ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 宇沢弘文著 「ケインズ一般理論を読む」 岩波現代文庫

2013年03月16日 | 書評
市民に分かるようにケインズ「雇用・利子及び貨幣の一般理論」を解読する 第4回

序(4)

 ここで宇沢弘文氏とケインズ経済学の関係をプロフィール的に振り返ろう。宇沢氏は1928年 鳥取県米子市に生まれ、東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)、1948年 -第一高等学校理科乙類卒業、1951年 -東京大学理学部数学科卒業、1951年から1953年まで数学科に在籍した。1956年経済学に転向し、 スタンフォード大学、カルフォニア大学バークレー校の経済学助教授を務めた。1964年 シカゴ大学経済学部教授、1968年 東京大学経済学部助教授、1969年同教授、1980年同経済学部長を経て1989年定年退官となった。以降新潟大学。中央大学、国連大学、同志社大学に在籍した。なお40年間以上日本政策投資銀行設備投資研究所顧問を務めている。1997年文化勲章を受賞した。一般著作では「自動車の社会的費用」(岩波新書 1974年)、「社会的共通資本」(岩波新書 2000年)が有名であるが、経済学や数学の著作が多い。宇沢氏はアメリカ滞在中より、ジョーン・ロビンソン、リチャード・カーン、ピエロ・スラッファらのケインズ・サーカスとの付き合いが深く、とくにジョーン・ロビンソンには深く師事され本書の冒頭に「亡きジョーン・ロビンソン教授に捧ぐ」という文が飾られているほどである。ロビンソンはケインズ「一般理論」の構築に主要な役割を果し、一般理論はケインズの個人的著作であるが、ケインズサーカスとの議論や問題提起から生まれた著作であるといえる。ある意味ではケインズ以上に明晰な形で一般理論を提起したジョーン・ロビンソンの学説を通じて宇沢氏は「一般理論」を理解してきたという。ケインズ経済学説を支えた理論家達が1980年代に次々と他界するにつれ、ケインズ学説が力を失っていったという物理的経過も頭に入れておかなければなるまい。

 では本書を内容に沿って検討してゆく。一般読者である私には、第1講から第3講までが概論であって、宇沢氏の明晰な文章力で理解は容易である。第4講以降はやたら大まかな図と数式の展開が多くなり、詳細を把握するのはやはり素人には難しくなっている。理科系出身の私には、とくに本書に出てくる「何とか関数(曲線)」という図は、大雑把な関係を概念で示しているにすぎず、数学や物理の関数と思うとがっかりする。AとBは関連しているくらいの把握で、正比例なのか、逆関数なのか、1次関数なのか2次関数なのか、対数関数なのか、時間と変数の偏微分方程式なのかさっぱり分からない。数学的なアナロジーを想定させるための体裁なのか、変数が妙に入り子関係にあり、鶏が先なのか卵が先なのか反論が極めて容易である。本書の数式展開は容易で少し演算すればすべて理解できた。しかし因果関係が「風が吹いたら桶屋が儲かる」式の曖昧模糊の関係を示しているにすぎず、とても数値を演算してオーダーが合う工学程度の話ではない。数理経済学とはこの程度の話だとがっかりする。経済学は科学だと考えると失望する。むしろ期待という確率現象の絡み合いが人間なのだという理解がぴったりである。
(つづく)

読書ノート アダム・スミス著 「国富論」 中公文庫(1-3冊)

2013年03月16日 | 書評
古典経済学の祖アダム・スミスが説く社会的生産力の構造と近代自由主義 第55回

第5篇 国家の収入(財政策)
第2章 社会の一般収入あるいは公共収入の財源について
[第4項] 無差別にかける税(人頭税、消費税、関税)


 いまや歴史的遺跡のような「人頭税」に対する興味はないし、今日的問題として「消費税」を重視したいところであるが、スミスは時代の子として当時の重商主義的「関税」批判に熱弁を振るうのである。重商主義批判は第4篇「経済学の諸体系」で詳しく論じているので、[第4項]無差別税では「消費税」を中心にみてゆこう。人頭税とは英国ウイリアム三世のとき貴族から商人・商店主まで身分に従って賦課された。今でいうと住民税(所得比例)のようなものかもしれない。人頭税は下層階級に課せられるかぎりでは労働の賃金にかかる直接税であって、恣意的で不確定、不公平といった税の不都合な点をすべて備えている悪税である。スミスの時代には便利な課税制度の源泉徴収はなく、全員が申告制度であれば収入に直接比例して課税することは極めて困難であった。そこで編み出されたのが、必需品・贅沢品からなる消費財への支出に応じて間接に課税する「消費税」が生まれた。必需品に対する消費税は直接税と同じく貨幣賃金を引き上げ、貧民の労働再生産を妨げるが贅沢品への課税はこの心配はない。こうした配慮はいまの欧州の消費税が食品への課税を少なくすることに引き継がれている。日本では消費税は無差別に課税し、かつ5%から10%への引き上げが図られている(2012年現在)。煙草税の引き上げで喫煙者が随分減ったのは保健上喜ばしいことであるが、食料品など生活必需品のレベルを下げることは難しい。故池田首相は「貧乏人は麦飯を食え」といったかどうかは真偽のほどは知らないが、消費税アップ分だけ生活レベルを下げろということは困難である。英国での必需品課税は、塩、なめし皮、石鹸、石炭に限られたが、他の諸国ではパン、肉にも課税されたという。

 消費税の取り立ては消費者か業者かが支払うことになる。日本の消費税は何重にも税を払う事を避けるという理由で、中間業者はすべて先送りして消費者だけが支払うというきわめて分り易い構造である。当時の英国では消費者だけが一定の品物の消費許可証とひきかえに年々一定の金額を納める方式をとった。国民を上層階級と中流以下の階級に分ければ、中流以下の階級の消費全体は量において上層階級のそれを圧倒的に上回る。つまり社会の富は資本の殆どが生産的労働者の賃金として配分されているのである。しかし忘れてならないことは、いやしくも税をかけるべきは下層諸階級の贅沢な支出にであって、必要な支出にではない。関税と内国消費税の大分文は租税の原則のうち、①公平(各人の負担力に比例する) ②明確(確定的に決められ、恣意性がないこと) ③納税の便宜(納め易い時期、方法で)の3原則にはよくかなうが、第4の原則④徴集費の節約には合致しない。なぜならその収入額に比例した徴集費用が必要だという点である。1775年で英国の内国消費税の徴収に5%の経費がかかった。関税の徴収には関税収入の2割から3割もかかった。関税行政の悪習がはびこっているせいである。関税は益少なくして特定産業の阻害や密輸などの害が大きいようだ。英国の消費税は完璧ではないにしろうまくいっている方で、近隣諸国の不都合は甚だしかった。消費税は生産者が負担すべきという考えで多重課税となったり、消費税請負制度の弊害は著しく過酷な取立てと腐敗を生んだ。(日本の自動車路上駐車違反の民間委託と同じ構造である) 公的制度の整備が不十分な時代には請負制度が資金調達の手段となってしまった。公共の収入つまり租税の大半を請負制にしていた国もあった。最も過酷な形態は一定の請負料をとって取立てを請け負わせる場合だけでなく、この徴税請負人が税のかかる商品の独占権を併せ持つこともあった。請負料の利潤と独占者利潤を国民から取り立てることが出来た。いまでいえばサラ金のとりたてを取り立て屋(暴力団)に請け負わせるようなものである。スミスはフランスの徴税制度の8つの税の取り立て請負制度を批判して、抜本的改革の必要性を指摘し、オランダの重税を批判しているが、それは省略する。
(つづく)

文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月16日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第76回

* KHM 116  青いあかり
アラビアの「アラディンと魔法のランプ」伝説の直系というべき話です。どうした経路でグリム童話に流れ込んだのかは分かりません。又この主人公の兵隊崩れの男の根性も感心できません。でも話しはハッピーエンドとなり複雑な気持ちです。ある国の兵隊が怪我をしてお払い箱になりました。兵隊は何日か歩いて森にはいりました。腹も減ったので、灯りの点いた家に行き、魔法使いの婆さんに食べ物を恵んでくれと頼みましたが、おばあさんは仕事を命じました。第1日目は畑を耕作すること、第2日目は薪を割ること、3日目は井戸に入って落としたランプを拾ってくることでした。井戸におりた兵隊さんは青い灯りを見つけ、地上にあがろうとしましたがおばあさんは綱を切って井戸に落としました。しかたなく兵隊さんはランプの火で煙草をつけますと、真っ黒なこびとがあらわれ「何か御用?」といい、何でもいう事を聞いてくれるそうです。そこで真っ黒なこびとに地上へ出られるように命令しました。つぎに魔法使いのおばあさんを捕まえて裁判にかける事、つぎに王様に仕返しをしてやるため王様のお姫様を毎晩下女奉公に出す事を命じました。毎晩でてゆく娘に不信を持った王様は行き先を探るため知恵を絞りますが、黒いこびとの知恵比べとなり3日目にとうとう兵隊さんの居所が分かり逮捕されました。そして絞首刑となりますが、最後に一服させてくれといってランプの火で煙草をつけますと、真っ黒なこびとが出て裁判官から王様までこっぴどく打ちのめしました。こうして兵隊さんは国を乗っ取り王様となりお姫様と結婚しました。手放しで喜べない複雑な心境となる話です。

* KHM 117  わがままな子ども
わがままな子がいましたが、神様も愛想を尽かし命を召しました。お墓に子どもを埋葬しましたが、にょっきり腕が地上に出てきました。お母さんはその子どもの腕を鞭でぶつとやっと引っ込みました。両親を打つと死後に墓の中から腕が出るという俗信がありそれに関連した話です。
(つづく)