大災害の被災対応と復旧・復興に法の課題とはなにか 第5回
第2部 「災害サイクルと法」 (2)
2) 次に復旧時の生活再建のための法システムを見て行こう。復旧とは災害による被害を回復し元に戻すことである。復旧の実施責任は被災地の地方自治体の首長にある。自治体支援の国庫補助を定める法には、「公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法」(1951年)、「農林水産業施設災害復旧事業国庫補助の暫定措置法」(1950年)、「公立学校施設災害復旧国庫負担法」(1953年)が復旧の三法といわれる。国庫負担率は概ね半分から8割程度である。国の補助率の嵩上げを行なえる「激甚災害に対する特別財政援助法(激甚法)」(1962年)も重要である。ただし地方自治体が国の財政支援だけに期待しそれが十分でないと施策が行なえないとするのは責任転嫁に過ぎず、一刻でも早く復旧に取り掛かる計画と事業を先行させることが重要であろう。財務省は復興財政援助を原形復旧としているので、財務官が立ち会う「災害査定立会制度」(1951年)が定められた。東日本大震災で被災3県で合計5000件以上となり制度の簡素化が求められた。また「改良復旧主義」や「代替措置」は財務省の高いハードルを越えねばならず、「東日本大震災復興基本法」(2011年)では原形復旧主義を打ち破れるかが問題である。地方自治体の財政状況を見ると、租税収入は東北3県の自治体は15%程度で、自力で借金をするか、国庫から補填を受けざるを得ない。国庫補填を定めるのが「地方交付税法」(1950年)による。国庫負担割合は宮城県が41%、岩手県は47%、福島県は40%であった。これでは地方自治とか権限委譲とは名ばかりで、総務省と財務省の強い監督下にある倒産会社と同じ扱いである。
生活再建を支援する法として、「災害弔慰金法」(1973年)、「被災者生活再建支援法」(1998年)があり、そのほかにも義援金、地震保険、生活保護なども重要である。被災者個人への金銭補償を否定するl国の基本姿勢は一貫しており、生活再建よりも慰謝・見舞が法の目的であった。「災害弔慰金法」は家族を失った遺族への災害弔慰金支給、災害で重い障害を負った者に災害障害見舞金を支給すること、災害救護資金の貸し付けを行なうことから構成されている。支給金額(死亡者が生活維持者であれば500万円、それ以外で250万円)、遺族の範囲などに問題が指摘されている。2011年7月災害弔慰金法は改正され、①兄弟姉妹も遺族と考え支給対象となり、②災害弔慰金を破産時の財産差し押さえの対象としないなどの改正がなされた。災害救護資金の貸し付け限度額は150―350万円で、利子率は年3%、保証人と償還10年となっている。東日本大震災後の2011年「東日本大震災に対処する特別の財政援助及び助成に関する法律」が制定され、保証人は不要、利率を1.5%に引き下げ保証人がある場合は無利子とする、償還年を3年延長などと「災害弔慰金法」に改正が加えられた。
「被災者生活再建支援法」は阪神淡路大震災の市民の力で作られた法律であった。2004年に改正され支援金は最大300万円に増額された。2007年に二度目の改正が行なわれ、基礎支援金(最高100万円)、加算支援金(最高200万円)、「罹災証明書」を発行することからなり。罹災認定の制度確立が自治体の問題となった。
東日本大震災では義援金は過去最大の約3000億円が日本赤十字社に寄せられた。地方自治体が設置する「義援金配分委員会」で配分方法を決める。公平性から迅速性が問題となっている。厚生労働省通知によると、義援金や被災者生活支援金など災害に対処して支給される金銭は、生活保護を受ける際の資産や収入には当たらないとされる。ところが被災地市町村では義援金受給を理由に生活保護を打ち切る事例が発生し、県に不服申請が出されて、打ち切り処分は取り消された。阪神淡路大震災では「二重ローン」が問題となった。そのとき「利子補給」なる制度が出来たが、将に焼け石に水で解決はできなかった。東日本大震災では、零細農漁業者の債務を軽減するため、金融庁の研究会は「個人債務者の指摘整理に関するガイドライン」(別名 被災ローン減免制度)がとられ、債務者と債権者が協議して,債務を減免する方法が取られることになった。破産手続き、民事再生手続きを行い財務処理をして整理案を示せば債務は減免され、保有資産は99万相当は生活資金として保有し、500万程度は生活再建資金として手元に残せるという制度である。
(つづく)
第2部 「災害サイクルと法」 (2)
2) 次に復旧時の生活再建のための法システムを見て行こう。復旧とは災害による被害を回復し元に戻すことである。復旧の実施責任は被災地の地方自治体の首長にある。自治体支援の国庫補助を定める法には、「公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法」(1951年)、「農林水産業施設災害復旧事業国庫補助の暫定措置法」(1950年)、「公立学校施設災害復旧国庫負担法」(1953年)が復旧の三法といわれる。国庫負担率は概ね半分から8割程度である。国の補助率の嵩上げを行なえる「激甚災害に対する特別財政援助法(激甚法)」(1962年)も重要である。ただし地方自治体が国の財政支援だけに期待しそれが十分でないと施策が行なえないとするのは責任転嫁に過ぎず、一刻でも早く復旧に取り掛かる計画と事業を先行させることが重要であろう。財務省は復興財政援助を原形復旧としているので、財務官が立ち会う「災害査定立会制度」(1951年)が定められた。東日本大震災で被災3県で合計5000件以上となり制度の簡素化が求められた。また「改良復旧主義」や「代替措置」は財務省の高いハードルを越えねばならず、「東日本大震災復興基本法」(2011年)では原形復旧主義を打ち破れるかが問題である。地方自治体の財政状況を見ると、租税収入は東北3県の自治体は15%程度で、自力で借金をするか、国庫から補填を受けざるを得ない。国庫補填を定めるのが「地方交付税法」(1950年)による。国庫負担割合は宮城県が41%、岩手県は47%、福島県は40%であった。これでは地方自治とか権限委譲とは名ばかりで、総務省と財務省の強い監督下にある倒産会社と同じ扱いである。
生活再建を支援する法として、「災害弔慰金法」(1973年)、「被災者生活再建支援法」(1998年)があり、そのほかにも義援金、地震保険、生活保護なども重要である。被災者個人への金銭補償を否定するl国の基本姿勢は一貫しており、生活再建よりも慰謝・見舞が法の目的であった。「災害弔慰金法」は家族を失った遺族への災害弔慰金支給、災害で重い障害を負った者に災害障害見舞金を支給すること、災害救護資金の貸し付けを行なうことから構成されている。支給金額(死亡者が生活維持者であれば500万円、それ以外で250万円)、遺族の範囲などに問題が指摘されている。2011年7月災害弔慰金法は改正され、①兄弟姉妹も遺族と考え支給対象となり、②災害弔慰金を破産時の財産差し押さえの対象としないなどの改正がなされた。災害救護資金の貸し付け限度額は150―350万円で、利子率は年3%、保証人と償還10年となっている。東日本大震災後の2011年「東日本大震災に対処する特別の財政援助及び助成に関する法律」が制定され、保証人は不要、利率を1.5%に引き下げ保証人がある場合は無利子とする、償還年を3年延長などと「災害弔慰金法」に改正が加えられた。
「被災者生活再建支援法」は阪神淡路大震災の市民の力で作られた法律であった。2004年に改正され支援金は最大300万円に増額された。2007年に二度目の改正が行なわれ、基礎支援金(最高100万円)、加算支援金(最高200万円)、「罹災証明書」を発行することからなり。罹災認定の制度確立が自治体の問題となった。
東日本大震災では義援金は過去最大の約3000億円が日本赤十字社に寄せられた。地方自治体が設置する「義援金配分委員会」で配分方法を決める。公平性から迅速性が問題となっている。厚生労働省通知によると、義援金や被災者生活支援金など災害に対処して支給される金銭は、生活保護を受ける際の資産や収入には当たらないとされる。ところが被災地市町村では義援金受給を理由に生活保護を打ち切る事例が発生し、県に不服申請が出されて、打ち切り処分は取り消された。阪神淡路大震災では「二重ローン」が問題となった。そのとき「利子補給」なる制度が出来たが、将に焼け石に水で解決はできなかった。東日本大震災では、零細農漁業者の債務を軽減するため、金融庁の研究会は「個人債務者の指摘整理に関するガイドライン」(別名 被災ローン減免制度)がとられ、債務者と債権者が協議して,債務を減免する方法が取られることになった。破産手続き、民事再生手続きを行い財務処理をして整理案を示せば債務は減免され、保有資産は99万相当は生活資金として保有し、500万程度は生活再建資金として手元に残せるという制度である。
(つづく)