鬱になれば分かるが、何するにもエネルギーを使う。
あるくことさえも憂鬱だ。
電話なんてもってのほか、メールやラインも億劫、トイレや食事も大きな催しものだ(笑
引き籠ることが「唯一」の楽なこと。
それでも辛くなると、寝逃げに走る。
それでいて、妙なものに熱中したり。
私の場合はアクアリウム。とても世話が大変なのに、辛いと独り言言いながらやっている。
買い物依存とも合わさって、必要以上に生体を買い、それを死なせての繰り返し。決して心にはよくないこと。
「ツレがうつになりまして」の「ツレ」様はグリーンイグアナに凝ってのと、やはりアクアリウムもやっていたとか。
おれも、一般的なものではなく、ヤマトヌマエビの孵化。
ヤマトヌマエビ自体はポピュラーだが、孵化となると、「汽水」と「温度」設定が必要で、他のヌマエビと違い、幼体から生まれるので、魚との混泳にすると、幼体は全部餌になってしまう。
それをやるって、鬱の状態なら、考えるだけでも寝逃げしたくあんる。それが出来ちゃう。
そして調子がよくなると、その熱はいずこへ?
私もそうで、アフリカンシクリッドという魚の孵化に燃えたり、海水魚に手を出したり。
失敗を繰り返し、今年、大幅に整理。整理と言っても、生き物だから捨てるわけにはいかない。
水槽を減らし、楽にしたつもりが、どういうわけか、それに熱が入らなくなり、放置気味。
放置が良いのか、魚は元気。
あの熱はホント、いずこに。
このように、鬱になると、行動そのものが大きな祭りになる反面、今までやらなかった特殊なことに熱が入ってしまう。
鬱はだれでも掛かる可能性はありますが、その治療は数週間から数年。
私のように10年を超えるのも珍しくないとか。
薬の影響もあるのか、せっかち、落ち着かない、多動、不安などは信じられないほど解消。
これは性格ではなかったんだと思うものだ。
だが、今までできたことができず、何するのも憂鬱。
楽しいことすらも憂鬱。
仕事で大きな報酬があっても、残念ながら、その決済を考えただけで、死にたくなるくらい憂鬱に案る。本来は大喜びなのに。
今も、まだまだ憂鬱で、手に着かないこともあります・ところが、副業に関しては、自分でも感心するくらい、完璧にこなせてるんですよね。
どういうこと?と思うものです。
これで本業にも腰が入れば良いのだが、こちらは嬉しくなる材料が無い。
昨日も書きましたが、いきなりの電話がガス不良。
入居者の理解と、家主の対応に助けられ、結果的にはよかったものの、その手続きが憂鬱だった。
病名はうつと言うより社会不適合障害。
仕事が不適合ということだ。毎日これじゃ、適合する方が異常だよと最近は思うのだが、鬱が軽いときは、それでも、かなりはかどることもあり、でも、鬱が酷い場合は、ここのところは減ったが、店閉めて寝逃げに専念する。
副業ができたこと、そこで、目標ができたこと、そして、義理の兄が私の経営に関し、心配してきて、廃業の気持ちが出た場合は、一度話をしようと言ってくれた。
この一言がどれだけ嬉しかったか。
突破口を捜すのは難しいし、それらしきものを見つけても失敗する。
例えば仕事がダメで、廃業や退職する。一見良さそうに見えるが、これは後で大きな傷になる。元気になった時にね。
判断もできないし、人は「世捨て人」ともいうが、その通り。
死にたい気持ちに支配され、自分の価値の無さに落胆する。
これ、鬱ならばこうなって当然。そう思い、病気については悩まず、何がいま、楽なのか、それを考えることがまずは踏み出す一歩。
それがとにかく難しいんだよね。
昨日、いとこの見舞いの大気中に「その後ノツレがうつになりまして」を読み掛け、あらためて、鬱について考えたものです。
うまく書かれた漫画ですが、相当苦労したものと思います。
生活も厳しくなるしね。
今さら読んでどうにかなるものでもないが、今さらだから、読めるのかな?そう思った1日でした.
結構物事がスムーズに出来るようになりました。この変化は喜ばしいけど、日のよってくる重い憂鬱感。まだ付き合わなければならないのかと思うと悲しくなりますが、何がいま自分に良いのか、それだけ考えられるようになると、少しは変えられるかもしれませんね。
あるくことさえも憂鬱だ。
電話なんてもってのほか、メールやラインも億劫、トイレや食事も大きな催しものだ(笑
引き籠ることが「唯一」の楽なこと。
それでも辛くなると、寝逃げに走る。
それでいて、妙なものに熱中したり。
私の場合はアクアリウム。とても世話が大変なのに、辛いと独り言言いながらやっている。
買い物依存とも合わさって、必要以上に生体を買い、それを死なせての繰り返し。決して心にはよくないこと。
「ツレがうつになりまして」の「ツレ」様はグリーンイグアナに凝ってのと、やはりアクアリウムもやっていたとか。
おれも、一般的なものではなく、ヤマトヌマエビの孵化。
ヤマトヌマエビ自体はポピュラーだが、孵化となると、「汽水」と「温度」設定が必要で、他のヌマエビと違い、幼体から生まれるので、魚との混泳にすると、幼体は全部餌になってしまう。
それをやるって、鬱の状態なら、考えるだけでも寝逃げしたくあんる。それが出来ちゃう。
そして調子がよくなると、その熱はいずこへ?
私もそうで、アフリカンシクリッドという魚の孵化に燃えたり、海水魚に手を出したり。
失敗を繰り返し、今年、大幅に整理。整理と言っても、生き物だから捨てるわけにはいかない。
水槽を減らし、楽にしたつもりが、どういうわけか、それに熱が入らなくなり、放置気味。
放置が良いのか、魚は元気。
あの熱はホント、いずこに。
このように、鬱になると、行動そのものが大きな祭りになる反面、今までやらなかった特殊なことに熱が入ってしまう。
鬱はだれでも掛かる可能性はありますが、その治療は数週間から数年。
私のように10年を超えるのも珍しくないとか。
薬の影響もあるのか、せっかち、落ち着かない、多動、不安などは信じられないほど解消。
これは性格ではなかったんだと思うものだ。
だが、今までできたことができず、何するのも憂鬱。
楽しいことすらも憂鬱。
仕事で大きな報酬があっても、残念ながら、その決済を考えただけで、死にたくなるくらい憂鬱に案る。本来は大喜びなのに。
今も、まだまだ憂鬱で、手に着かないこともあります・ところが、副業に関しては、自分でも感心するくらい、完璧にこなせてるんですよね。
どういうこと?と思うものです。
これで本業にも腰が入れば良いのだが、こちらは嬉しくなる材料が無い。
昨日も書きましたが、いきなりの電話がガス不良。
入居者の理解と、家主の対応に助けられ、結果的にはよかったものの、その手続きが憂鬱だった。
病名はうつと言うより社会不適合障害。
仕事が不適合ということだ。毎日これじゃ、適合する方が異常だよと最近は思うのだが、鬱が軽いときは、それでも、かなりはかどることもあり、でも、鬱が酷い場合は、ここのところは減ったが、店閉めて寝逃げに専念する。
副業ができたこと、そこで、目標ができたこと、そして、義理の兄が私の経営に関し、心配してきて、廃業の気持ちが出た場合は、一度話をしようと言ってくれた。
この一言がどれだけ嬉しかったか。
突破口を捜すのは難しいし、それらしきものを見つけても失敗する。
例えば仕事がダメで、廃業や退職する。一見良さそうに見えるが、これは後で大きな傷になる。元気になった時にね。
判断もできないし、人は「世捨て人」ともいうが、その通り。
死にたい気持ちに支配され、自分の価値の無さに落胆する。
これ、鬱ならばこうなって当然。そう思い、病気については悩まず、何がいま、楽なのか、それを考えることがまずは踏み出す一歩。
それがとにかく難しいんだよね。
昨日、いとこの見舞いの大気中に「その後ノツレがうつになりまして」を読み掛け、あらためて、鬱について考えたものです。
うまく書かれた漫画ですが、相当苦労したものと思います。
生活も厳しくなるしね。
今さら読んでどうにかなるものでもないが、今さらだから、読めるのかな?そう思った1日でした.
結構物事がスムーズに出来るようになりました。この変化は喜ばしいけど、日のよってくる重い憂鬱感。まだ付き合わなければならないのかと思うと悲しくなりますが、何がいま自分に良いのか、それだけ考えられるようになると、少しは変えられるかもしれませんね。
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