休みが摂れないと、キツイ。
10年くらい前は当たり前のことだったが、一度疲れると、暫く調子が戻らないことに、年齢を感じる。
おまけに、また原因不明の咳が出てきて、調子そのものが悪い。
一昨日は休日返上し、契約を何本か入れたが、ミスがあり、そおため、昨日も契約書の差し替えなどの業務に充てるため昼過ぎまでは業務をしていた。
昨晩は、そこそこ寝れて、珍しく、多少の熟睡感はあったが、疲れがあまり取れていない。
今日は、特段やることは無いのだが、遅れている賃料の人を催促し、ようやく、今日夜に持ってくるので、それは外せない。
また、今日は朝から電話が多く、咳しながらの応対のため、今、喉もきつい。
鬱もそうだが、調子が万全でない状態で仕事をするというのは当然にムリもあるもので、出来る範囲でやるようにしてはいあるが、一人での限界に苦しむのは変わりない。
人を雇える売上はないどころか、やっとやっている感じで、でも仕事の量は多い。
他社との決定的な違いがある。多くの管理物件がありながら、父の代では「更新料」を取っておらず、また、保険代理もやっていなかった・
今まで更新料を取っていない人から、更新料発生は、トラブルになるし、行政からも「望ましくない行為」とされている。
もちろん、当事者がOKすれば有効なのだが、更新料や値上げが少ないので、長い人も多い。
更新料は、家主との折半や、家主不要の時は賃料の0,5か月以下で請求することが多い。
歴史のある業者の場合、この更新と保険代理はウエートが高く、新規が壊滅的に悪い中、経営を維持出来ているのは、これらの売上があるからだ。
ある業者の場合、ウチの1年分の総売上に匹敵する収入がある。
13年前、私は、新規のお客さんから、更新を行うようにし、保険代理も始めた。
10年すれば、そこそこの収入にはなるかな?という皮算用は失敗し、特にリーマン以降、社会人の成約率は皆無に等しいくらい厳しい。
学生も難しくなり、生活保護の方が増えているが、これは他社に断られて来られる人が中心で、家賃の上限も決まっているし、うまくいかないものだ。
平成19年までは、契約件数は、部屋が年間で20~30程度、駐車場が30~50、併せて50~80件の契約業務をこなしていたが、
20年以降は激減し。
20年、後半失速と解約が影響し、30件を切ったところで、方針を変えた。
19年は、売上が良かった。鬱が酷かったころでも、売上はあった。
あの時に、経営のことをもう少し考えるべきだxったんでしょう。
20年、鬱が酷く、姪を雇うも、これが全く戦力にならず、結局、人件費がかさみ、深刻になり、事務所移転と業務の縮小を図った。
そう考えると、あれから8年。ボロボロになりながら、どうにかやっているが、やれているとうい自覚は無い。
毎日辛く、涙も出ることもあります。
死んでしまいたい位自分を追い詰めることもあります。
だが、幸いにして、自殺未遂はありません。
先般自殺した友人は一番自殺の可能性があった人です。
なので、みんな注視しておりました。
そして、私を仲間は心配し、安否確認に来ます(笑
辛い時、家族や仲間を思い出し、しっかりしなきゃという気持ちが出てきますが、こおブレーキも利きが悪い時もありますね。
悲観だけしたら、どんどん下に向きます。わかってます。
自分で選んだ道だし、自分のやり方が悪い事もわかってます。しかし、すべてがデタラメかと言うわけでは無く、いろいろ、慰めを頂いたりする中で、「毎月赤字」が出る体質で、継いだときに1600万累積赤字がある会社。継いだお前もお前だが、そこをちゃんと説明しなかったオヤジは大問題だぞと。
私は何度も書いてますが、大学卒業後転職は6回してます。
それを自分の一番の原因としていますが、家業継承のため、辞めた会社は3社あります。
会社辞めて、家に入ろうとしたら、入れてもらわなかったことや、3度目は、痴呆の母に暴力をふろうとしたのを阻止して、出てイケ!と怒鳴られて、出て行き、就職もままならず、一度辞めた会社に復職した経緯もあります。
確かに、姉、親戚などからは反対されての3度目の継承でした。
苦渋の決断でもあったんです。
戻った会社が、汚職があり、一歩間違えれば、自分まで巻き添えいなる。自分は不正はしていませんでしたが、その事実には気付いていたので。
当時の社長は、会社経営のこと、誰にも相談できず、裏々で私に打ち明けてました。しかし、脳梗塞をおこしてから、判断が厳しくなり、私は、管理職ではないけど、営業所の責任を負ってました。
ある意味、やりがいはあった反面、汚職と会社の行く末、特に、親会社に吸収される恐れ、不正に対しての粛正などは大きな不安材料。
親会社からも、管理職に重要事項を話さず、すべて、私経由。
まあ、私が仕切っていたから、話す方もそれが楽なんでしょうね。
しかし、私の将来は保証ありません。
親会社から優秀な上司が下ってきたし、居場所もなくなる。
そんななか、宅建主任者(今は取引士)の資格が取れてしまい、そうなると、会社に対する、安定は求めなくなります。
営業先からのヘッドハントもありました。
それをヒントに、免許を活かす仕事をしてみようという思いが出てきます。
あくまでも会社殲滅の際の切り札にするよていでしたが・・・。
父とは約3年、親子の縁が切れるような仲、免許を取得するには、合格だけではだめです。
父に、職務経歴の書類を書いてもらわなければなりません。
や
そして、それを書いてもらうのと、孫にも合せてなかったから、私の娘を抱いて、書類を書いてもらいに行きます。
まあ、そこでも判断でしたね。
「これで俺も安心して辞めれるぞ」それとも、まだ、辞めることを公表して無いし、やるか?の一言に、思いがけない言葉だったから、やると返事をしてしまいました。
しかし、実際の内情を知りたいから、後日、ちゃんと話すことにしたが、年収で300万程度しか取れていないことを聞くものの、逆に300万取れればどうにかなるという強気の姿勢が狂わせました。
当時の経理担当から、後日、よく決断されましたね。
「ここ5年近く、役員報酬、半分も取れてませんよ」と聞かされ、決算書を目を通します。
既に、退職願いをだし、有給が30日あったので、その消化をしていたのですが、手遅れです。
が、先に書いた、更新や保険代理を駆使すれば、良くはなるだろうと、楽観してました。
実際は、甘くはなかった。
痴呆の母を看なければならない、業務は一人でやらなきゃいけない、デタラメに経費が掛かる体質になっている。
オヤジのゴルフ代や、社用車でゴルフ行くガソリン代、携帯電話までが引き落とされている。それら含むと毎月10万近い。
継いだは良いけど、すぐ、決裂になりそうでしたが、もう、他で働くことも難しいでしょう。
免許があるといえども。
前職に戻る前に、就職に苦労し、やっとの思いで、白アリ駆除の会社の研修に参加できました。
だが、軍隊式で、浜名湖40kmを歩かされたら、両足負傷し、歩けないのに、訓練は続き、指導者からは完全なイジメに遭ったので、4日で辞退。
足の完治に半年もかかりました。
あっせんした会社さんは、「労災」の手続きを勧めたのですが、辞退し、1日でも早く、この屈辱を忘れたい思いがありました。
なので、再就職をする困難さも、想像ができないものでした。
母のこともあるし、どういう理由にせよ、転職を重ねたことは事実だし、ここは乗った船は乗り続けようと、必死に最初の3年はやりました。
そのあとですね、無気力になり、何もできなくなったのは。
リーマンショックは、私のような仕事にも大きな影響がありました。
住宅手当廃止のため、引っ越しをしなければならない人、毎年4月は、新入社員向けの部屋を近所の会社は捜しに来たけど、そういうのもなくなったことなど、良いことがありません。
家賃の価格破壊は進み、家主さんも連鎖しておかしくなる。
ちっともよくなりません。
まさか、ここまで、需要が落ちるとは思いませんでした。
どこかで勝者がいれば、それを真似ればよいこと。
勝者なていません。みんあ辞めて行き、残った業者も顔を見合わせ、次は誰だ?の世界。
そのなかでも、管理を多く持ち、更新や保険代理をこなせているところは、凌いでいます。
10年やれば、年商の20%くらいは確保できるかな?と思ったけど、こうまで難しいとは・・・。
まあ、そんな、ジメジメいsたことと闘ってます。
しっかりしたいんだが・・。
10年くらい前は当たり前のことだったが、一度疲れると、暫く調子が戻らないことに、年齢を感じる。
おまけに、また原因不明の咳が出てきて、調子そのものが悪い。
一昨日は休日返上し、契約を何本か入れたが、ミスがあり、そおため、昨日も契約書の差し替えなどの業務に充てるため昼過ぎまでは業務をしていた。
昨晩は、そこそこ寝れて、珍しく、多少の熟睡感はあったが、疲れがあまり取れていない。
今日は、特段やることは無いのだが、遅れている賃料の人を催促し、ようやく、今日夜に持ってくるので、それは外せない。
また、今日は朝から電話が多く、咳しながらの応対のため、今、喉もきつい。
鬱もそうだが、調子が万全でない状態で仕事をするというのは当然にムリもあるもので、出来る範囲でやるようにしてはいあるが、一人での限界に苦しむのは変わりない。
人を雇える売上はないどころか、やっとやっている感じで、でも仕事の量は多い。
他社との決定的な違いがある。多くの管理物件がありながら、父の代では「更新料」を取っておらず、また、保険代理もやっていなかった・
今まで更新料を取っていない人から、更新料発生は、トラブルになるし、行政からも「望ましくない行為」とされている。
もちろん、当事者がOKすれば有効なのだが、更新料や値上げが少ないので、長い人も多い。
更新料は、家主との折半や、家主不要の時は賃料の0,5か月以下で請求することが多い。
歴史のある業者の場合、この更新と保険代理はウエートが高く、新規が壊滅的に悪い中、経営を維持出来ているのは、これらの売上があるからだ。
ある業者の場合、ウチの1年分の総売上に匹敵する収入がある。
13年前、私は、新規のお客さんから、更新を行うようにし、保険代理も始めた。
10年すれば、そこそこの収入にはなるかな?という皮算用は失敗し、特にリーマン以降、社会人の成約率は皆無に等しいくらい厳しい。
学生も難しくなり、生活保護の方が増えているが、これは他社に断られて来られる人が中心で、家賃の上限も決まっているし、うまくいかないものだ。
平成19年までは、契約件数は、部屋が年間で20~30程度、駐車場が30~50、併せて50~80件の契約業務をこなしていたが、
20年以降は激減し。
20年、後半失速と解約が影響し、30件を切ったところで、方針を変えた。
19年は、売上が良かった。鬱が酷かったころでも、売上はあった。
あの時に、経営のことをもう少し考えるべきだxったんでしょう。
20年、鬱が酷く、姪を雇うも、これが全く戦力にならず、結局、人件費がかさみ、深刻になり、事務所移転と業務の縮小を図った。
そう考えると、あれから8年。ボロボロになりながら、どうにかやっているが、やれているとうい自覚は無い。
毎日辛く、涙も出ることもあります。
死んでしまいたい位自分を追い詰めることもあります。
だが、幸いにして、自殺未遂はありません。
先般自殺した友人は一番自殺の可能性があった人です。
なので、みんな注視しておりました。
そして、私を仲間は心配し、安否確認に来ます(笑
辛い時、家族や仲間を思い出し、しっかりしなきゃという気持ちが出てきますが、こおブレーキも利きが悪い時もありますね。
悲観だけしたら、どんどん下に向きます。わかってます。
自分で選んだ道だし、自分のやり方が悪い事もわかってます。しかし、すべてがデタラメかと言うわけでは無く、いろいろ、慰めを頂いたりする中で、「毎月赤字」が出る体質で、継いだときに1600万累積赤字がある会社。継いだお前もお前だが、そこをちゃんと説明しなかったオヤジは大問題だぞと。
私は何度も書いてますが、大学卒業後転職は6回してます。
それを自分の一番の原因としていますが、家業継承のため、辞めた会社は3社あります。
会社辞めて、家に入ろうとしたら、入れてもらわなかったことや、3度目は、痴呆の母に暴力をふろうとしたのを阻止して、出てイケ!と怒鳴られて、出て行き、就職もままならず、一度辞めた会社に復職した経緯もあります。
確かに、姉、親戚などからは反対されての3度目の継承でした。
苦渋の決断でもあったんです。
戻った会社が、汚職があり、一歩間違えれば、自分まで巻き添えいなる。自分は不正はしていませんでしたが、その事実には気付いていたので。
当時の社長は、会社経営のこと、誰にも相談できず、裏々で私に打ち明けてました。しかし、脳梗塞をおこしてから、判断が厳しくなり、私は、管理職ではないけど、営業所の責任を負ってました。
ある意味、やりがいはあった反面、汚職と会社の行く末、特に、親会社に吸収される恐れ、不正に対しての粛正などは大きな不安材料。
親会社からも、管理職に重要事項を話さず、すべて、私経由。
まあ、私が仕切っていたから、話す方もそれが楽なんでしょうね。
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親会社から優秀な上司が下ってきたし、居場所もなくなる。
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父とは約3年、親子の縁が切れるような仲、免許を取得するには、合格だけではだめです。
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そして、それを書いてもらうのと、孫にも合せてなかったから、私の娘を抱いて、書類を書いてもらいに行きます。
まあ、そこでも判断でしたね。
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しかし、実際の内情を知りたいから、後日、ちゃんと話すことにしたが、年収で300万程度しか取れていないことを聞くものの、逆に300万取れればどうにかなるという強気の姿勢が狂わせました。
当時の経理担当から、後日、よく決断されましたね。
「ここ5年近く、役員報酬、半分も取れてませんよ」と聞かされ、決算書を目を通します。
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が、先に書いた、更新や保険代理を駆使すれば、良くはなるだろうと、楽観してました。
実際は、甘くはなかった。
痴呆の母を看なければならない、業務は一人でやらなきゃいけない、デタラメに経費が掛かる体質になっている。
オヤジのゴルフ代や、社用車でゴルフ行くガソリン代、携帯電話までが引き落とされている。それら含むと毎月10万近い。
継いだは良いけど、すぐ、決裂になりそうでしたが、もう、他で働くことも難しいでしょう。
免許があるといえども。
前職に戻る前に、就職に苦労し、やっとの思いで、白アリ駆除の会社の研修に参加できました。
だが、軍隊式で、浜名湖40kmを歩かされたら、両足負傷し、歩けないのに、訓練は続き、指導者からは完全なイジメに遭ったので、4日で辞退。
足の完治に半年もかかりました。
あっせんした会社さんは、「労災」の手続きを勧めたのですが、辞退し、1日でも早く、この屈辱を忘れたい思いがありました。
なので、再就職をする困難さも、想像ができないものでした。
母のこともあるし、どういう理由にせよ、転職を重ねたことは事実だし、ここは乗った船は乗り続けようと、必死に最初の3年はやりました。
そのあとですね、無気力になり、何もできなくなったのは。
リーマンショックは、私のような仕事にも大きな影響がありました。
住宅手当廃止のため、引っ越しをしなければならない人、毎年4月は、新入社員向けの部屋を近所の会社は捜しに来たけど、そういうのもなくなったことなど、良いことがありません。
家賃の価格破壊は進み、家主さんも連鎖しておかしくなる。
ちっともよくなりません。
まさか、ここまで、需要が落ちるとは思いませんでした。
どこかで勝者がいれば、それを真似ればよいこと。
勝者なていません。みんあ辞めて行き、残った業者も顔を見合わせ、次は誰だ?の世界。
そのなかでも、管理を多く持ち、更新や保険代理をこなせているところは、凌いでいます。
10年やれば、年商の20%くらいは確保できるかな?と思ったけど、こうまで難しいとは・・・。
まあ、そんな、ジメジメいsたことと闘ってます。
しっかりしたいんだが・・。
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