晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

『恍惚の人』 85点

2012-02-25 15:46:39 | 日本映画 1960~79(昭和35~54)

恍惚の人

1973年/日本

深刻なテーマを描きながら人間愛を謳う

プロフィール画像

shinakamさん

男性

総合★★★★☆ 85

ストーリー ★★★★☆85点

キャスト ★★★★☆85点

演出 ★★★★☆80点

ビジュアル ★★★★☆85点

音楽 ★★★★☆80点

認知症をテーマにして流行語にもなった有吉佐和子のベストセラーを、文芸映画の巨匠・豊田四郎監督、松山善三脚本で映画化。森繁久彌渾身の演技で話題をさらった、シリアスな人間ドラマだ。「老人性痴呆症」を患っている義父・茂造の介護を背負った昭子の苛立ちや、孤独感に苛まれながらも人間同士の交流を量ろうとする闘いの日々が綴られる。
この時代は第二次ベビーブームの頃で、まだ老人介護問題などたいして話題にならなかった。認知症という概念もなく、「老人性うつ病という精神病の一種」と思われていて<ボケ>という言葉が一般用語であった。介護をするのは一家の嫁がするのが当たり前という社会通念だ。
昭子は実の息子である夫・信利にも嫁いでいった京子にも役割を分担してもらうこともできず、勤め先を辞め介護に専念せざるを得ない。健常者のとき何一つ優しい言葉を掛けてもらったことがないのに、老妻の死が理解できず「昭子さん!昭子さん!」と昼夜構わず叫び続け頼りにされる。
この病気は進行性で本人には自覚症状がないのが特徴。そのあたりを克明に描いていて関わる家族の戸惑いと困惑ぶりがとてもリアルである。
徘徊や空腹を訴えている間は何とか監視していても、コミュニケーションが取れない苛立ちは日常茶飯事。そして実の息子や娘の存在も認識できず、とうとう排泄も判断できなくなる。
40年経ってようやく介護福祉制度でバックアップ体制ができ家族の負担は軽減できても、本質的解決策は見つかっていない。かえって「老々介護」や「高齢者の孤独」という新たな問題が浮かび<介護福祉制度の崩壊>も危ぶまれている。こんなときこそ、この映画を観て認識を新たにして欲しい。
昭子は何も手伝ってくれない夫に不満を募らせながら、受験生の息子・敏にときどき面倒をみてもらい茂造に接するうち、美醜や好き嫌いの判別に人間らしさを感じるようになる。やがて昭子も認識できなくなっても「もしもし」という言葉が唯一心の交流となってゆく。深刻なテーマを描きながら人間愛を謳う松山脚本は、岡崎宏三のモノクロならではの陰影を捉えたカメラワークと森繁・高峰の絶妙のコンビによって映像化されている。
当時59歳だった森繁はいつもの軽妙なアドリブは一切なく84歳の孤独な老人役をときには愛嬌たっぷりに、ときには鬼気迫る表情で迫真の演技を披露している。老人会であった浦辺粂子を「ばばあは臭いから嫌い」といったり、若い篠ひろ子には素直だったりするところは男の本性を垣間見るよう。雨の中見つけた泰山木の白い花に見入ったり、ホオジロに「もしもし」と呼びかけるなど名シーンも見逃せない。
49歳だった高峰秀子は、中流家庭の働く女性が看護する立場を背負い、悩みを抱えながら強さとふとした優しさをみせる等身大の女性を好演。脇では茂造の娘・京子役の音羽信子のドライで利己的な素振りがヒトキワ光っていた。「臭いわね、この家」とは言いも言ったりだが、孫の敏が臭いを懐かしむ台詞でバランスを取っているあたり、松山善三の優しさだろう。