晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「炎のごとく」(81・日) 75点

2015-11-29 15:20:04 | 日本映画 1980~99(昭和55~平成11) 

 ・ 情緒の巨匠・加藤泰監督・脚本による最後の劇映画

                 

「瞼の母」(62)、「沓掛時次郎 遊侠一匹」(66)の任侠ものや「緋牡丹博徒」シリーズの巨匠・加藤泰最後の劇映画で、幕末の京都を舞台に会津の小鉄こと仙吉を主人公にした二部構成・147分。原作は飯干晃一の「会津の小鉄」。

 問屋の息子・仙吉は、人を殺し大阪を追放され博徒で放浪中、ごぜのおりんと知り合う。そんななかイザコザで賭場荒らしを刺殺してしまう。挙句にシマの縄張り争いのため、おりんが犠牲になる。

 復讐を誓う仙吉だったが、親分衆に止められてしまう。大阪に戻った仙吉は旧友の山崎蒸と再会、新撰組隊士たちを世話するが・・・。 

 兎に角豪華キャストである。主演の菅原文太を始め、倍償美津子・若山富三郎・中村玉緒・藤山寛美・藤田まこと・大友柳太朗・高田浩吉・丹波哲郎・佐藤允など主役級の俳優がずらりと顔を揃えている。

 若手女優の層が薄いが監督ご贔屓の、きたむらあきこ・桜町弘子が情緒溢れる演技で観客の涙を誘う。

 加藤泰といえば、ローアングル、長廻しに定評があるが本作は封印。<何が正しいか、人生はどう生きれば良いか、男女の素敵な恋を描いた大活動写真時代>の再現にエネルギーを注いでいる。

 仙吉(菅原文太)とおりん(倍償美津子)の切ない恋、仙吉を慕い大阪から京で居座るお富(きたむらあきこ)、仙吉を父の仇と狙う和多田なか(桜町弘子)、若い新選組佐々木愛次郎(国広富之)とあぐり(豊田充里)の悲恋など、見せ場盛り沢山。

 二部構成なのは仙吉が放浪中の一部が纏まって面白いが、二部で仙吉が時代とともに激動の渦に巻き込まれる本題となるので147分という長編となっている。正直のところ纏まりに欠けているのは否めないが、巨匠最後の劇映画と知ってみると感慨深い。

 ダイナリズム溢れる加藤泰らしさを堪能した。
 
 

 
  

「カウボーイ」(58・米)75点

2015-11-27 16:47:47 | 外国映画 1946~59

 ・ ブレーク前のJ・レモンが演じたカウボーイに憧れる男の成長物語。

                     

 ジャック・レモンといえば、「ミスタア・ロバーツ」(55)でオスカー助演男優賞を獲得して以来、「お熱いのがお好き」(59)でトニー・カーチスと組んだコメディでブレークし、その後も「アパートの鍵貸します」(60)、「酒とバラの日々」(62)でのひ弱なシリアスな役もこなす大スター。

 その彼が、西部男になろうとカウボーイに憧れる役でグレン・フォードと共演したのが本作。原作はフランク・ハリスで自身の体験をもとにしている。監督はデルマー・デイヴィス。

 1870年代シカゴのホテルマンのフランク。ホテルの常連で有名な牧童頭トム・リース(G・フォード)一行が滞在するため、お気に入りの部屋を用意する必要があった。そこには牧場主ヴィルタ一家が泊まっていて移ってもらう役割りをフランクが受け持つ。

 ヴィルターの娘マリアと恋仲のフランクは、父親に結婚の許しを願うが身分違いと断られ、牧場へ戻ってしまった。

 牧童頭のリースは荒くれ男を束ねる度量があり、フランクは父の遺産を牛に賭け共同出資を申し出る。こうして長い牛追いの旅が始まって行く。

 実話がもとなので、荒涼たる情景のなかカウボーイの単調で過酷な労働を続ける長い旅の様子と、東部育ちのフランクが苦労しながらその世界を知って行くシーンが繰り広げられるストーリー。

 一行には時代遅れの元保安官・ドッグ(ブライアン・ドンレビ)や荒くれ男ポール(リチャード・ジャッケル)が入っているが、リースは各自の言動には口を挟まない。ことが起きても云わば自己責任で、牛を守ることだけにはリーダーシップを発揮する。

 フランクは「人と牛ではどっちが大切か?」と問い詰めるが「もちろん牛だ」と答えるリース。カウボーイの魂はここにあった。

 先住民の襲撃・銃撃戦などもあるが、最大の見せ場は貨車での移動や牛の暴走シーンはなかなかの迫力で、人身事故が起きたのでは?と思うほどだ。

 翌年、ビリー・ワイルダーで花開いたJ・レモンが演じたカウボーイ役フランクは、独特の風貌のせいか汗臭さとホコリ汚れを感じさせない不思議な西部劇だった。

 


「セッション」(14・米) 80点

2015-11-26 12:51:55 | (米国) 2010~15

 ・ 体験をもとに映画化した新鋭D・チャゼル監督のエネルギーが乗り移ったラスト・シーン。

                    

名門音楽学校に入学したバディ・リッチのようなドラマーに憧れる19歳の学生と学校で最高の指揮者との師弟関係を描いた音楽ドラマ。ラスト9分19秒が圧巻の人間ドラマとして前評判が高かった作品。

 監督・脚本は若干28歳のデミアン・チャゼルで自身の高校時代の体験をもとに書き起こしたオリジナルで、ジョニー・シモンズ、J・K・シモンズで映画化した短編「whiplash」の長編化。

 スポーツ・芸術・学会など、どの世界にも鬼教官は存在する。誰でも思い浮かべるのは、軍隊での訓練で映画では「愛と青春の旅立ち」(82)のフォーリー軍曹、「フルメタル・ジャケット」(87)のハートマン軍曹あたりが有名。

 その世界をそのまま音楽に置き換えた本作は、<才能ある若者と教官の師弟愛を描いた感動物語>を想定するが、見事に裏切られる。

 ニーマン(マイルズ・テラー)は音楽とは縁のない家庭環境に育ちながら、ドラムのセンスに長け憧れの名門シェイファー音楽学校へ入学。そこには屈指の指導者・フレッチャー教官(J・K・シモンズ)がいた。

 フレッチャーの目に留まったニーマンはスタジオ・バンド・メンバーとして順風満帆のスタートが切れたかに見えた・・・。

 とにかくフレッチャーの鬼教官ぶりが尋常ではなく、高圧的で罵詈雑言はもとより狂気としか思えない努力を強いる。並の人間ならシッポを巻いて逃げ出すのが普通だが、ニーマンは必死に喰らいついてゆく。

 ここからはジェット・コースター・ムービーでラスト9分19秒のクライマックスへ一直線。

 オスカー5部門にノミネートされJ・K・シモンズの助演男優賞、録音・編集の3賞を受賞している。恰好の宣伝となったのは14年1月上映以来、米国でのジャズ・ミュージシャンと映画評論家とのバトル。

 バトルは日本でも再現された。筆者はジャズには詳しくないが若い頃からイージー・リスニングとしてのジャズ愛好家。そんなジャズ音痴には、本作が音楽ドラマとして支離滅裂だという批判は、批評対象になるほど意味のある作品だということの証として興味を持たせてくれた。

 これには程遠いが、筆者の疑似体験は高校時代の数学教師で、当時としては珍しい草履履きで現れ、今朝はごはん3杯味噌汁2杯を食べたという自己紹介だった。答えができないと黒板に頭を擦り付け怒鳴りつける。苦手な数学が益々嫌いになった。でも今思うと努力した生徒には愛情溢れる言葉を掛ける熱血教師でもあった。

 近年では地元の高校が甲子園に出場したとき、監督は生徒のミスがあると椅子を投げつけたという伝説があり、本作でもフレッチャーが同じシーンがあってまんざら嘘ではないなと感じた。

 本作の評価は音楽の優劣より、疑似体験の有無で変わってくるように感じる。ドラマを支えたM・テラー、J・K・シモンズの熱演も見逃せない。

 時折見せる他人への優しさも持つ<只者ではないフレッチャーの人間性>を描写した若きD・チャゼル。大方の予想を超えたラストシーンで、ハリウッド期待の星となった彼の次回作に目が離せなくなりそうだ。

「君が生きた証」(14・米) 80点

2015-11-23 17:08:36 | (米国) 2010~15

 ・ 重いテーマなのに爽やかな、W・H・メイシー初監督の音楽ドラマ。

                  

 自信満々なアド・マンのサム。大口の受注に成功したサムは寮生活の息子ジョシュを昼食に誘う。ジョシュは現れず、レストランの大型映像に写し出されたのは息子の学校で起きた銃乱射事件だった。

 突然の事件で息子を失ったサムは、2年後はボート暮らしで日雇いのペンキ職人に変貌していた。そんななか別れた妻が、ジョシュの遺品整理で見つけた未発表曲のデモCDを持って現れた。

 遺された息子の歌を継いでいこうとするサム。その歌に魅了されたロック青年のクエンティン。疑似親子のような2人の再生と成長を描いたヒューマン・ドラマ。

 監督はウィリアム・H・メイシーでこれが初監督。「ファーゴ」(96)では気弱な中古車ディーラー役、「マグノリア」(99)では元天才クイズ王に扮し、強烈な印象を残した名脇役だ。

 序盤からさりげなく何か引っかかるシーンがあったが、観客は2人の男が未発表曲で結ばれ、ライブ・バンドを組み心が癒され、自信を取り戻して行く爽やかな音楽ドラマとして見守ってゆく。

 筆者もそのつもりで観ていたので、息子を失った哀しみのあまり新しい人生に向かって歩むことができない中年男の再生物語をストレートに表現した展開で、メイシーらしくないなと思っていた。

 原題「ラダーレス」は、<舵が効かずあてもなく彷徨う>という意味。2人のバンド名にしては不自然だと思っていたが、まさしくサム自身のことを指していた。

 ジョシュの葬儀や、会社に戻ったサムに何となくヨソヨソシカッタこと。TVリポーターの執拗な追っかけ。ジョシュのガールフレンドの悲しむ有様などなど・・・。事件の終盤でその謎が解け、序盤の引っ掛かりが全て氷解した。

 ケーシー・トゥエンター、ジェフ・ロビンソンというインディーズ系の共同脚本が、なかなかのものでメイシーはこのシナリオに惚れ込んで監督を買って出た。

 音楽は若者らしい素直で少し青臭い歌詞とシンプルな曲をソリッド・ステート(サイモン・ステッドマン、チャールトン・ペッタス)が担当していて、これがもう一つの主役ともいえる。

 主役のサムを演じたビリー・クラダップが素敵な中年男を演じ同情を惹きつけ、気弱で純粋なミュージシャン志望の若者クエンティンに扮したアントン・イェルチンに成長を願いながら物語を追ってゆく展開。吹き替えなしのライブ・シーンがリアル感を醸し出している。

 マトリック・シリーズでお馴染みのローレンス・フィッシュバーンが楽器店主役で、スパイスの効いたいい味を出しているのも印象的。

 メイシー監督もライブ・オーナー役、妻のフェリシティ・ハフマンがサムの別れた妻役で登場し、この作品への想いが伝わってくる。出番は少ないが、ジョシュのガールフレンド・ケイト役のセレーナ・ゴメスの変貌ぶりも見逃せない。

 未完成の曲にサムが歌う<息子よ、息子よ・・・>と繰り返すライブ・シーンに、重いテーマのこのドラマにひとつのあかりが灯されたように感じた。その後を撮影したがカットしたメイシー監督の英断に拍手!次回作が楽しみだ。

                    

「映画女優」(87・日)70点

2015-11-20 17:28:23 | 日本映画 1980~99(昭和55~平成11) 

 ・ 最後の映画女優・吉永小百合が名女優・田中絹代を熱演。

                     

 新藤兼人原作「小説・田中絹代」をもとに市川崑が、新藤・日高真也とともに共同脚本・監督した吉永小百合の映画出演99本記念映画。

 わざわざ99本目を記念する映画とは珍しいが、特に意味はないようだ。因みに100本目は「つる」(市川崑監督)である。

 大正14年、15歳だった田中絹代が松竹蒲田へ移ってから、昭和26年「西鶴一代女」の撮影まで、日本映画の変遷とともに昭和の大女優の半生が描かれている。

 市川監督は晩年の田中を知っているのでこの映画を撮るにあたって「敬意をもって、謙虚に冷静に彼女の人生を追ってゆく手法」で挑むと言っている。

 そのため、彼女の女優人生は一家を支え恋を知った10代、可憐なアイドル女優として邁進した20代の前半と溝内(口)健二監督と出会い演技に目覚めた30歳から、「西鶴・・・」を撮影する41歳までの後半まで、僅か130分で纏めることの難度の高さをものともしない監督の手並みは鮮やかだが、ハイライトを見た気分。

 その間日本映画の歩みとともに名画や監督が登場もしくは紹介され、邦画ファンでもある筆者に嬉しいシーンが見られるが、田中絹代の女優人生にはあまり関係ない処もある。
 
 彼女が戦後映画親善大使としてハリウッドへ渡り、帰国後パレードをして不評を買いファンからそっぽを向かれた30代がスポッと抜けてしまったのは物足りなかった。

 主演した吉永小百合は大熱演。あとからネーミングされたがサユリストにはハラハラしそうな入浴シーンや、有名な清光(水)宏と契約結婚中の畳にオシッコをするエピソードもあって41歳にして10代から20代を演じきったのは吉永ならではの感があった。

 ただ、田中絹代のイメージは残念ながら吉永小百合と本質的に違うような気がする。特に年齢的には最も近い後半の溝内(口)健二との出会いからは昭和の大女優・田中絹代ではなく最後の映画女優・吉永小百合だった。

 市川演出らしいエンディングに拍子抜けしたが、波乱万丈の後半生を想像させるような終わり方でもあった。

「テレマークの要塞」(65・英/米)70点

2015-11-17 16:35:07 | 外国映画 1960~79

 ・ノルウェーのレジスタンスをもとにしたA・マン監督の戦争サスペンス。

                   

 <テレマーク>といえば、スキー・ジャンプの着地スタイルを連想するが、ノルウェーにある地域を指す。

 ナチス原爆製造基地を爆破するため集結したノルウェー特殊部隊の活躍を描いた戦争アクションだが、「ナバロンの要塞」(61)のような派手な戦闘シーンのある大活劇とは趣きが違って地味な展開だ。

 テレマーク地域ノルスク・ハイドロ工場は、ナチス・ドイツによって原爆には欠かせない重水を製造しているため、イギリス特殊作戦執行部はノルウェー・レジスタンス・メンバーを訓練し工場爆破作戦を画策する。

 レジスタンスのリーダーはクヌート(リチャード・ハリス)で、旧友の科学者・ロルス教授(カーク・ダグラス)が主要メンバーとして加わった。

 K・ダグラスといえば筆者は「OK牧場の決斗」(57)のドク・ホリデイを思い出すが、代表作は何といっても「スパルタカス」(60)だろう。

 その「スパルタカス」で監督をしたのは当初アンソニー・マンだった。2人は撮影開始後意見が合わずマンが降板、無名のキューブリックが起用されたという経緯があって5年後のコンビ再開となった。

 今回は監督の意向通り、できるだけ事実をもとに描き撮影には可能な限り実物を使用すること、ノルウェーの冬山の美しい景観の素晴らしさを映像化することなどを意識した作りとなった。そのため丁寧な演出となったが、その分冗長さは否めない。

 ロルス教授役のK・ダグラスはプレイボーイで、元妻アンナ(ウーラ・ヤコブソン)に再会すると未練たっぷりな人間味溢れる人物。片やクヌート役のR・ハリスは理想主義者の堅物。対照的な2人が祖国を救うためにした命懸けの行為が、原爆を阻止したヒーローとして描かれる。

 わずか9人で工場爆破に成功したがナチスはストックを準備しており、その輸送計画を阻止しようとするシーンが最大の見所でサスペンス気分を味わえる。

 この作戦は第二次大戦の行方を左右した核兵器開発を阻止したという説と、ヒトラーは「ユダヤ人の科学」を忌み嫌い細々と続けられていたので大勢には影響しないという説があって、事実関係ははっきりしない。

 だが戦後、この行為によってノルウェーの英雄たちが存在したことは、世界中に広まったことは間違いない。

「海峡」(82・日)70点

2015-11-12 16:45:58 | 日本映画 1980~99(昭和55~平成11) 

 ・ 海底トンネル一筋の男を演じた昭和の男・高倉健。

                   

 八甲田山(77)、「動乱」(81)と東映ヤクザ映画から脱皮した高倉健が、青函トンネル開通工事に従事する技術調査員に扮し、四半世紀に亘って難工事に挑んだ男を描いたドラマ。豪華キャストによる東宝創立50周年記念作品。

 54年(昭和29年)青函連絡船「洞爺丸」転覆事件は多数の犠牲者を出した。その直前に<青函トンネル技術調査団>が調査開始されていて、その重要性を実感した。

 トンネル技師・阿久津(高倉健)は、青森側から船で海底の石を採掘してトンネルが可能かを見極める国鉄建設線課・津軽調査所へ着任し、57(昭和32)年に可能であると答申する。

 以来明石海峡調査の辞令で故郷岡山へ着任した7年間を除いて82(昭和57)年・貫通まで終始青函トンネルに従事している。

 まさに<ミスター海底トンネル>と呼ばれるに相応しい昭和の男。幾多の苦難に挑む阿久津役の高倉健はイメージぴったり。同類では「黒部の太陽」(68)があるが、まさに<プロジェクトX>のよう。

 竜飛岬で身投げしようとして阿久津らに助けられた多恵に吉永小百合が扮し、仄かな恋慕の情を持ちながら阿久津を見守るという、献身的な女が登場する。許嫁・佳代子(大谷直子)と結婚した阿久津を絶えず竜飛で支えた健気な女で、こういった男のドラマには必要不可欠だったのだろう。

 メロドラマ風な人間模様はドラマに厚みを増したともいえるが、その設定には微妙な気もする。2人のシーンにはスター俳優同士の清々しさを感じたが・・・。

 吉永同様、大御所・森繁久彌もこの大作ならではの役で登場している。僅か25名でスタートした鉄建公団で、トキにはぶつかりながら阿久津を支えるベテラン坑夫・岩田源助役だ。戦争で逃亡中娘を亡くして埋めた土地と同じ北緯41度で、10万年前マンモスが通った道を通すというロマンに共感した男。

 他では洞爺丸で両親を失った成瀬仙太が、鉄建公団一期生として入社し14年後の貫通で想いを果たすという悲話もあって、若手の三浦友和が演じているが3人の演技と比べるには可哀相。

 結局のところ、健さんと吉永、健さんと森繁、森繁と吉永のシーンが最大の見所の映画となっている。

 国鉄(JR)の重要プロジェクトだった青函トンネル。殉職者34名を出したこのトンネルを新幹線が通過するのが間近となった今、改めて先人の苦労を知る意味では貴重な作品だ。

 

「イマジン」(12・ポーランド/ポルトガル/英/仏) 80点

2015-11-10 12:00:59 |  (欧州・アジア他) 2010~15

 ・ 全編ポルトガル・ロケによる、味わい深いラストシーン。

                   

 ポーランド映画監督といえば、アンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキーを連想するが、近年若手監督の進出が目覚ましい。

 パブリコフスキ「イーダ」、ピュプシツァ「幸せのありか」と並んで注目されているのが、本作のアンジェイ・ヤキモフスキ監督。

 ポルトガルの首都リスボンにある視覚障害者施設に赴任した盲目インストラクターが、「反響定位」という手法で白い杖なしで歩き、外の世界に触れることの素晴らしさを子供たちに伝えるとともに、閉じこもりの女性との淡い恋物語を描いている。

 「反響定位」とは、米国のコウモリ研究者ドナルド・R・グリフィンによって導入されたシステムで、音の反響を使って周囲にあるものの位置や距離・性質・大きさを明確にするというもの。

 イアン(エドワード・ホップ)がいる隣の部屋に閉じこもっている女性エヴァ(アレクサンドラ・マリア・ララ)は、小鳥の餌やりで窓越しに互いを認識する。

 イアンに誘われエヴァが街に出るとそこには様々な匂いや雑踏の賑わい、路面電車や車の音、木々の騒めき、鳥の鳴き声など様々な音が耳に入ってくる。外で食べるサクランボの新鮮な味わいにも驚く。

 イワンはバーでワインを注文しながら、近くに港があって大型客船が出入りしているはずだとエヴァに語り、想像力を膨らませる。

 港も船も映像にはないが、視覚で情報を得ている観客以上にイワンには古都リスボンの美しい風景が見えているのではないかと想わせる。

 密かにイワンは目が見えているのではと疑う青年セラーノ・医師や修道士達の危惧もあって、イワンの指導は波乱のときを迎えることに・・・。

 リスボンは、古くはヴィム・ヴェンダースの「リスボン物語」(94)、近くは「リスボンに誘われて」(14)など映画の舞台には魅惑的な都市である。

 全編ポルトガル・ロケによる透明感溢れる自然光と、屋内の影と外からの光のコントラストある人物像は詩や絵画を想わせる。映像に重なる音響はひときわ臨場感を高め、まるで観客を現地に誘うようだ。

 なにより感動的なのは余韻を持たせた味わい深いラストシーンで、監督の才能はここに集約されている。

 国際色豊かなキャスティングでイアンのE・ホップはシェイクスピア俳優の英国人、エヴァ役のA・M・ララはルーマニア系ドイツ人女優で筆者には「ヒトラー最後の12日間」(04)での秘書役が印象深い。

 ノンフィクションではないのに、人種の違う子供たちがコップに水を注ぐシーンなどで純粋な演技を魅せてくれ、思わず頑張れ!と応援したくなる。

 オープニングに「私の妻エヴァに捧ぐ」とあるが、彼女がモデルではなくプロダクション・デザイナーとして映画製作に携わっている。苦楽を共にした感謝の意を示したのだろうか?これからも、このようなハートフルな作品を2人で作ってくれることを願っている。

 

 

 

 

「山椒大夫」(54・日)80点

2015-11-08 15:30:45 | 日本映画 1946~59(昭和21~34)

 ・ 民話や鴎外から抜け出ようと、もがいた溝口のリアリズム。

                   

 「安寿と厨子王」の民話を文豪・森鴎外が小説化した原作「山椒大夫」をもとにした溝口健二監督作品。

 2年連続ベネツィア国際映画祭で受賞している溝口が3年連続を背負って出品しただけに、民話の持つファンタジーでもなく鴎外が書いたノスタルジックな格調でもない、溝口ならではのリアリズム溢れる作品に仕上がった。

 陸奥の国守・平正氏は民に手厚い施政を行ったため筑紫へ流罪となってしまう。筑紫に向かった奥方・玉木(田中絹代)と幼い兄妹が人買いにさらわれ、山椒大夫が支配する荘園で奴隷として過酷な労働を強いられる。

 10年後、兄・厨子王(花柳喜章)は妹・安寿(香川京子)に励まされ荘園を脱出、都へ渡って関白に直訴。正氏の嫡子と認められ、丹後の国守として赴任、山椒大夫と対決する。

 八尋不二の脚本は鴎外の原作に沿ったシナリオだったが溝口は気に入らず、気心知れた依田義賢にあれこれ注文を付け出来上がった。

 時代を平安末期(永禄元年・1801)に設定したため、時代に沿った荘園制度が現代社会にとって如何に不条理な奴隷の犠牲によって成り立っていたことをより強調したものとなった。

 そのため奴隷の逃亡に対して額に焼き鏝で烙印を押すシーンが登場するなど、極悪非道の大夫をどう扱うかに相当苦労した節が伺える。

 因みに民話では<鋸引きの刑に処される>というもので、鴎外作では<改心した大夫の下、荘園が栄えた>という両極の話しとなっている。

 本作では史実に沿って、国守は荘園領主内は管轄外であるという法が縛りとなって荘園が所有する民を解放できないため、それをどう対処したかを説明するシーンがある。いささか冗長な部分もあって、中弛み傾向が見られた。

 原作にある安寿と厨子王の幼い姉と弟がつらい労働に明け暮れ、離れ離れになった母を慕うという涙を誘うシーンもことさら強調されていない。

 それでも母と離れ離れになった渡し場のシーンや無常観が胸にせまる美しいラストシーンなど、溝口ならではの場面づくりは流石だ!

 笛を基調にした早坂文雄の音、幻想的なモノクロ画面の映像を創り上げた宮川一夫のカメラ、時代を彷彿とさせる荘園の美術などスタッフの見事さも特筆される。

 出演者のなかでは、田中絹代の奥方・遊女・老婆の変遷ぶりが核となり、山椒太夫を演じた進藤英太郎の憎々し気な悪役ぶりが中盤を盛り上げている。

 安寿の香川が身も心も儚く美しい。厨子王の花柳は新派の俳優らしく品格ある演技だったが、主役としては可もなく不可もない印象。厨子王の子供時代を演じたのが津川雅彦だったのも驚き。

 念願叶って2年連続ヴェネツィア銀獅子賞を受賞した溝口は、この年「近松物語」も監督し全盛期を迎える。「二十四の瞳」(木下恵介)、「七人の侍」(黒澤明)、「地獄門」(衣笠貞之助)が同年製作された邦画の黄金期だったため国内評価はそれほどでもなかったが、その価値は決してこれらに引けをとらない。

 惜しくも2年後没した溝口には、小津・成瀬・黒澤らと競い合って欲しかった。  

「ワルキューレ」(08・米) 75点

2015-11-06 15:31:19 | (米国) 2000~09 
 ・ ヒトラー暗殺計画を緊張感をもって描いたサスペンス。

                   

 ヒトラー関連の映画は数多くあるが、ハリウッドでトム・クルーズ主演、ブライアン・シンガー監督というアクション映画コンビによって製作するのはミスマッチでは?という前評判があった。

 事実、ドイツではかなりの反対があったという。結果は全編英語のセリフに違和感があったものの、想像以上の史実を踏まえた完成度には概ね好評であった。ユダヤ系の監督B・シンガーにとっても渾身の演出といえるだろう。

 「ワルキューレ」とはワーグナーのオペラ「ニューベルリングの指輪」に登場する北欧神話の女神の名。ドイツ国内の捕虜や奴隷が反乱を起こした際、ナチス予備軍がその鎮圧を行う作戦で、命名したのはワーグナー好きのヒトラーだった。

 いっぽう国内の文化人・政治家・軍人などが密かに反ナチス組織を結成していて、その機会を狙っていたがガードが固く何度も失敗を重ねていた。

 レジスタンスの主要メンバー、トレスコウ少将(ケネス・ブラザー)は酒に爆弾を仕掛けた暗殺計画に失敗、実行者ブラント大佐の欠員を埋めるため、アフリカ戦線で左眼・右腕・左手指2本を失った英雄シュタウフェンベルグ大佐(T・クルーズ)と会い、ヒトラー暗殺を打ち明ける。

 暗殺作戦立案者のオルブリヒト将軍(ビル・ナイ)、ベック参謀総長(テレンス・スタンプ)など軍人・政治家のレジスタンス主要メンバーは、敗色色濃い全軍に戦闘停止命令を出すことに注力しているが、シュタウフェンベルグは暗殺・ベルリン制圧・新政府樹立という壮大な作戦を立案し賛同を得る。

 予備軍参謀長となった彼は、ワルキューレ作戦を利用し、暗殺後ナチス政権を転覆させ連合軍との和平成立をしようという、いわば軍事クーデター。

 いよいよ実行となるまで、ヒトラーにワルキューレ作戦変更計画の承諾を獲ったり予備軍司令官フロム(トム・ウィルキンソン)の懐柔したりする必要があった。

 結果は失敗すると分かっていても、作戦はどのように発動され何故上手く行かなかったのか?歴史の1ページを紐解く緊張感が漂う。

 主人公は愛国者で、敬虔なカソリック信者で、妻・ニーナ(カリス・ファン・ハウテン)と子供たちをこよなく愛する善き軍人で、風貌もT・クルーズ張りの二枚目。とてもミスキャストとは言えないほど良く似ている。

 T・クルーズも他作品と比べると派手さを抑え、真摯な軍人役に徹していたように感じた。

 作戦大本営である<狼の巣>へ乗り込み、10分のタイムリミットで成功しなければいけない緊迫感はなかなかのもの。それも全ドイツ警察長官・ヒムラー不在のため実行をためらったベックの躊躇もあり、1度ならず2度も味わう羽目になるとは。

 ただかなりの数が軍服姿で登場するため、テンポよく進む展開は人と名前を覚えるのに一苦労。達者な脇役陣も見せ場が少なく、その心情などが充分活かされていないようでモッタイナイ気がした。

 歴史に<もしも>はタブーだが、本作戦を始め15回もあったヒトラー暗殺計画がもし成功していたら、20世紀の世界史は大幅に違っていたものになったことだろう。

 T・クルーズ目当てに本作を見た人にも、歴史の一端に触れる切っ掛けになったのでは?