晴れ、ときどき映画三昧

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「日本のいちばん長い日」(15・日)70点

2015-08-29 18:22:16 | 日本映画 2010~15(平成23~27)

 ・ 終戦に関わった主要3人をドラマチックに描いた原田眞人監督。

               

 日本人にとって知っておかなければいけない昭和20年(1945)8月15日。同年4月鈴木首相就任から玉音放送された8月15日までを、ドラマチックに描いた終戦70年目を迎えた夏の大作。

 戦争継続を主張する陸軍の総帥・東條秀樹と終結すべしという海軍の元首相・岡田啓介。2人の大論争は戦争末期の象徴でもある。連合軍のポツダム宣言を巡って受諾=降伏か?本土決戦か?に分かれ連日連夜の閣議は紛糾する。

 その間に広島・長崎に相次いで原爆投下され、国体護持のために本土決戦を主張する戦争継続者を如何に抑えるかに苦悩する阿南陸相(役所公司)・鈴木首相(山崎努)と昭和天皇(本木雅弘)の3人にスポットを当てたエンタテインメント・ドラマ。

 監督・脚本の原田眞人は原作「日本のいちばん長い日(決定版)」(半藤利一)に加え、「聖断」昭和天皇と鈴木貫太郎(半藤利一)と「一死大罪を謝す」陸軍大臣阿南惟幾(角田房子)を織り込んだ人間ドラマに仕上げている。

 同名の岡本喜八版(67)は、ナレーション・実写フィルムを前段に取り入れ45年8月14日正午からの24時間を迫力満点なドキュメンタリー風に描いているのに対し、阿南・鈴木と昭和天皇の心情を追いながらの原田版は、昭和天皇のお言葉・お考えが随所に描かれているのが最大の特長。

 岡本版は先代・松本幸四郎が演じていたが、映像では正面からは登場することなくお言葉も極めて少なく、本木演じる天皇との半世紀の隔たりを改めて感じる。本木の好演が本作の胆となった。

 「私の名で始められた戦争が、私の言葉で終わらせるのであれば、ありがたく思う。」という開戦を望まなかった天皇のご意志が画面を通してこれほどハッキリ伝わったのは初めてだろう。

 天皇の神奉者である東條が、軍をサザエの殻に、中身を国民に喩え「サザエの殻を厚くしなければ中身は死んでしまいます。」と進言すると「トルーマン、スターリンがサザエを食すだろうか?捨て去るであろう。」と返されたのは事実の有無は別に、その見識を示されたお言葉として印象に残る。

 
 阿南惟幾は主戦論者・戦争継続論者ではなく、本土決戦・主戦論者と和平論者の2派間で苦悩しつつ和平へ持っていこうとする人物として描かれている。人徳者として陸軍内で評価の高い人物だったが、軍人として有能だったとは言えない人と聞く。明治天皇に殉じた乃木希典と人物像が重なる。

 鈴木貫太郎は戦争終結に命を懸けた最後の首相として描かれ、二二六事件で銃弾を四発受けながら生き残った強者の面影を持つ老獪な人物。最後のご奉公を天皇に請われての登場だった。

 天皇と元侍従長(鈴木)と元侍従武官(阿南)の三名を中心に、その人となりや家族を描きながら玉音放送で終戦宣言した夫々迎えた運命の日。

 本作を観て感じたのは、1歳半で東京大空襲を受けた筆者にとってサスペンス・ドラマとして観るにはとても重いテーマだったこと。

 当時の空気は今では推測しきれないほどで、1億玉砕論が渦巻く時代や畑中少佐(松阪桃李)ら青年将校の反乱事件はなかなか理解できないことだろう。時代は70年経過して、太平洋戦争を実感できないものとなっている。

 今日日本の平和の礎を築いてきたのは、こうした先人たちの愛国心によるもので、後進にも伝えて行くいいキッカケとなった作品でもある。

 開戦に反対だった山本五十六・連合艦隊司令官は有名だが、他にも小野寺信・陸軍少将ストックホルム大使や新庄健吉・米駐在陸軍主計大佐など陸軍にも反戦者がいたが、真珠湾攻撃に突入してしまった。

 邦画界には、これからの世代のためにも<何故無謀な戦争に突入したのか?>をテーマにした作品の映画化を願ってやまない。

 
 
 


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