市民に分かるようにケインズ「雇用・利子及び貨幣の一般理論」を解読する 第2回
序(2)
ケインズ(1883年ー1946年)が「雇用・利子および貨幣の一般理論」を著わしたのは1936年のことである。1930年代は経済学の第1の危機といわれ、世界のすべての資本主義国を襲った大恐慌を契機として起きた。完全競争的な市場経済制度のもとで予定調和的な経済体制が形成されるとする新古典派経済理論の信奉者にとって、恐慌は想定外で一時的なアンバランスはすぐに均衡に戻るとするものである。現在資本主義の下における経済循環のメカニズムを解明し、雇用・インフレの安定化を実現する経済政策を説く新しいケインズ経済学理論は、たちまち一世を風靡した。ケインズ経済学の中心となるのが1936年(昭和11年)に刊行された「一般理論」であり、経済学の分析手法を駆使し(要因分析と関連性)、現代資本主義の制度的特質とそのマクロ経済学含意を考察して、政策的・実証的結論を導き出すことに成功したのだ。1930年から1970年までの30―40年間はまさにケインズの次代と呼ばれ、政府の経済関係閣僚・官僚は自らを「ケインジアン」をもって任じたといわれる。西欧社会の高度経済成長期を過ぎると、ケインズ主義的な経済政策は財政支出の弾力的な運用を主軸とする安易な総需要管理政策に終始するようになって、次第にケインズ経済学は政治イデオロジーの文脈で語られるようになり、「大きな政府」と批難する新古典派の均衡分析(神の手による市場万能主義)にとって替わられた。ケインズ経済政策は欧州では社会主義政策と連動し、日本では地域に対する経済的便宜、既得権益の擁護に変形し、財政支出を通じて生み出される有効需要に依存して存続を図るいわば寄生体的な産業ないしは企業のみが肥大した。これをケインズ経済というと、ケインズ経済理論から甚だ遠い姿である。アメリカのベトナム戦争、1970年代の2回にわたる石油危機、貿易不均衡の混乱を経て、1980年代になると経済停滞と不況が常態化した。先進国においては様々な不均衡が表面化し、市場が国際化すると発展途上国との経済格差が広がった。日本では欧米より少し遅れて、1990年より土地バブル経済の破局に始まる長期不況により失業が大きな問題となった。いまだに有効な手が打てずに、経済的には市場主義、政治的には新保守主義が蔓延し、傷口が広がった。
(つづく)
序(2)
ケインズ(1883年ー1946年)が「雇用・利子および貨幣の一般理論」を著わしたのは1936年のことである。1930年代は経済学の第1の危機といわれ、世界のすべての資本主義国を襲った大恐慌を契機として起きた。完全競争的な市場経済制度のもとで予定調和的な経済体制が形成されるとする新古典派経済理論の信奉者にとって、恐慌は想定外で一時的なアンバランスはすぐに均衡に戻るとするものである。現在資本主義の下における経済循環のメカニズムを解明し、雇用・インフレの安定化を実現する経済政策を説く新しいケインズ経済学理論は、たちまち一世を風靡した。ケインズ経済学の中心となるのが1936年(昭和11年)に刊行された「一般理論」であり、経済学の分析手法を駆使し(要因分析と関連性)、現代資本主義の制度的特質とそのマクロ経済学含意を考察して、政策的・実証的結論を導き出すことに成功したのだ。1930年から1970年までの30―40年間はまさにケインズの次代と呼ばれ、政府の経済関係閣僚・官僚は自らを「ケインジアン」をもって任じたといわれる。西欧社会の高度経済成長期を過ぎると、ケインズ主義的な経済政策は財政支出の弾力的な運用を主軸とする安易な総需要管理政策に終始するようになって、次第にケインズ経済学は政治イデオロジーの文脈で語られるようになり、「大きな政府」と批難する新古典派の均衡分析(神の手による市場万能主義)にとって替わられた。ケインズ経済政策は欧州では社会主義政策と連動し、日本では地域に対する経済的便宜、既得権益の擁護に変形し、財政支出を通じて生み出される有効需要に依存して存続を図るいわば寄生体的な産業ないしは企業のみが肥大した。これをケインズ経済というと、ケインズ経済理論から甚だ遠い姿である。アメリカのベトナム戦争、1970年代の2回にわたる石油危機、貿易不均衡の混乱を経て、1980年代になると経済停滞と不況が常態化した。先進国においては様々な不均衡が表面化し、市場が国際化すると発展途上国との経済格差が広がった。日本では欧米より少し遅れて、1990年より土地バブル経済の破局に始まる長期不況により失業が大きな問題となった。いまだに有効な手が打てずに、経済的には市場主義、政治的には新保守主義が蔓延し、傷口が広がった。
(つづく)