ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 宇沢弘文著 「ケインズ一般理論を読む」 岩波現代文庫

2013年03月28日 | 書評
市民に分かるようにケインズ「雇用・利子及び貨幣の一般理論」を解読する 第16回

第6講 第4篇「投資誘因」 (3)
貯蓄の増加はその分消費財・サービスへの需要が減ることになり、現在の消費の減少は将来の消費期待の減少となり、雇用を減らすことにつながる。古典派経済学は貯蓄は富の保有に対する需要であって、投資への需要と同じく消費と雇用を増やす効果があるという。しかしケインズは貯蓄は資本や資産それ自体を保有するのではなく、そこから生み出される収益を求めてなされるので、富の所有の移転に過ぎず、新しい富の創出は投資による期待収益によってなされるという。日本におけるような貯金一辺倒では経済活性化につながらないというものだ。資本の蓄積が高度に進んで投資の限界効率がゼロに落ち込んでしまった(新たな投資先が見つからない)社会では、失業の発生と豊富の中の貧困化という現象が見られるようになった。そのとき戦争が企画され、大震災が歓迎されたり、不要不急な大規模事業に向かうのは一時的な鎮静剤(麻薬)効果を求めるあがきである。ケインズは「利子生活者階級の安楽死こそ資本主義の救済策である」とご神託を開述されるが、これは社会革命である。資本設備が新しく生産されるには,投資の限界効率がすくなくとも利子率を超えていなければならない。ケインズは利子と貨幣の本質的な性質に迫る。かってケインズは「利子とは当座の購入の権利を放棄する報酬である」といい、ここで「貨幣利子率は貨幣の先物契約に伴う収益率である」という。するとすべての種類の資本-資産に対して利子率(収益率)の概念を導入することが出来る。これを任意の資産の「自己利子率」と呼ぶ。ある資産の産出量ー資産を維持する経費+資産を保有したことによる便宜を資産の自己利子率と定義する。貨幣の特徴は経費はゼロで、便宜とは流動性プレミアムのことである。従って貨幣利子率が資産の自己利子率の上限となる。そして貨幣蓄積量が増えてもその自己利子率は極わずかしか低下しない特徴を持つ。そして貨幣供給は管理通貨制度をとっていれば、いかなる要因にも影響されない。流動性の罠におちいっている状態では解決策は貨幣供給量の増加である。つまり投資の限界効率をなんとかして上昇させればいいからである。すべての資産のうち自己利子率が最も大きな貨幣について、その利子率が投資の限界効率の最大なものに等しい限り、投資はそれ以上増加しない。

「投資誘因」の最後の章においてケインズは「雇用の一般理論」を次のようにまとめた。雇用の独立変数としては、消費性向、投資の限界効率表、利子率の3つがある。従属変数としては、雇用量、賃金単位の国民所得の2つである。しかし投資の限界効率表は長期の期待に依存し、利子率は流動性選好と貨幣の供給量に依存するので、究極の独立変数として、
①消費性向、流動性性向、将来の収益期待という心理的要素 
②当事者の交渉により決定される貨幣賃金、
③中央銀行の操作による貨幣供給量である。
投資はその限界効率が市場利子率に等しい水準に決まるとして、投資の増加によって雇用量が増え所得が上昇したとき、所得と貯蓄の関係はずれてゆく。ケインズは資本主義経済の際だった特徴として、所得と雇用とが絶えず変動してゆくが、極端な不安定性は存在しないと見ている。安定的に働く要因として、
①限界消費性向は1以下で、投資乗数は1より大きいが極端ではない。 
②期待収益あるいは利子率による投資への影響は極端ではない(弾力性は小さい)。
③貨幣賃金と雇用量は連動して動く。
④投資の増加は限界効率を下げ、その逆も成り立つ。
以上の4つの条件が充たされる時、資本主義経済について雇用量、国民所得、物価水準は絶えず変化するが、極端なダンピングには抑制力が働き自律的な安定を生む。長期的には完全雇用には至らず最低水準よりは高い雇用の状態が続く。いわゆる長期停滞の状態が現代資本主義の典型的な姿である。バブルは虚構である。
(つづく)

文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月28日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第88回

* KHM 145  親不孝なむすこ
年老いた親が息子の家に来たところ、息子は鶏の丸焼きを隠しました。親には食べさせたくなかったからです。お父さんが帰ってから息子は焼き鳥を食卓の上に乗せようと掴むと、鶏はいつの間にか大きなヒキガエルとなっていました。そして息子の顔にぴたりくっついてはなれません。このヒキガエルを親不孝息子は毎日養ってゆかなければなりません。気がふれた息子は家を出て歩き回っているということです。

* KHM 146  かぶら
兵隊を除隊になった兄弟がいました。兄は金持ちで、弟は貧乏でした。弟は百姓になり、小さな畑をたがやして蕪の種を植えました。蕪はどんどん生長し荷車いっぱいの大きさになりました。男は大蕪を王様に献上し、生活の窮状を訴えると王様は兄以上の金持ちにしてくれました。これを聞いた兄は蕪ひとつで金持ちになれるならと。金貨と馬を王様に献上しました。王様はこの返礼に大蕪を授けました。怒った兄は弟を殺そうと企み悪者を抱きこんで、ある森の中で弟を袋に入れ立ち木につるした時に、馬音がしたので悪者は慌てて逃げ出しました。書生が馬に乗ってきたので、弟は書生に呼びかけこの袋は知恵袋で自分はすっかり知恵者になったと騙して、自分は木から下ろしてもらい、代わりに書生が入り木につるしましたという。最後の落ちが不自然で、書生を何も騙す必要はなく、救助を求めればいいだけのことです。

* KHM 147  わかくやきなおされた小男
中世の詩人ザックスの笑話詩「猿の起源」を散文化したようなものだそうです。神様が鍛冶屋に立ち寄ったとき、見るもあわれな年寄りが恵みものを無心にやってきました。神様は鍛冶屋からふいごと炉を借りて、この爺さんを炉に入れて水で冷やして20歳ぐらいの若者に焼き直しました。これを見ていた鍛冶屋は年寄りのしゅうとめをつかまえて炉に入れ水ふろに入れましたところ、婆さんは真っ赤な顔をしてヒーヒー泣いていました。これを見ていた女2人が子供を生みましたが、お猿のような顔をして生まれるとすぐに森にかけこみましたとさ。これがお猿の起源です。
(つづく)