ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 宇沢弘文著 「ケインズ一般理論を読む」 岩波現代文庫

2013年03月13日 | 書評
市民に分かるようにケインズ「雇用・利子及び貨幣の一般理論」を解読する 第2回

序(2)
 ケインズ(1883年ー1946年)が「雇用・利子および貨幣の一般理論」を著わしたのは1936年のことである。1930年代は経済学の第1の危機といわれ、世界のすべての資本主義国を襲った大恐慌を契機として起きた。完全競争的な市場経済制度のもとで予定調和的な経済体制が形成されるとする新古典派経済理論の信奉者にとって、恐慌は想定外で一時的なアンバランスはすぐに均衡に戻るとするものである。現在資本主義の下における経済循環のメカニズムを解明し、雇用・インフレの安定化を実現する経済政策を説く新しいケインズ経済学理論は、たちまち一世を風靡した。ケインズ経済学の中心となるのが1936年(昭和11年)に刊行された「一般理論」であり、経済学の分析手法を駆使し(要因分析と関連性)、現代資本主義の制度的特質とそのマクロ経済学含意を考察して、政策的・実証的結論を導き出すことに成功したのだ。1930年から1970年までの30―40年間はまさにケインズの次代と呼ばれ、政府の経済関係閣僚・官僚は自らを「ケインジアン」をもって任じたといわれる。西欧社会の高度経済成長期を過ぎると、ケインズ主義的な経済政策は財政支出の弾力的な運用を主軸とする安易な総需要管理政策に終始するようになって、次第にケインズ経済学は政治イデオロジーの文脈で語られるようになり、「大きな政府」と批難する新古典派の均衡分析(神の手による市場万能主義)にとって替わられた。ケインズ経済政策は欧州では社会主義政策と連動し、日本では地域に対する経済的便宜、既得権益の擁護に変形し、財政支出を通じて生み出される有効需要に依存して存続を図るいわば寄生体的な産業ないしは企業のみが肥大した。これをケインズ経済というと、ケインズ経済理論から甚だ遠い姿である。アメリカのベトナム戦争、1970年代の2回にわたる石油危機、貿易不均衡の混乱を経て、1980年代になると経済停滞と不況が常態化した。先進国においては様々な不均衡が表面化し、市場が国際化すると発展途上国との経済格差が広がった。日本では欧米より少し遅れて、1990年より土地バブル経済の破局に始まる長期不況により失業が大きな問題となった。いまだに有効な手が打てずに、経済的には市場主義、政治的には新保守主義が蔓延し、傷口が広がった。
(つづく)


読書ノート アダム・スミス著 「国富論」 中公文庫(1-3冊)

2013年03月13日 | 書評
古典経済学が説く社会的生産力の構造と近代自由主義 第53回

第5篇 国家の収入(財政策)
第2章 社会の一般収入あるいは公共収入の財源について(3)
[第2項] 資本の利潤にかける税


 スミスは資本と労働に対しては富の蓄積が社会発展の第一とする持論からこれらに課税してはいけないという論を展開する。しかし現在企業の利潤に対しては法人所得税、労働者に対しては最も取り易い源泉徴収として給与所得税、県民・市民税などが課せられている。自由主義者スミスの論とは違う。資本から生じる収入のうち,利潤には課税すべきではなく、利子所得も直接の課税対象として適当でないという。現在は利子所得は不労所得であるから高率の課税が当然であると成っている。スミスの論と反対に、発展にアクセルをかけるのではなくブレーキをかけている。だから企業はタックスへブンを求めて、海外の課税天国へ本社を移すようである。企業は税金を売価に上乗せするので結局この課税を支払うのは商品の消費者となる。1国の資本や貨幣の量は土地の広さと同じく、課税の前後でも同じ大きさである。なぜ利子は課税対象として不適切なのかというと、第1に人が所有する資本ストックは出来る限り秘密にしておきたいからである。第2にこれを課税検査員が詮索すると資本は海外へ移動させるだろう。資本が海外へ移動すると土地も労働も必然的に減少するからである。従って資本の収入に対する低率の課税でさえ不確定(ルーズ)であいまいならざるを得なかった。全市民にその財産額を神に誓って宣誓させる義務を負わせることは難儀であった。今日でも小売店主の申告はいつも課税を逃れるために赤字申告となるのは同じ事情による。酒や葡萄酒に特別の税をかけることは各国で試みられたが、いつも資本の利潤にかける税は小売価格に上乗せされ余計に払わされるのは消費者であった。フランスでは農業資本の利潤にかける税として有名な「動産タイユ」があった。最も取り易い隷従的農民の賃借土地への課税はフランス絶対王朝で最大の収入源であったが、結局フランス革命の原因となった。同じような隷従農民への課税として「人頭税」、「僕卑税」などがあった。
(つづく)


文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月13日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし 第74回

 * KHM 110  いばらのなかのユダヤ人
 お金持ちのお百姓の下男がいました。下男は働き者の正直者、お金を気にしないお人よし、心配を苦にしないのんき者の男でした。3年間奉公してけちな百姓からたった3ペレルの金貨を給金としてもらって旅に出ました。途中に小さなこびと(魔法使い)にあって、金貨をみんなこびとにあげました。そのかわりこびとから、吹き矢と胡弓と願い事を聞いてもらえる力を与えられました。あるところでユダヤ人に会い、小鳥の声に聞き惚れているので、吹き矢で射落としてやりました。そして胡弓を奏でるとユダヤ人は踊り出し止めることが出来ません。さんざん棘で傷を負い、胡弓を止めてもらうための財布を上げることにしました。ほうほうの態で逃げ出したユダヤ人は裁判所に訴えました。捕まった下男に裁判官は死刑を言い渡しました。裁判官は下男の最後の願いを聴かざるを得なくなって胡弓を吹かせました。こうしてユダヤ人や裁判官や町の人全員が踊り狂いました。下男はユダヤ人に財布の中身をどこで掠めたのかを問いただすと、これは盗んだと白状したので今度はユダヤ人が死刑に処せられたという話。

* KHM 111  腕利きの狩人
 若い錠前職人が腕磨きに世間に出ましたが、途中で錠前やがいやになり狩猟が好きになりました。ある森で緑色の服を着た狩人(魔法使い)に会い修行をしました。年季が明けると猟人から必ず当たる空気銃を貰いました。この銃を持って森に入り込み、夜のなって明りをみつけ大入道三人が焚き木をして牛の串焼きを食っていのを見つけました。大入道の腕から串焼きを打ち落とし、大入道に腕のいいところを見せ付けました。大入道らは職人を呼びつけ仲間に入れて、城のお姫様を盗み出す計画に加えました。夜猟人は番犬を撃ち殺し城には入り、大入道を外に待たせて単身部屋には入りました。壁に刀がありこれを手に入れ、上靴、襟巻き、お姫様の襦袢の片方を切って証拠品として背嚢に入れました。そして大入道らにお姫様をやるのが嫌になり、戸の小さな穴から大入道を呼び込み、1人ずつ刀で首をはね退治しました。その舌を切り取ってこれも背嚢に入れました。翌朝王様らは大入道の首を取ったものは誰かと尋ねますと、隊長が私ですと名乗り出ました。王様はお姫様を嫁にやると約束しましたが、お姫様は隊長を嫌がって城を出て、森の中で商い生活を始めました。若い猟人がその店に立ち寄り話をするとお城のお姫様だとわかり、証拠品をみせて大入道を退治したのは自分だという事を分からせました。隊長は処刑され、猟人とお姫様は結婚しました。
(つづく)