大災害の被災対応と復旧・復興に法の課題とはなにか 第2回
第1部 「法のかたち」(1)
災害対応の法制度の「そもそも論」であり、第1章で歴史的にたどり、江戸時代から東日本大震災までを総覧する。第2章「災害法制の仕組み」では法の構成、日本の防災中心主義法制、諸外国の災害法制を総覧する。まず災害法制度の歴史をみてゆこう。江戸時代以前には義援金を備蓄する「義倉」、避難・福祉施設「悲田院」などがケースごとに見られる程度で、教訓を一般的に制度化する「法の整備」には至らなかった。江戸時代に入ると、享保.・天明・天保の大飢饉のときには、幕府は米の支給をおこなう「御救米」、被災民らに仕事を与え賃金を支給する「御救普請」、仮設小屋・避難所にあたる「御救小屋」、見舞金の支給にあたる「御救金」、町会費から災害準備金を積み立てる「7分金積み立て制度」などの制度的救済措置がとられるようになった。明治政府の近代政策と富国強兵の中央集権体制が整えられる中で、災害対策も中央政府が行なう形で、1880年「備荒儲畜法」が最初の災害救助法となった。しかし1999年「罹災救助基金法」により責任主体は地方府県に移った。1923年関東大震災は死者行方不明者15万人を出す未曾有の大惨事となった。政府は国民を救助するのではなく戒厳令下治安支配を重視したため、大惨事にあわせて虐殺が官憲の手で行なわれた。戦中から戦後にかけて大規模災害があいついだ。1946年11月発布の日本国憲法にあわせて災害法も大きく変わった。まず、昭和南海地震をきっかけに1947年「災害救助法」、カスリーン台風をきっかけに1949年「水防法」、福井地震をきっかけに1950年「建築基準法」が制定された。伊勢湾台風を契機に戦後の防災対策の転換点となる、「災害対策基本法」が1961年、1962年に「激甚法」が制定された。
高度経済成長期1960年代から1970年代は大災害の少ない比較的平穏な時代であった。豪雪、火山被災にたいして、1962年「豪雪地帯対策特別措置法」、桜島噴火を契機に1973年「活動火山対策特別措置法」が制定された。新潟地震を契機に保険が見直され1966年「地震保険に関する法律」が制定された。羽越豪雨水害を契機に1973年「災害弔慰金法」が制定された。宮城沖地震を契機に建物の耐震基準の見直しがおこなわれ1981年「建築基準法」の改正が行なわれた。そして1990年代は日本中で地震や噴火などの災害が立て続きに起きた。1991年雲仙普賢岳噴火災害、1993年、奥尻島津波災害、そして1995年1月阪神・淡路大震災と続いた。阪神・淡路大震災は6400人の死者をだし、25万棟の全半倒壊延焼となった。住宅問題では借地・借家問題、住宅政策の問題、住宅再建支援の問題を主とした都市型災害であった。二重ローン問題や孤独死問題が大きく社会問題となったが解決の道はなかった。この時点では政府は、「自然災害による損害に政府の責任はなくあくまで個人の問題である」という見解に終始した。1998年「被災者生活再建支援法」が制定され救済の道が出来た。東海村JOC臨界事故を契機に1999年に「原子力災害対策特別措置法」が制定されたが、2011年3月の東日本大震災が待っていた。東日本大震災では死者行方不明者1万9000人をだし、福島第1原発では大量の放射能漏れが発生した。災害後1年間で45の法律が急遽制定された。この国の行政は人が死ななければ動かないらしい。警察は犯罪が起きなければ発動しないのと同じである。
(つづく)
第1部 「法のかたち」(1)
災害対応の法制度の「そもそも論」であり、第1章で歴史的にたどり、江戸時代から東日本大震災までを総覧する。第2章「災害法制の仕組み」では法の構成、日本の防災中心主義法制、諸外国の災害法制を総覧する。まず災害法制度の歴史をみてゆこう。江戸時代以前には義援金を備蓄する「義倉」、避難・福祉施設「悲田院」などがケースごとに見られる程度で、教訓を一般的に制度化する「法の整備」には至らなかった。江戸時代に入ると、享保.・天明・天保の大飢饉のときには、幕府は米の支給をおこなう「御救米」、被災民らに仕事を与え賃金を支給する「御救普請」、仮設小屋・避難所にあたる「御救小屋」、見舞金の支給にあたる「御救金」、町会費から災害準備金を積み立てる「7分金積み立て制度」などの制度的救済措置がとられるようになった。明治政府の近代政策と富国強兵の中央集権体制が整えられる中で、災害対策も中央政府が行なう形で、1880年「備荒儲畜法」が最初の災害救助法となった。しかし1999年「罹災救助基金法」により責任主体は地方府県に移った。1923年関東大震災は死者行方不明者15万人を出す未曾有の大惨事となった。政府は国民を救助するのではなく戒厳令下治安支配を重視したため、大惨事にあわせて虐殺が官憲の手で行なわれた。戦中から戦後にかけて大規模災害があいついだ。1946年11月発布の日本国憲法にあわせて災害法も大きく変わった。まず、昭和南海地震をきっかけに1947年「災害救助法」、カスリーン台風をきっかけに1949年「水防法」、福井地震をきっかけに1950年「建築基準法」が制定された。伊勢湾台風を契機に戦後の防災対策の転換点となる、「災害対策基本法」が1961年、1962年に「激甚法」が制定された。
高度経済成長期1960年代から1970年代は大災害の少ない比較的平穏な時代であった。豪雪、火山被災にたいして、1962年「豪雪地帯対策特別措置法」、桜島噴火を契機に1973年「活動火山対策特別措置法」が制定された。新潟地震を契機に保険が見直され1966年「地震保険に関する法律」が制定された。羽越豪雨水害を契機に1973年「災害弔慰金法」が制定された。宮城沖地震を契機に建物の耐震基準の見直しがおこなわれ1981年「建築基準法」の改正が行なわれた。そして1990年代は日本中で地震や噴火などの災害が立て続きに起きた。1991年雲仙普賢岳噴火災害、1993年、奥尻島津波災害、そして1995年1月阪神・淡路大震災と続いた。阪神・淡路大震災は6400人の死者をだし、25万棟の全半倒壊延焼となった。住宅問題では借地・借家問題、住宅政策の問題、住宅再建支援の問題を主とした都市型災害であった。二重ローン問題や孤独死問題が大きく社会問題となったが解決の道はなかった。この時点では政府は、「自然災害による損害に政府の責任はなくあくまで個人の問題である」という見解に終始した。1998年「被災者生活再建支援法」が制定され救済の道が出来た。東海村JOC臨界事故を契機に1999年に「原子力災害対策特別措置法」が制定されたが、2011年3月の東日本大震災が待っていた。東日本大震災では死者行方不明者1万9000人をだし、福島第1原発では大量の放射能漏れが発生した。災害後1年間で45の法律が急遽制定された。この国の行政は人が死ななければ動かないらしい。警察は犯罪が起きなければ発動しないのと同じである。
(つづく)