晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
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「激突!」(71・米)70点

2022-09-15 14:04:36 | 外国映画 1960~79


 ・ 「ジョーズ」に繋がるS・スピルバーグの出世作。


 リチャード・マシスンが実体験をもとにした短編を、当時無名だった25歳のスティーヴン・スピルバーグが監督した。74分のTV映画を劇場用に再編集した90分が評判を呼んで彼の出世作となった。原題は「Duel」。

 セールスマンのディヴィッド・マンがタンクローリーを追い抜いたことがキッカケで執拗な追跡を受け死の恐怖を味わうというシンプルなストーリーを得体の知れない怪獣との闘いのように描いた。
 ヒッチコックの巻き込まれ型サスペンスようでもあり、のちの大ヒット作「ジョーズ」(74)のようでもある。

 主演したのは「ガンスモーク」(55~64)、「警部マクロード」(70~77)でお茶の間でお馴染みデニス・ウィバー。
最初から最後まで出ずっぱりの大奮闘!
 相手のタンクローリー運転手は原作と違って下半身と腕以外見せず得体がしれないのが恐怖感を増す。
 途中のカフェで運転手を探るところは尊敬する黒澤明「野良犬」のラストシーンを連想させるつくりだ。
 スピルバーグは怪物タンクローリー<ピータービルト281>対小市民デヴィット・マンの対決を描きたかったようだ。

 筆者はNETの「日曜映画劇場」で穂積隆信の吹替えを観たがこれが本邦初公開でリアルタイム鑑賞である。
 今のように携帯電話やましてドライブレコーダーがない時代、砂漠のようなカリフォルニア地域での走行は恐怖感がまるで違っていたのを実感している。
 その後未見だが、劇場用ではマクロードの宍戸錠、日本テレビでは徳光和夫という違ったキャラクターで放映されている。
 改めて字幕版を観ると極力台詞を最小限にすることで映像に集中させる手法をとっていることに気づいた。

 類似作品は多いが本作を超えたものは見当たらない。ラッセル・クロウ主演の「アオラレ」(21)はどうだろう...。


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1 コメント

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Unknown (風早真希)
2023-08-02 09:33:06
「激突!」を再見すると、少し誇張して言えば、ここにスティーヴン・スピルバーグ監督の全てが、すでに顔をのぞかせているのがわかりますね。

デビュー作に表現者の生涯の全部が表れると言われますが、奇しくも日本での初登場となった「激突!」の中に、スピルバーグの本質は、全て花開いていると思います。

普通車に乗って出張中の平凡なサラリーマンが、巨大なタンクローリーに執拗に追われる。
初めは気にもしていなかったのが、相手は「大」で、こちらは「小」、だんだん怖くなってくる。

次第に生命の危機さえ感じて、逃げて逃げまくる。
タンクローリーが地獄の底までつけまわしてくる。
最後にサラリーマンは、必死の覚悟でタンクローリー車に戦いを挑む。

「小」が「大」と戦う。そして、タンクローリーは谷底へ落ちていくのだった--------。

単純なストーリーだ。セリフはほとんどないし、だいいちセリフなんか必要がない。
映像が全てを語って余りある。

追いかけられる理由が全くない。
だから、不安が増してきて、いつか恐怖におののいて逃げまどう。

アメリカ西部の荒野を背景に繰り広げられるカーチェイス映画であり、延々と走り続けるという意味では、アメリカ映画お得意のロードムービーの伝統も引き継いでいるが、"不気味な不安と恐怖"が次第に高まっていくサスペンスが、実に見事だ。

私は、この映画を観ながら、フランツ・カフカの小説「変身」が脳裏をよぎった。
ある朝、主人公のザムザが目覚めると、大きな虫に変身していたという、有名な短篇小説だ。

主人公がなぜ虫になってしまったのか、その他、全ての「なぜ」に説明がないまま、彼はよりによって家族に殺されてしまう。
現代人の存在の根源的な不安を先取りした不条理を描いていた小説だった。

内容は違うが、この「激突!」も何がなんだかわからないままに、追いかけられる。
これまた不条理。タンクローリーの運転手の顔は一度も映画に出てこない。

この映画の成功の大きな要素は、実はここにあるのだが、アイディアはスピルバーグの天才性を示していると思います。

相手がいかなる魂胆を持って追いかけてくるのか想像することさえ拒否している。
いや、あらゆる想像が可能だ。
だから不安が増す。

主人公の不安と恐怖は、現代という時代を象徴している。
現代は社会が肥大化し、機械文明が巨大化し、人間が機械を制御することが困難な時代だ。

いや、機械に人間が振り回されていると言ってもいいと思う。
なんとも恐ろしい。そんな不安と恐怖は、例えてみれば、理由もわからずにタンクローリーに追いかけられているサラリーマンの男に似ている。

現代に生きる人々は、いつ何どき同質の不安と恐怖に陥れられるかもしれない。
ある日、突然、虎になっていたという中島敦の「山月記」をも想起させますね。

そんな時代に我々は生活しているのだと思います。
日常の隣に、底なしの暗闇が我々を飲み込もうと待ち構えているようでもある。
だからこそ、この「激突!」にリアリティを感じてしまうんですね。

とにかく、スピルバーグの不安と恐怖の雰囲気づくりが見事だ。
「第三の男」で見せたキャロル・リード監督の鮮やかなサスペンス描写に匹敵すると思います。

スピルバーグの演出のうまさに舌を巻いて観ているうちに、すっかり私は画面の中に吸い込まれるが、スピルバーグ演出の基本はリアリズムだと私は考えています。

スピルバーグは、大冒険活劇が得意であり、科学的ファンタジーの世界やら、恐竜時代を豊かな想像力で再現するなど、誰もが到達できなかった映像世界を切り開いた映画作家には違いありません。

だが、スピルバーグの出発はリアリズムだ。
初め、気楽にタンクローリーを追い抜き、また追い抜かされる遊びをやっていたサラリーマンに恐怖が生まれる。
そこに至る描写には種も仕掛けもない。
つまり、ファンタスティックなものが入り込む余地がないリアリズムだ。

ドライブインのシーンでの多少思わせぶりな演出を除くと、全編に嘘がない。
スタジオで撮ったテレビ・ドラマではなく、ほとんどが自動車の実写を含むロケで撮っているが、後にスピルバーグがSFXやCG技術を駆使して、いわば「作り物」の世界を、いかに本物らしくどのように大袈裟に作り上げて、観る者を喜ばすかに全知全能を賭けることになるのとは、全く違っている。

これが、スピルバーグの出発なのだ。
「激突!」が追われる者の不安と恐怖を描く、すなわち不条理を押し付けるだけの映画だったならば、この映画の価値はさほど大きくなかっただろう。

原題がDuel=決闘とあるように、追い詰められたサラリーマンは、逃げまどいながらも、その不条理=悪と「決闘」する決意をし、土壇場で男気を出すのだ。
リアリズムから離れるとすれば、このラストだけだ。

不条理なものに対しては、己は例え小の虫であっても、不退転の決意で敢然と戦う。
この正義の心をはっきりと打ち出したところに、アメリカ的な理想主義があり、ヒューマニストであるスピルバーグのスピルバーグたる所以があると思います。

ヒューマニストとしてのスピルバーグは、早くもその第一歩の時点で、はっきりとその顔をのぞかせていて、この勇気と上昇的な気分がなければ、世界中でこれほどまでに支持される代表的な映画人にはなれなかったに違いありません。
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