・ 戦後の祇園で生きる人間模様を描いた溝口。
日本の代表的花街・祇園を舞台に、シキタリ社会に生きる芸妓とお茶屋・馴染み客が繰り広げる人間模様。川口松太郎の原作を依田義賢が脚色し、全盛期の溝口健二が監督、宮川一夫が撮影して独特の世界・祇園を見事に描写している。
主演は木暮実千代と若尾文子。情が篤く義理堅い屋形を持つ芸妓木暮と、あどけない16歳の舞妓を演じた当時19歳の若尾があでやかな着物姿で魅了。
旦那を持たず頑張っている美代春(木暮実千代)。かつての馴染み客沢本(進藤英太郎)の娘栄子(若尾文子)が芸妓になりたいと飛び込んできた。
表の華やかさとは裏腹の厳しい世界に、憧れだけでは務まらないと諭すが直向きさに負け受け入れる。メリヤス問屋の父は経営が左前、おまけに身体が不自由な身。母を亡くし16歳の娘が父親とけんかしてのことだった。
お茶屋の女将お君(浪花千栄子)は満面の笑みで美代春に面倒を観るように勧める。
ここで、お君がおかあさん・美代春がお姉さん・栄子が妹という血縁関係のない祇園ならではの家族が誕生する。
世代の違う3人が繰り広げる祇園は、一般社会より金と力の渦巻く過酷な世界。技芸学校の先生(毛利菊枝)が唱える、<フジヤマとゲイシャは世界に知られているが、祇園の芸妓は日本の生きた芸術品。国際的に恥じないような芸妓になりなさい>といわれるが、芸事やお作法を会得しても男と女のシキタリで成立するお座敷での基本的人権は意味をなさない。
栄子の舞妓・美代栄としてのお披露目に必要な30万を工面した美代春はお君に借りたもの。お君は、車両会社専務の楠田(河津清三郎)に無心したもの。
楠田の狙いは8千万の車両受注を役所の課長神埼(小柴幹治)から受けたいと接待に明け暮れ、神埼が美代春に気があるのを幸いに仲を取り持ち、おまけに栄子の旦那にもなろうという魂胆だった。
権力の構図はあまりにも直截的だが、これほど極端ではないにせよ現代でもありがちな構図。この世界に浸って生きてきたお君は当然のこととシキタリを当たり前のこととして美代春に説く。
いちどははねつけた美代春に待っていたのはお座敷が掛からないという真綿で首を絞めるようなお君の仕打ちだった。演じた浪花の強かな演技はまるで本物で、満面の笑みと柔らかい言葉の裏にある凄みを感じさせられる。
「西鶴一代女」(52)、「雨月物語」(53)と時代物大作が続いた溝口だが、大映の重役でもある川口松太郎原作の小品を監督したのは、是非に望んでのことではなかったことだろう。
それでも全盛期の溝口らしい切れ味は随所にみられ、虚と実の世界で生きる祇園の世界を描いてみせた。木暮の女盛りの色香と若尾の初々しい奔放さを惹きだしながら陰湿さを感じさせない演出は流石である。