの中の一軒家も、建売が失敗して、自分で背負ったことなど、聞かされていなかった数々のことを知り、それじゃ、これらの失態の結晶がその当時の数字だと読み取り、自分のやり方以外にも、すでに破たんに近いやりかたで、只、長くやっていることだけを誇りにしているだけで、中身はどうにもならない状態で、自分が継いだと解釈せざるを得なかった。


だが、このことで、考えが楽になりかけたもので、原因が他人にあると、気持ちも楽になるのは、良くはないものの、それは人間としてあたりまえだと感じるものだった。


なかなか理解をすることされることは難しく、よく書くことだが、原因を探り、正解に近い答えを貰える、受けることのできる環境は欲しいものだよね。


この本、まだ先はかなり泥臭そうだが、的を得ているだけに、真剣に読みたいものだ。





今朝一番の電話は、「お湯が出ない」とのこと。

東京ガスに電話をしたところ、管理人から出ないと受けない。


それ、ちょっと違うよね?


お湯が出ないんだからまずは状況を見て、また、費用は管理会社に確認すること、それはガス会社の仕事じゃないの?

ちょっと落ち着いたら、東京ガスにその辺の正解を求めたいが、緊急でもそうなのか?ちょっと疑わしい内容だ。


今まで、そうではなかったんで。


こういう余計な作業も、本当にイヤになることだ。とにかくトラブルが多い。


借家人は善意で、自分でガス会社に電話をしたにもかかわらず、受け入れられないから、こちらに電話そする。これは正解かもしれないが、管理物件でもないし、家主は高齢だから、理解できない。やらなきゃいけないのも、理解できないわけではないが、違う気がする。


業法もどんどん変わり、国の不祥事を全部制度化して押し付ける。


インスペクションや、賃貸物の設備管理もそうだ。


耐震や建築確認の有無などの調査も、国が甘い基準にしていたことを押し付けているしか思えない。

やりにくいものだし、どんどんイヤになるものだ。


こういうことで悩む業者もたくさんいるが、話せる相手がいないことも事実。


これも自分の仕事を圧迫させている原因でもあり、でも、それって、私悪くないよね?その答えを欲しいことも事実だね。



楽に生きるには、面倒だけど、少し分析すること、必要と思うこの頃だ。
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