ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

奈良の仏像 岡寺 「如意輪観音半跏像」

2008年12月31日 | 京都案内
岡寺 「如意輪観音半跏像」 重要文化財

像高さ16,5cmの銅造り鍍金 奈良時代8世紀の作品 重要文化財 本尊如意輪観音の胎内仏といわれるが、円筒形の椅子に座るの弥勒菩薩らしい。 
長い間、京都と奈良の仏像を紹介してきましたが、本コーナーはこれでもって終了します。ご愛読ありがとうございました。


環境問題 ブライアン・フェイガン著 「古代文明と気候大変動」  河出文庫

2008年12月30日 | 書評
人類の運命を変えた気候2万年史 第3回

序(3) 

 遠い昔に思いを馳せてみよう。南極大陸の氷床コアーには過去42万年の出来事が記録されていると云う。氷期と温暖期が層になっているからである。氷床コアーの分析によるとほほぼ10万年ごとに短い温暖期が繰り返されてきた。最期の氷期が終わったのが18000年前で、地球温暖化時代はそれから過去15000年間続いている。地球の歴史では今が気候的には最も安定した時代である。実は過去の気候変動を知る事は困難な仕事であった。計測記録が残されているのは西欧先進国で数世紀前からで、地球上の他の地域では計測記録は100年くらい前に遡るに過ぎない。それより昔の事は樹木の年輪(地域や局所の偏りがおおきい)、湖沼河川の花粉堆積層、氷河コア-などから再現した代用記録からの推測である。近代に近ずくにつれ、環境決定論(気候変動が農耕や文明など、人類の主要な発展を促した主因である)は学問の世界ではタブーであった。だからといって気候変動の影響を無視することも不可能である。本書では人間と自然環境および短期の気候変動との関係は常に相互的・流動的である事を示す事だ。紀元前1万年ごろから農耕が始まり、生活共同体が形成されると、安定した生活のために人が土地に繋ぎとめられ、危機的状況において、多数の人が移動すると云う選択肢が狭まったことで、長期短期の気候変動に一層脆弱になったといえる。文明の力で川の氾濫や不定期な降雨に対処する灌漑設備を頼りにして耕作不能の土地を耕作し始めて、古代文明が興った。チグリス・ユーフラテス川地域にメソポタミヤ都市文明がおこり、シュメール帝国が支配した。都市がある程度の規模を超えて大きくなると、ある限界から急に文明は気候変動に対して脆弱になる。そこでは気候変動に対処するコストは限りなく高いものになった。文明の辿った道筋は、ある点では脆弱性と規模とを取引してきたプロセスなのである。生活システムの利便性とリスクのバータである(リスクーベネフィット)。規模が大きくなると強くなるが、システムは脆弱となる。よくある話だ。

読書ノート 梅棹忠夫著 「文明の生態史観」 中公クラシックス

2008年12月30日 | 書評
京都学派文化人を代表する文化人類学者 第7回

生態史観から見た日本

 1957年7月「思想の科学研究会夏の討論会」に話題として講演した速記録である。「文明の生態史観」、「新文明世界地図」の発表後、各方面で反響があり「日本論」的な取られ方が多かったので、梅棹氏は意外と云う感じで日本の知識人層のあり方を論じた講演である。「文明の生態史観」は知的好奇心から世界の構造とその形成過程の認識であって、現状の価値評価や現状変革の指針を述べたものではないという。そして日本の論壇の議論は殆どが実践的立場の表明である事を発見したという。日本の知識人は政治家、為政者意識が強い。明治維新以前は武士は軍人であると同時に官僚でもあった。つまり知識人と政治的実践人としての立場が武士においては両立していた。しかし近代化の過程で大量の官僚や企業家・学者・技術者などの知識人が出るようになり、知識人において政治的意識と政治的実践は分裂が起きた。ところが後進国ではいまだに両者は統一的に一致している。現在では政治闘争の好きな韓国人みたいである。この流れで統治者でない知識人の意識の中で政治論議だけが残ってしまった。知識人の意識は統治者の意識だけを引きずっている「不適応グループ」、屈折した知識人といえる。



読書ノート 今西錦司著 「生物の世界」 中公クラシックス

2008年12月30日 | 書評
棲み分け理論からダーウインの自然淘汰進化論批判まで  第12回

第5章 「歴史について」 (1)

世界は構造を持った世界であり、生物個体、種社会、同位社会、複合同位社会、全体社会という階層で構成されている。したがって同位社会は種という血縁的関係だけでは説明できず、そこには地縁的関係が入り込んでいる。これがありのままの自然の姿である。生物個体は自らを作ってゆく主体性を持って生きている。種社会には分業の無い均質な体系であって,そういう意味で未発展社会である。複合同位社会には分業に基づく社会組織や階級が存在して全体社会となって完結すると今西氏はいう。一つの職能社会である、確かに蟻の社会はそうかもしれない。まるで人間社会を想定しているようだ。中生代の爬虫類の全盛時代とその覆滅は、支配者としての座を哺乳類に渡した。新生代に創造的進化をしたのが哺乳類と鳥類である。支配者にならなかった魚類、両生類、昆虫類は進化らしい進化を成し遂げないで、隙間社会に適応した。爬虫類と哺乳類など陸上生物の支配者は脊椎動物であった。支配階級を脊椎動物に譲った昆虫類などが生きるために体を小さくして支配者との摩擦を避けたと今西氏はいうが、本当に小さくなる方向に進化した(退化)かどうか、話としては面白いが俄には信じられない意見である。分業が身分社会という断絶をもたらしたと云う意見は、「国富論」なら分るが、生物学では議論すべき概念ではなかろうと私は思う。創造的進化という種の爆発的進化の機会はどの生物にとってもざらにあるわけではない。人間が今のその時期にあるので、ほかの生物の進化の機会は失われた。